
私が小学生だった、1970年代後半。
今もほとんどマンガを読まない私ですが、この本には思いっきりハマっていました。
私が好きだったのは、早瀬左近のポルシェ 911カレラRS。
フェラーリやランボルギーニの様な、見た目のカッコよさは、あんまりありません。
見ようによっては、フォルクスワーゲン ビートルのお兄ちゃん? みたいに見えるかと。
その為か、パッと見は速そうではありません。
それなのに、実力はトップクラスの性能を誇るスポーツカー。
しかもそれが、いつでも安定して出せる。
そんなところに惹かれていました。
入口がスーパーカーだったからでしょうか。
レースもフォーミュラよりも、ハコに興味がいってまして。
同時期、日本初のF1が富士で開催されていたのですが、テレビ観戦した記憶がありません。
そんなクルマウマシカ小僧には、こんな式が頭の中に出来ていました。
スーパーカー + レース = シルエットフォーミュラ
外観は、なんとなくベース車の面影を残しつつも、実は、ほぼなんでもアリ。
キャビン部だけ流用し、前後は切断してパイプフレーム化。
そんな仕様もありました。
一見ハコの様でも、中身はまるでフォーミュラーカー。
なるほど、シルエットフォーミュラとは、よく言ったものです。
それらの中でも、私が注目していたのは、これでした。
ポルシェ935
田宮のプラモを作られた方も、多かったかと。
911 3.0カレラRSRをベースにした、2.85Lのシングルターボ。
そのパワーは、怒涛の560psでした。
ポルシェの凄いところ。
非常に高い信頼性です。
特にデリケートなレーシングエンジンの場合、数があれば状態の良いもの、悪いものといろいろバラツキが大きくて不思議ではありません。
ですが、ポルシェには非常に少ない。
なのでこんな高性能レーシングカーなのに、普通に市販化出来てしますのです。
ゼロからレーシングカーを製作すれば、935を凌駕出来るものも作れるかもしれません。
しかし現実的に考えると、大メーカーのポルシェを越えられるのか?
資金等で制約の多いプライベーターにとっては、市販の935を購入する方が得策だと言えますね。
なんだか90年代の日本にも、似た様なケースがあった様な・・・
935と言えば、特徴的なフラットノーズ。
実はこれ、ちょっといわく付きの装備なんです。
シルエット フォーミュラの理念には、「なるべくベース車の面影を残すこと」というのがあります。
となると、911の場合、あの特徴的なカエル顔を形成するヘッドライトには、手をつけ難くなります。
ですが、あのライト、やっぱり空力的によろしくはありません。
さて、どうしたものか?
シルエット フォーミュラのレギュレーションに、「前後フェンダーの変更は自由」というのがあります。
これを拡大解釈すると・・・
太いタイヤを履かせる為にフェンダーの幅を広げた
ついでに、ヘッドライトの位置も下がってしまった、という体で形状変更したのです。
その結果、あのフラットノーズが誕生しました。
あくまでも「フェンダー変更」なので、レギュレーション的にも問題はありません。
ですが流石にポルシェも、これはやり過ぎかな? と思ったらしく、参戦初期には、カエル顔の935も参戦していました。
その後、935で参戦するプライベーターが急増し、レースは盛況に。
そうなってくると、ワークスと言えども、うかうかしてはいられません。
1978年、ポルシェはワークス935の最終進化版を投入するのです。
ポルシェ 935/78
通称「モビー ディック」です。
遂に911のモノコックボディから決別。
センターモノコックだけ残し、前後はパイプフレーム化されました。
エンジンは3.2Lに拡大され、ヘッドは水冷化。
6気筒ツインターボが叩き出すパワーは、845psにも及んでいました。
前後パイプフレーム化に伴い、ボディカウルも大幅変更。
そのコンセプトは、
ユーノディエールの直線番長
長く低いボディカウルを武器にしたロードラック仕様で、ルマン6kmの直線では格上のGr6 ポルシェ936に引けを取らない程に。
その最高速は、366km/hにも達していました。
そんな935ですが、気付けば周りにライバルメーカーの姿は既になく・・・
まるで935のワンメークレースの様相でした。
究極の935を投入したポルシェ ワークスも、この年から活動休止。
ひとつの時代が、幕を下ろそうとしていました。
それでも935、進化は止まりません。
有力プライベーターの手により、更に速さの磨きがかかって行きます。
歴代ある935の中で、私が好きなモデルは、このクルマです。
クレーマー ポルシェ 935 K3
その印象を強くしたのは、1981年の鈴鹿1000km。
今も愛読しています、ドライバーの記事で読みました。
この「伊太利屋」カラー、ピンクと漢字のロゴは衝撃でしたね。
予選から圧倒的な強さを見せつけていた、クレーマー K3。
しかし決勝では燃料系トラブルが発生し、6周の周回遅れ。
本命視されながらも、もはやこれまでか・・・
復調後、そこからは鬼神の猛追。
ゴール直前、奇跡の逆転優勝を果たしたのでした。
そして、この鈴鹿1000km同様、印象的だったレース。
それが1979年 ルマン24時間です。
この年の優勝候補は、ライバル不在だったポルシェ ワークスの936。
順当に走れれば優勝だったものの、まさかのエンジントラブルでリタイヤ。
本命不在となった中、2台のプライベーター935(うち1台には、ポール ニューマン搭乗)による優勝争いへ。
最後は、このNo.41のクレーマー K3が優勝、P・ニューマン組の935/77は2位、3位にも935が入り、表彰台独占となりました。
数々の逸話を残した、ポルシェ 935。
最後はエントリーが935ばかりになり、衰退化。
参戦車両規格をGr Cに変更される事で、シルエット フォーミュラでのレースは終了しました。
このあたりも、90年代に活躍した、あの日本車に似ていますね。
自身が強過ぎたが故に、レース自体が終了。
ポルシェにはよくある話なのですが、そこまでやり過ぎてしまうところが、ポルシェの魅力なんですよね。