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くまとっどのブログ一覧

2021年01月22日 イイね!

かつて自動車を作っていた街 〜埼玉県上尾市〜 後編

かつて自動車を作っていた街 〜埼玉県上尾市〜 後編埼玉県上尾市に存在した、もうひとつの自動車工場。

それが東急くろがね工業だった事は、前回分かりました。

では、その工場はどこにあったのか?

その調査を進めていきます。

社名と地名で検索をしていたところ、こんな資料が出て来ました。








大正製薬社史、昭和36年の記述です。

東急くろがね工場跡地を取得した、とあります。

という事は、上尾市にあった大正製薬所有地だった場所が、東急くろがねのあった場所だという事です。

早速調べた結果、この施設が出てきました。






大正製薬総合運動場


左半分は運動場で、右半分は薬草園だったそうです。

この場所、なんとUDトラックスから2km程と、非常に近接なところにありました。

まさか、こんな近くに自動車工場が並んでいたなんて・・・

実際の位置関係を、当時の航空写真で確認します。






これは1979年の写真です。

右下、テストコースのある工場が、UDトラックス。

その左上にあるのが、大正製薬総合運動場です。

その上には、西上尾第一団地が広がっています。


東急くろがねの操業期間は、1960〜1962年。

UDトラックス本社工場は、1962年操業開始です。

つまり2つの建物が、同時期に存在していた事になります。

なので、UDトラックスの工場と特徴的な西上尾第一団地を目印に時間を遡れば、東急くろがね上尾工場も見えてくるはずです。






まずは1974年。

右下、僅かに写っているのが、UDトラックスです。

その上、西上尾第一団地があり、その下側に運動場はなく更地です。

この場所、実はかなり長期間手付かずだった様です。






続いて、1972年。

これだとUDトラックス、西上尾第一団地との位置関係も把握出来ます。

この時もまだ更地です。






これは、1967年。

西上尾第一団地は1968年完成なので、まだ存在しません。

目印がなくなってしまったので、大正製薬運動場の場所は何処に?

なので今度は、違う建物を目印にします。






左が1972年、右が1967年です。

右下がUDトラックス。

1972年の写真を見ると、大正製薬運動場の左斜め下に工場の様な建物があります。

これは1967年にも存在していました。

新目印下、Yの字になった道のレイアウトも同じです。

これを新しい目印にして、探してゆきます。






今度は1964年。

新目印の建物は2つから1つに減っていますが、既に存在しています。

大正製薬運動場は、相変わらず更地ですね。

操業停止からまだ2年後なので、建物が残っているのでは?と期待したのですが・・・

そして次は、1961年。

東急くろがね、操業期間中です。

この写真に写っているはずです。






あれ? 新目印にしていた建物もなくなりました。

それにUDトラックスも、まだ存在していません。

ただ右下に建設前の更地があります。

すっかり畑ばかりになってしまい、なんだか分からなくなりました。

また再度、場所の特定をしなければなりませんね。

UDトラックスの場所と道路レイアウトから、推測します。






左が1964年、右が1961年です。

UDトラックス上側の道を左に進み、上下に走る道の上側に向かうと、新目印の建物がありました。

上下に走る道は、1961年時点で既にあります。

この道は、途中Yの字に分岐するのですが、それで確認出来ます。

Yの字の間に新目印の建物がありましたので、1961年では青丸辺りがその場所になります。

大正製薬運動場はそこの斜め向かいですから、そこが東急くろがね工場の場所になります。

ですが、工場操業している1961年なのに、そこは・・・まだ更地です。

えっ? 大正製薬跡地は、東急くろがねの場所ではないの?

これで振り出しに戻ったかぁ・・・と落胆しながら、再度1961年の写真を眺めていました。

すると・・・なんだろう、これ?






先程の新目印(青丸)の場所から更に上に進むと、大きな建物の様なものがあります。






ひょっとして、これが東急くろがねの工場?

右上には、S字やクランクのコースらしいものも見られます。

となると、これがテストコースだったのでしょうか。

おそらくこれが、東急くろがね上尾工場ですね。


となると、実際工場のあった場所は、大正製薬運動場ではなくて西上尾第一団地になるみたいです。

それにしても東急くろがね、とてつもなく広大な土地を保有していたんですね。

あの青丸の付近までもが、所有地だったのですから。

工場建屋は、半分も使っていなかった感じです。



跡地は、ちょっと予想とは外れてしまいました。

当初東急くろがねは、この上尾工場を「東洋のデトロイト」とすべく、24万坪もの土地を取得したそうです。


そういえば、大正製薬が土地を取得したのは、1961年。

まだ東急くろがねは操業中でした。

いくら業績が悪かったとしても、操業中の工場土地を取得したりはしないですよね。

おそらく取得したのは、遊休地だったのでしょう。






そんな東急くろがねの跡地にあった、大正製薬総合運動場。

現在はショッピングモールになりました。

その名は、アリオ上尾。

昨年、ここで旧車のイベントが初開催されました。

旧車イベント開催の地が、元自動車生産工場跡地。

なんとも感慨深いものがありますね。
Posted at 2021/01/22 11:17:12 | コメント(2) | トラックバック(0) | 昭和 | 日記
2021年01月15日 イイね!

