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くまとっどのブログ一覧

2020年03月27日 イイね!

北恵那鉄道の遺構

北恵那鉄道の遺構またまた誕生日会の続きです。

岐阜県八百津町で皆さんと別れ、一路群馬へ。

快適だったR418を駆け抜け、工事中で寸断された先は酷道な県道。

まずは目的地を中津川に据えて突き進み、木曽川を渡る頃、それはありました。





北恵那鉄道 木曽川橋梁跡


北恵那鉄道は、中津川市の中津駅~下付知(しもつけち)駅間の22.6kmを結んでいた鉄道です。

ですが1978年、惜しまれながら廃線となってしまいました。

通常廃線になると、線路や鉄橋は鉄として売却出来るので、取り外されてしまう事が多いのです。

ですがこの北恵那鉄道、撤去費用との兼ね合いなのでしょうか。

42年の時を経ても、鉄橋が残っています。






廃線前、1977年の航空写真です。

写真中央より、僅かに右側、線路のたくさんある所の右側が国鉄(現JR)中津川駅。

その斜め左上、線路を渡ったところにあるのが、北恵那鉄道中津町駅になります。

写真上方に向かい曲線を描き、進んだ先にある木曽川。

そこに掛かる2本の橋のうち、左側が現役時代の木曽川橋梁です。







そして現在に戻り・・・

木曽川の川べりまで降りてきました。

間近で見ると、このスケール感。

圧倒されるものがあります。

こんなに大きな廃線遺構があるのは、非常に珍しい事です。






築堤まで上がってみました。

実はこのトラス構造、ちょっと低いそうなのです。

なので、通過する電車がパンタグラフを上げたままでは、接触してしまうのだとか。

その為、トラス橋の前後でパンタグラフを下げ、ここは惰性で通過していたそうです。


木曽川橋梁のそばには、恵那峡口駅もあったそうで・・・

付近に行ってみましたが、それらしい遺構は見つかりませんでした。






今回はなんの事前調査もなく立ち寄りました、北恵那鉄道。

実は、かなりの鉄道遺構があるのだそうです。

ここの他にも、鉄橋が残っていたり・・・

見つけられなかった恵那峡口駅にも、ホームの台座が残っているらしいとか・・・

また岐阜へ行く機会もあるでしょうから、今度はもう少し事前準備をしてから臨みたいと思います。
Posted at 2020/03/27 10:09:48 | コメント(4) | トラックバック(0) | 遺構 | 日記
2017年06月21日 イイね!

空間が歪んでいるのか?

空間が歪んでいるのか?もう、かれこれ30年くらい前の、とある夏の日。

友人が住む、千葉県の津田沼へ行った時の話です。

当時は東京に住んでいたので、往路はR14の千葉街道で行きました。


そして夜になり、さて帰ろうかと。

復路も同じR14で帰ればいいのですが、そこは変わり者の私。

あえて、違う道で帰ることにしたのです。

ですが、当時は千葉に土地勘はなく。

当然ナビもなければ、地図も持っていません。

津田沼〜自宅までは、約40km。

まぁ、だいたいこっちかな?という見当で走っても、帰れるだろうなぁと。

で、とりあえず走り出しました。




自宅は、津田沼から北西の方向。

真っ直ぐに繋がる、そんな都合のいい道はありません。

ちょこちょこ曲がりながら、方角を修正して走ります。

そして曲がった、とある交差点。

夜なので交通量も少なく、あたりも薄暗い道でした。。


程なくして・・・あれ??

この景色、さっき見たのと似てるなぁ。

いや違うぞこれ、似てるんじゃない、同じだ!

さっき走った場所に戻ってるぞ!

なんで? どういうこと?

ここは、空間が歪んでいるのか? 


実は私の走っていた場所は、こういうところだったのです。




千葉県船橋市 行田団地
 


ここの外周路に、入ってしまったのです。

この道の直径は、約800m。

夜だったこともあり、大きく曲がっていることに、気付かなかったのです。

そもそも、円形の道があるなんて、思いもしません。

なんで、こんな道なのでしょう?

