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2021年01月15日

かつて自動車を作っていた街 〜埼玉県上尾市〜 前編

かつて自動車を作っていた街 〜埼玉県上尾市〜 前編 令和も3年目を迎えましたが、相変わらずの昭和ネタです。

埼玉県上尾市には、現在自動車の生産工場があります。





UDトラックス 本社・上尾工場


古くは「日産ディーゼル」でお馴染みだった会社です。

1999年、大株主の日産自動車が大変な事になり、あの人が登場。

日産ディーゼルもリストラの対象となり、工場閉鎖等の憂き目に遭いました。

2006年、株式の大半がボルボへ売却され、日産との資本関係は解消。

ですが、社名は変わらず。

2010年、遂にその社名も「UDトラックス」となります。

そして昨年からは、いすゞ傘下になりました。

こことは別に、かつて自動車生産工場が上尾にあったという話を、耳にしました。

それは一体、どの会社なんでしょう?

いろいろ調べていきたいと思います。

少ない手掛かりから手繰っていきましたら、こんな資料が出て来ました。






東急建設社史、昭和34年の記述です。

上尾で工場建設着手、とあります。

その社名は東急くろがね工業です。



東急くろがね工業とは・・・

東急が参画し2つの自動車会社を合併させ、1957年に誕生させた会社です。

合併当初は日本自動車工業と称していました。

その後1959年、改称して東急くろがねとなっています。


合併した会社の1つは、「くろがね」ブランドでオート三輪を生産していた、日本内燃機製造。

もう1つは、「オオタ」ブランドで小型乗用車生産をしていた、オオタ自動車工業でした。






初めに日本内燃機製造。

終戦直後は、復興需要でオート三輪は大盛況。

日本内燃機製造のくろがねも、販売が好調でした。

その後は、元々の自動車メーカーの他に軍需産業からの転換組も参入。

徐々に激戦の市場となっていきました。

最終的にオート三輪は、大きな資本と強い販売網をもつ、ダイハツ、マツダの二強に集約される事に。

日本内燃機製造の業績にも、暗雲が立ち込める様になってきました。






続いて、オオタ自動車工業。

戦前から積極的にモータースポーツ活動を行い、勝利を獲得。

高性能車のイメージを確立していました。

しかし戦後は、復興の為、まずはトラック優先の政策を施行。

乗用車メインのオオタは、スタートで立ち遅れる事になりました。

遅れて乗用車生産も再開されるのですが、小型タクシー需要に活路を見出そうとするも、強豪ダットサンが相手となり、販売が芳しくありません。

そんな戦後苦戦していた2社を東急の大資本で合併させ、起死回生を目論んだのが、日本自動車工業改め、東急くろがね工業だったのです。



合併後は、くろがねブランドの商用車を優先させます。

今度は激戦のオート三輪に見切りをつけ、新たな市場に参入を試みます。

それは軽四輪貨物、いわゆる360ccの軽トラです。

その為に新しく開発したのが、このクルマでした。






くろがね ベビー


当時の商用車の中では、非常に革新的なクルマでした。

レイアウトは、キャブオーバータイプのRR方式。

これは日本初のものです。

それまでのトラックと言えば、リジット式サス+空冷2サイクルエンジン。

とにかく頑丈で安価に作られていました。

ですがベビーは、4輪独立サス+水冷4サイクルエンジン。

他車よりも先進技術を投入する事で、商品力をアピールします。

キャブオーバーを採用したので荷台も広くなり、現代の軽トラックに近くなりました。

しかもその生産には、専用工場まで立ち上げてしまう程。

その工場こそが、今回調査している上尾工場になるのです。






1960年の発売後は、順調な売り上げを推移。

よもやくろがね復活か? そんな期待が寄せられる程でした。

ですがオート三輪と同じく、この市場にも大手メーカーが参入してきます。






スバル サンバー


いわゆる初代の「くちびるサンバー」です。

サンバーは期せずして、ベビーと同じRR方式の水冷エンジンで4輪独立車。

大手メーカーが作る後発ですから、その積載量、完成度等は、ベビーを凌いでいます。

ベビーは、ここでも脆弱な販売網がネックとなり、なかなか追撃に太刀打ち出来ません。

結局ベビーも、1962年に生産終了。

しかも、今回の大きな投資が仇となったのか、東急くろがねも完成車事業から撤退。

会社更生法の適用を受ける事となりました。






一時は倒産の憂き目にあった、東急くろがね。

その後は日産グループの傘下となり、エンジン生産工場として再出発しています。

後継となる会社は、現在も名前を変えて存続しています。






その会社は、日産工機。

一時は「REINIK」ブランドで日産ワークス活動を支えていた、あの会社です。

完成車事業では成功しませんでしたが、元はオオタの流れを汲む会社だからでしょうか、エンジン事業で活躍しています。



予想外の長さとなりました。

元東急くろがねの工場は、一体どこにあったのか?