かつて自動車を作っていた街 〜埼玉県上尾市〜 前編

かつて自動車を作っていた街 〜埼玉県上尾市〜 前編令和も3年目を迎えましたが、相変わらずの昭和ネタです。

埼玉県上尾市には、現在自動車の生産工場があります。





UDトラックス 本社・上尾工場


古くは「日産ディーゼル」でお馴染みだった会社です。

1999年、大株主の日産自動車が大変な事になり、あの人が登場。

日産ディーゼルもリストラの対象となり、工場閉鎖等の憂き目に遭いました。

2006年、株式の大半がボルボへ売却され、日産との資本関係は解消。

ですが、社名は変わらず。

2010年、遂にその社名も「UDトラックス」となります。

そして昨年からは、いすゞ傘下になりました。

こことは別に、かつて自動車生産工場が上尾にあったという話を、耳にしました。

それは一体、どの会社なんでしょう?

いろいろ調べていきたいと思います。

少ない手掛かりから手繰っていきましたら、こんな資料が出て来ました。






東急建設社史、昭和34年の記述です。

上尾で工場建設着手、とあります。

その社名は東急くろがね工業です。



東急くろがね工業とは・・・

東急が参画し2つの自動車会社を合併させ、1957年に誕生させた会社です。

合併当初は日本自動車工業と称していました。

その後1959年、改称して東急くろがねとなっています。


合併した会社の1つは、「くろがね」ブランドでオート三輪を生産していた、日本内燃機製造。

もう1つは、「オオタ」ブランドで小型乗用車生産をしていた、オオタ自動車工業でした。






初めに日本内燃機製造。

終戦直後は、復興需要でオート三輪は大盛況。

日本内燃機製造のくろがねも、販売が好調でした。

その後は、元々の自動車メーカーの他に軍需産業からの転換組も参入。

徐々に激戦の市場となっていきました。

最終的にオート三輪は、大きな資本と強い販売網をもつ、ダイハツ、マツダの二強に集約される事に。

日本内燃機製造の業績にも、暗雲が立ち込める様になってきました。






続いて、オオタ自動車工業。

戦前から積極的にモータースポーツ活動を行い、勝利を獲得。

高性能車のイメージを確立していました。

しかし戦後は、復興の為、まずはトラック優先の政策を施行。

乗用車メインのオオタは、スタートで立ち遅れる事になりました。

遅れて乗用車生産も再開されるのですが、小型タクシー需要に活路を見出そうとするも、強豪ダットサンが相手となり、販売が芳しくありません。

そんな戦後苦戦していた2社を東急の大資本で合併させ、起死回生を目論んだのが、日本自動車工業改め、東急くろがね工業だったのです。



合併後は、くろがねブランドの商用車を優先させます。

今度は激戦のオート三輪に見切りをつけ、新たな市場に参入を試みます。

それは軽四輪貨物、いわゆる360ccの軽トラです。

その為に新しく開発したのが、このクルマでした。






くろがね ベビー


当時の商用車の中では、非常に革新的なクルマでした。

レイアウトは、キャブオーバータイプのRR方式。

これは日本初のものです。

それまでのトラックと言えば、リジット式サス+空冷2サイクルエンジン。

とにかく頑丈で安価に作られていました。

ですがベビーは、4輪独立サス+水冷4サイクルエンジン。

他車よりも先進技術を投入する事で、商品力をアピールします。

キャブオーバーを採用したので荷台も広くなり、現代の軽トラックに近くなりました。

しかもその生産には、専用工場まで立ち上げてしまう程。

その工場こそが、今回調査している上尾工場になるのです。






1960年の発売後は、順調な売り上げを推移。

よもやくろがね復活か? そんな期待が寄せられる程でした。

ですがオート三輪と同じく、この市場にも大手メーカーが参入してきます。






スバル サンバー


いわゆる初代の「くちびるサンバー」です。

サンバーは期せずして、ベビーと同じRR方式の水冷エンジンで4輪独立車。

大手メーカーが作る後発ですから、その積載量、完成度等は、ベビーを凌いでいます。

ベビーは、ここでも脆弱な販売網がネックとなり、なかなか追撃に太刀打ち出来ません。

結局ベビーも、1962年に生産終了。

しかも、今回の大きな投資が仇となったのか、東急くろがねも完成車事業から撤退。

会社更生法の適用を受ける事となりました。






一時は倒産の憂き目にあった、東急くろがね。

その後は日産グループの傘下となり、エンジン生産工場として再出発しています。

後継となる会社は、現在も名前を変えて存続しています。






その会社は、日産工機。

一時は「REINIK」ブランドで日産ワークス活動を支えていた、あの会社です。

完成車事業では成功しませんでしたが、元はオオタの流れを汲む会社だからでしょうか、エンジン事業で活躍しています。



予想外の長さとなりました。

元東急くろがねの工場は、一体どこにあったのか?

