
先日、カエル好きさんのプログを読んで、思い出した話です。
現在、海外仕様のオートバイには、スピードリミッターが装着されています。
そのスピードは300km/h。
ことの発端は、20世紀の終わり頃に勃発した「世界最速」への覇権争い。
その争いは1999年、このバイクの誕生によって決着が付きました。
スズキ 隼
その後も、追従するモデルが他社から発売される等、過熱さは冷めやらず。
さすがのEUもこれでは危険だと、2001年よりスピードリミッター装着と相成った次第です。
そして、今も私が大切にしている本。
Mr Bike 1989年11月号。
市販車の最高速がようやく250km/hを越えた頃。
ひとりの男が、この300km/hの壁に挑みます。
佐藤信哉
フリーライターにして、バイク乗り。
そして、ストリートアタッカー。
このチャレンジにあたり、彼がマシンに課した条件は3つ。
1. 最高速に特化させず、ストリートでも十分使えること。
2, 過給は行わず、エンジンだけで勝負すること。
3, 乗り手側のミスを除き、絶対に壊れないこと。
いわば次世代のスーパースポーツバイクです。
20世紀の終わりに現れたハヤブサは、まさにこれらの条件をクリアした集大成です。
そして、当時は空前のバイクブーム。
鈴鹿8時間耐久等、モータースポーツも異様な盛り上がりを見せていました。
そこで活躍していたマシンは、TT-F1。
市販の750cc車をベースにしたレーサーです。
TT-F1は、ベース車の素性に大きく左右されます。
その為、勝利を宿命付けられたメーカーからは、今まで想像出来なかった様なマシンを発表してきます。
GSX-R 750
ほぼレーサーに保安部品を付けただけ、そんな形容をされていました。
179kgの車体で、馬力は海外仕様で100ps。
これなら壁を越えられるのでは? そう思わせてくれるには十分な性能でした。
マシン製作にあたり、必要な性能を逆算するべく、シミュレーション解析を始めます。
そこで導き出された馬力は・・・
168ps!
GSX-R 750をもってしても、68psのパワーアップは不可能です。
そんな気持ちに応えるかの様に、翌年追加モデルが発売されます。
GSX-R 1100
197kgの車体で、130ps。
重量は増えましたが、大幅にパワーアップしています。
これならば、きっと・・・という思いで、検討を進めます。
排気量アップによる効果は、主に中低速トルク。
ゼロからの発進では、効果があります。
ですが、今回のステージは最高速チャレンジ。
ここではトルクよりも馬力です。
排気量アップによるデメリットは、ピストンの大型化。
その為、重量が増えてしまい、高回転化が難しくなります。
馬力の面でいくと、これでは不利です。
それならばと、750ccエンジンでピストンを軽量化し、あとはひたすらレッドゾーンに入れっぱなしではどうだろうか。
そんな使い方、到底エンジンが耐えられません。
スズキという会社、当時から大人げない会社というイメージがありました。
目的達成の為には、手段を選ばす。
GSX-R誕生の1985年から、全日本TT-F1クラス3連覇のスズキ。
1988年に、ホンダRVFによって連覇が途絶えます。
チャンピオン奪還に向けて、1989年に限定販売でニューマシンを発表しました。
GSX-R 750R
名前こそGSX-R 750でも、中身は別物。
むしろ’88 TT-F1仕様が近いくらいか。
クランクシャフト、コンロッドは製法、材質をレーサー相当に変更。
一部部品には、当時今以上に高価だったチタンも投入。
ジャーナリスト試乗会では、海外仕様が280km/hフルスケールのメーターを振り切るほど。
これなら超高回転でも耐えられる。
これでベース車が決定しました。
当初の目標は168psなれど、実際には道に勾配もある為、そこまでは必要なさそう。
耐久性との兼ね合いも見て、チューニング仕様を決めていきます。
エンジンはカムシャフト、ピストンをTT-F1用に。
車体は十分な潜在性能があるので、ノーマルのまま。
キャブもTT-F1用はピックアップ重視な為、今回の最高速トライには不要な性能と判断し、無交換。
これでチューニングが施されました。
そして1989年9月、戦いの場であるアウトバーンへ。
まずは慣らしがてらに、流れに合わせての様子見。
異常がないことを確認し、いよいよアタック開始です。
1〜3速までは、全く頭打ち感もなくレブリミットに。
チューンドエンジン+クロスミッションの為、加速感が途切ることがありません。
4速で200km/h越え、5速で250km/hオーバー。
それでも加速感に鈍化はなし。
ついに270km/h、最後のギヤ、6速に。
まだまだ普通に加速できる!
295km/h、タコメーターがレッドゾーン最後の目盛に並ぶ。
前方確認でわずかに上げたヘルメットは、巨大な力で後方へと引っ張られる。
そしてタコメーターが振り切った時、ようやくスピードメーターの針が300km/hを越えた。
この間、ビデオと写真で記録をしていました。
ですが、ビデオは270km/hを超えると、ホワイトノイズに包まれ。
電制シャッターを備えたカメラも、肝心な300km/hではシャッターが降りず。
上の写真は、信哉さんが左手を放し、片手運転で機械式シャッターのカメラで撮影したものです。
どうやら、超高回転時に発生する点火系からのノイズが、原因だった様です。
アタック中は、4輪とのバトルもあったそうで。
それが、メルセデス、ポルシェであったとしても、250km/h以下では決着すると。
せいぜい5速までで、6速を使うことはなかったと。
ただ1台を除けば。
それは250km/hの時に、背後から現れた。
近づくでもなく、離されるでもなく。
270km/h・・・変わらず。
280km/h・・・引き離せず。
こいつ何者なんだ! 確認すべく道を譲ると。
AMG 300E 6.0-4V HAMMER
まだAMGが、メルセデスと合併する以前のモデルです。
ミディアムのボディに、6L V8にコスワース製DOHCヘッドを搭載。
385pを誇るモンスターです。
今度は背後について追撃。
とうとう最後の6速にシフトアップ。
そして、遂には290km/hまでに。
さすがに、ここで加速も鈍くなってきます。
そこで、すかさずパッシング。
ハンマーはゆっくりと道を譲ります。
GSX−Rは、そこからゆっくりと300km/hに向けて加速。
ハンマーは少しづつ小さくなっていきました。
当時はGPz400Fに乗っていた私。
300km/hはおろか、200km/hすら未知の領域です。
想像の彼方にある世界での出来事に、胸をときめかせておりました。