続きは次回へ。
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Posted at 2021/01/15 10:40:33

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この記事へのコメント

2021年1月15日 12:00
こんにちは♪

上尾と言えば、ブリヂストン サイクル(自転車)の本社ぐらいしか思い浮かばないです(^o^ゞ

まぁ~いつの間にか、ブリヂストン タイヤの子会社になってましたが、(昔は子会社だったが、分社化され独立採算制でしたが……)
コメントへの返答
2021年1月15日 14:24
こんにちは。
コメントありがとうございます。

上尾市は、埼玉県内で上位にくる様な大きな街ではないのですが、ブリヂストンサイクルとUDトラックという、大企業の本社が所在する街になります。

一般的に本社は東京に、となりそうですが、ちょっと不思議な感じです。
2021年1月15日 12:44
こんにちは
UDトラックスになってからもう10年もなってしまったんですね。尤も「日産ディーゼル」の時代から「UD」って呼んでたんで違和感は無いのですが、様々翻ろうされたメーカーだったのですね。バイク同様戦後は様々なメーカーが淘汰されたようですが、今は世界的に淘汰されるような時代になってしまいました。さて、自動車業界はどうこへ向かうのでしょうか。
 
 さて、オート三輪、走ってるのは見たことないなぁ。トライクは別ですが。子供の頃近くに消防署があって、そこにポンプを積んだと思われる赤いオート三輪があったのは記憶にありますが、くろがね号だったかは定かでありません。
コメントへの返答
2021年1月15日 14:34
こんにちは。
コメントありがとうございます。

UDトラックス、日産と縁が切れた後、なんでボルボ トラックスにしないんだろう?と思っていましたが、今となっては、それで正解でしたね。

そういえば三菱ふそう、スリーダイヤが付いていますが、今はダイムラーの子会社です。

トラックメーカー、なんとも複雑で、この先安泰とは言えないのかもしれません。

むかし、日産ディーゼルなのに、なんで「UD」なんだろう?と思っていました。
ちょっと面白そうかと思いブログで下書きしていますが、いずれ日の目を見る事があるかもしれません。

オート三輪、ミゼット(丸ハンドルのMP型)以前は、実体験がありません。
なにかのイベントで、ダイハツのオート三輪を見たくらいしか、本物を見た事がありません。
2021年1月15日 14:29
こんにちは。

UDは、随分と変化したんですね 知りませんでした。

上尾周辺も自動車産業に所縁が有ったんですね!

宮原の辺りだったでしょうか
スバル系 ロビンエンジンの工場が存在してたと思います。

その跡地の現在は、ショッピングモールの様な施設だったかな?
コメントへの返答
2021年1月15日 15:02
こんにちは。
コメントありがとうございます。

日産グループから離脱する時は、大騒ぎになったので印象が強いです。
ですが、気付けば今はいすゞグループですから、ボルボと比べてどうなんでしょう?

UDは以前、川口、桶川と工場がありましたので、埼玉と縁が深い会社なんですね。

自動車工場は、以前なにか他の工場の跡地というケースが多いです。
ですが上尾の2社は、その限りにあらず。
ゼロから工場建設されています。
ちょっと珍しいケースです。

スバルのロビン工場、ありましたね。
新幹線に乗っていると見えました。

今は北本に移転し、跡地はショッピングモールに。
その名前が「ステラタウン」と、スバル自社製最後の軽乗用車にちなんだ名前です。
2021年1月15日 15:27
こんにちは。
くろがねの工場が上尾にあった事は最近知りましたが、UDの工場はむかし(日産ディーゼル時代)仕事を通じて関わりがあったので、色々と記憶もあります。
と言っても、自分の勤務先から出荷した部品の不具合で、上尾のモータープールでトラックのキャビンを開けて一台一台チェックするとか、調べた部品の製造番号を上尾現地のUDの端末に入力するとか、あまり宜しくない思い出が多いのですが(汗)。
面白かったのは、20年前後昔、上尾のUD本社にボンネットトラックのホワイトボディーがあった事です。要は使うためのボディーという事ですが、キャビンをそっくり交換するためなのか、何かのテストベッドに使うためなのか、今ではサッパリ分かりませんが。

くろがねベビーはとても意欲的な軽商用車だと思いますが、やはり会社の体力が無ければ、意欲的な商品を作っても負けてしまうという一つの例だと思います。
太田一族が指揮を執った設計という事でも、地味に重要な車の一台だと思いますが。
コメントへの返答
2021年1月15日 17:45
こんばんは。
コメントありがとうございます。

えっ!くろがねの工場、ご存じでしたか。
「上尾の自動車工場」までは分かったのですが、社名が分からず・・・
上尾在住の方も知らないと言われ・・・
桶川の間違いでは?とも言われたり・・・
しかもくろがね工場、操業期間が2年ほどだったそうで。
記録も記憶もなくて、苦労しました。

20数年、多く見て30年前としても、既にボンネットトラックは絶滅していましたよね。
それにしても、プレス単品の部品があって、溶接出来る治具があったという事なので、それは凄いですね。
でも、一体なにに使っていたのでしょうか?

自動車黎明期は、結構この手の話が多いと思います。
どんなに高性能なクルマを作っても、最後は販売力の差で決まってしまう。
思えばプリンスも、このパターンと言えるのかなぁと思えてしまいます。

プロフィール

「@中島乗り さん 真ん中も違うイタリアデザインだと思っていたのですが、念の為調べたら、三菱オリジナルなんだとか。今までセッサーノだと思っていました。」
何シテル?   05/09 12:56
クルマ、バイク、自転車と、自分でコントロール出来る乗り物が好きです。 それも日本製が好きです。 (自分で買えそうもないものには、興味が持てなくて) ...

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