続きは次回へ。
Posted at 2021/01/15 10:40:33 | コメント(4) | トラックバック(0) | 昭和 | 日記
2016年12月07日 イイね!

コニー グッピー

コニー グッピーこれは、avot-kunさんのブログに感化されまして、書いております。

コニーグッピーでございます。

子供の頃、その名前の響きでしょうか、覚えていました。

1961年発売、1963年までのわずか2年間だけの販売。

私が生まれたのは1967年なので、生まれる前に既に生産終了していたんですね。




その頃のキャッチコピーが「日本一安い4輪車」。

バイクからの代替需要を狙った様です。

その為に、いろいろな方法が取られています。


まずはエンジン。

当時の軽自動車の排気量規格は360ccですが、それより小さな200ccです。


続いては物品税。

当時、乗用車は贅沢品だとして、高い税率が掛かっていました。

それを軽減すべく、トラックにしている様です。

もっとも当時は、バン、トラックの商用車も、日曜日には乗用車に早変わり! だったんですけどね。

そういえば1979年に同じ手法を使って、商用車として販売した車がありました。



後の軽ボンバンブームの立役者、アルトです。

私なんかは「アルト47万円」と、そこまでまとめて覚えていました。



・・・いかん、また寄り道です。



さて、グッピーに戻って。

製造は、現在日産のグループ会社、愛知機械工業でした。

見た目とは違い、先進的な技術を盛り込んでいます。

例えば、ミッション。

こんな時代にトルコン式オートマチックです。

但し、前進1段、後進1段。

それにサスは4輪独立懸架。



そこが逆に災いだたのでしょうか・・・

当時のトルコンでは、かなり伝達効率が良くなかったかと思います。

しかも前進1段ですしね。

排気量も200ccと少ないですから、走りの面では厳しい評価だった様です。

結局、総販売台数4,645台で、生産終了となりました。


その影響なのか、愛知機械工業も赤字経営となり・・・

1965年に日産グループに入りました。


現在の車として出しても、かわいらしくて良いデザインではないでしょうか。

ただトラックだと用途が限定されてしまうので、荷台部にふたをしてトランクにして。

「コニーグッピー クーペ」なんていかがでしょうか?


Youtubeには、凄い動画がありました。

当時の愛知機械工業を紹介する、「100万人のコニー」という映像です。

前編、後編の構成です。

グッピーは後編に出てきますので、後編から。




気に入った方には、順番が逆ですが前編もどうぞ。


Posted at 2016/12/07 17:18:50 | コメント(8) | トラックバック(0) | 昭和 | 日記
2016年09月10日 イイね!

廉価版ってあったかな?

廉価版ってあったかな?今日の夜、近所でこれを見ました。



3代目グロリア、所謂「縦目」です。

このモデルは、基本設計はプリンスで行っていました。

ですが、発売時には合併していたので、初の「日産グロリア」です。

これのバン(ワゴン?)とすれ違いました。

で、その瞬間、思ったんですね。

ライト位置、低くないか?


縦目ですから、通常よりも高い位置にライトが来ると思うんですね。

でもボンネットの前端と比べると、なんかライトが低い様な・・・

あれ? ひょっとして廉価版仕様とかありましたか?

通常仕様(豪華仕様)に対して、無理やり丸2灯にする仕様。

例えば、こんなのとか。



ルーチェ レガートです。

オリジナルは、縦目の角4棟ですが、廉価版は・・・



無理やりの丸2灯です。

こういう仕様分け、むかしは結構ありました。

この車もそうでしたね。



スカイライン R30です。

これもバンになると、こうなります。



丸4灯ですね。

ジャパンでは丸4灯だったTiも、R30からは異形角2灯でGTと共用だったのに、

バンは、専用丸4灯でした。

これはこれで、かっこいいと思いますね。


で、グロリアに戻って、

あれに無理やり2灯仕様があったかな?

ネットで検索していたら、夜間の縦目グロリアがありました。



あれっ? ボンネット前端基準で見ると、普通の2灯と似てますね。

もっと極端にライトが高いかと思ってましたが、そうでもないですね。

ってことは、あれは普通の縦目4灯だったのかも?

やっぱり、無理やり廉価仕様は、ないですよね?
Posted at 2016/09/10 23:00:45 | コメント(2) | トラックバック(0) | 昭和 | 日記
2016年05月19日 イイね!

20世紀に造られた自動車・オートバイ物語 2016

20世紀に造られた自動車・オートバイ物語 20165/15、群馬県みなかみ町にあります、道の駅 たくみの里へと行って参りました。

昨年、行きつけの床屋さんが、愛車スバル360で見学に行きまして。

その話を聞いて、初めてこのイベントの存在を知った次第です。


ちなみに床屋さん、今年は不参加でした。

その心は・・・

みなかみ町は、群馬県北部の山合いの町。

私の様な南部からだと、結構山を登って行くことになります。

国道17号線をそこそこハイペースで駆け上ったスバル360は、到着するやエンジン不調に・・・

ということで、今年はお休みだそうです。

YSRで行った私も、似た様な思いをすることに・・・

では、気になった車のご紹介を。



フェアレディ 240ZG

普段、こういうドメシャーな車は撮らないんですね。

きっと、どなたかが紹介して下さるので。

でも、この車は撮らずには入られませんでした。

ここまでノーマル然とした240ZGは、初めて見ました。

「オーバーフェンダーなしでも、十分収まるくらいのトレッドでは?」なんて、邪心を持ってはいけません。

工場からラインオフした、ほぼそのままの状態でここにある、ということに、私は感動です。



117クーペ

ベレGミラーがいい味を醸し出している、後期角目です。

注目は、その角目。



これって、プロジェクターヘッドライトですよね?

しかもボディは、SAE規格。

すごいですねぇ、こんなものがあるとは知りませんでした。



プリンス グロリア

この車は「スーパー6」なので、スカイラインGT(S54)の元になる、2000cc、直6のG7搭載車です。

バンパーには、クランク棒用の穴がまだ開いていたんですね。

でもG7をクランク棒で始動するなんて、どんな罰ゲーム?



スカイライン(R31)

やっぱり外せませんね、スカイラインは。

前期ツインカムターボのパサージュでした。

いい具合に時代感を残しています。

ところで、R31ってこんなにトレッドが狭かったでしたっけ?



サニー1200 GX5

いわゆる「直結5速」(ギヤ比:1.00)のGX5です。



やっぱりこの車といえば、KP47との死闘を演じた、TSレース。

富士の最終でKP47の背後につければ、長いストレートでスリップを使い、ツインカムをぶち抜く10,000rpmオーバーのOHVエンジン!

その性能からホモロゲが切れても、延長を続けて現役で戦い続け・・

いよいよホモロゲ切れになっても、その速さ故に暫くはヒストリックカーレースからも締め出されていたと言う、逸話もある名車です。



あっ、この車有鉛ガソリンだったんですね。



室内には、手作りなんでしょうか「サニーちゃん」が。

この緩さが、堪りません。



そして、今回1番驚いたのが・・・



スカイライン(ER34)

しかも、うちのと同じGT-V

いやぁ、びっくりしました。

初めて見ました、自分の以外の前期GT-V。

そうかぁ、「20世紀の車」だから参加できるんですね。

こちらの車、中期型でして。



なるほど、エンジンカバーの「NEO6」が、赤文字ではなくなっています。

それにしても、素晴らしくきれいな車でした。

ぱっと見はノーマル風ですが、ちょっと車高が下がっていたり。

過度に手が入っていないところに、好感が持てます。

私も、こういう方向で行きたいんですよねぇ。


でも車高は少し下げてもよかったのかなぁ。

最近、ノーマルスプリングのままでショックのみ交換したのですが・・・

この車を見ちゃうと、うちのはラリー仕様みたいです。




帰りはハイペースな国道を使わず。

広域農道「利根沼田望郷ライン」を使いました。

ここは交通量、信号が非常に少なく、景観もいいです。

なので楽しめるドライブコースです。

ただ難点が1つ・・・

結構な山間を走るので、勾配がかなりきついです。

YSRの場合、3速50km/hで限界、なんてことが多々ありました。

その反面、下りは堪能できますよ。


今月は、イベントめじろ押し。

5/22は、地元前橋の商店街であります。

ここはアーケードの下なので、雨天でも大丈夫。

でも日曜日は晴天の予報なので、心配ないですがね。
Posted at 2016/05/19 02:14:12 | コメント(2) | トラックバック(0) | 昭和 | 日記

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「@中島乗り さん UDの意味、時代と共に変わりますね。私が学生の頃、先生からは「ユニフロー ディーゼル」の略だと教わりました。」
何シテル?   05/30 12:53
クルマ、バイク、自転車と、自分でコントロール出来る乗り物が好きです。 それも日本製が好きです。 (自分で買えそうもないものには、興味が持てなくて) ...

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