元々は、これがありました。




海軍無線電信所 船橋送信所

1915年開所。

1945年、終戦に伴い、進駐軍が接収。

この写真は、1948年(昭和23年)なので、接収後です。

中央の少し上側に、うっすら円形の道が見えます。

円の上半分側に、2本のアンテナが見えます。

ちなみに、左上のオーバルトラックは、中山競馬場です。




これは1975年の写真です。

1966年に返還され、1976年の運用開始に向けて、造成中です。

ちなみに、円の左端には、武蔵野線も工事しています。

カラーで、まだ建造物が少ないので、円形道路がよくわかります。


まさか、街中に直径800mの道があるなんて・・・

地図で見ると、ちょっと異様な光景ですよ。
Posted at 2017/06/21 10:20:13 | コメント(4) | トラックバック(0) | 遺構 | 日記
2017年03月25日 イイね!

失われしものを訪ねて in FSW

失われしものを訪ねて in FSW先日行きました、富士スピードウェイ。

実は、これが人生初のFSW。

FSWと言えば、もう1つ見ておきたいものがあったんです。

FSWというよりは、FISCOの遺産ですね。



30度バンク


FSWがオープンした50年前は、このバンクを含めた6kmのコースでした。



メインストレートを過ぎれば、真ん中のヘアピンまではアクセルのオンオフだけで、ブレーキングポイントがない、とさえ言われる程の高速サーキットです。

初期のコースレイアウトは、デイトナ スピードウェイの様なトライ オーバルだったそうです。

狙いは、アメリカン モータースポーツだった様ですね。



ですが現地に行くと分かりますが、ここはかなり起伏があります。

基本的に平坦地にあるオーバルコースを作れる様な、環境ではないのです。

そこでコースレイアウトが、アメリカンから地形を生かしたヨーロピアンに変更されました。

「富士スピードウェイ」が「富士サーキット」ではないのは、この時の名残です。

バンクがあるのも、同じ理由です。



ただこのバンク、非常に危険なものでした。

開業年の日本GPで、コースアウトする死亡事故が発生。

その後も1973〜1974年の富士GCで、バンク内で多重クラッシュによる死亡事故が発生。

その結果、1974年の事故を持って、バンクは閉鎖されました。




現地に立つと、想像以上の迫力です。

今より長い1700mのストレートの後、下りながらの30度バンク。




奥に見えるのがバンクで、手前で右に曲がっているのが当時の1コーナーです。

ストレートエンドでは、フロントスクリーンからは、バンクしか見えなかったらしい。

招致された海外レーサーは、バンク手前では一度スロットルを戻したそうです。

というか、戻さないと恐怖でアプローチ出来なかったとか。

そこを日本のレーサーは、バンク終わりまでフラットアウト!

600psのグループ7でですよ!

正気の沙汰とは思えません。



間近で見るバンクは、結構な角度です。

上に行くほど角度が強いのか、曲線の様に見えます。

幅は想像より狭いです。



ここで、日産R382,、トヨタ7、ポルシェ917のプロトマシン。

スカイラインGT-R、サバンナRX-3のツーリングカー。

数々の死闘が行われていた場所なのかと思うと、感慨深いです。



いろいろと負のイメージもありますが、よくぞ残してくれた、と思います。
Posted at 2017/03/25 12:29:55 | コメント(4) | トラックバック(0) | 遺構 | 日記
2016年11月01日 イイね!

失われしものを訪ねて in 埼玉

失われしものを訪ねて in 埼玉先日、所沢のイベントに行きまして。

その道中、ちょいちょい寄り道をしてました。

テーマはタイトル通り。

今は忘れ去られてしまったもの達を、見に行っています。

まずは、こちら。



西武鉄道 安比奈(あひな)線

入間川で採取した砂利を運ぶ為の、貨物線跡です。

ここから西武新宿線 南大塚駅まで、3.2kmの路線でした。

開業は1925年。

その後、川砂利採取規制等があり、1967年には休止。

現在の扱いは、廃線ではなく休止線です。

なので、地図上にも残っています。

ただ、途中国道16号線等の主要幹線道路があり、線路はアスファルトの下だったり撤去されたりで。

とても復活する様には、見えません。

撮影場所の後ろも道路があり、全く線路の痕跡はありません。




道を挟んだ反対側です。

おそらく線路がありますが、草で見えません。

以前、写真で見たのですが、この辺りの木は落葉樹なので、冬になるといい雰囲気の廃線感が漂います。

そしてとうとう、今月11月末にて廃線となってしまうそうです。



磯村建設 柏田ニュータウン

1980年前半、関東圏で小学生だった方にはおなじみの磯村建設。

このメロディ、最後の電話番号が忘れられません。



分譲していたのは、埼玉県寄居町、男衾(おぶすま)駅界隈。

ここって一体どこにあるんだろう?

ずっと気になっていました。

分譲地なんで、だいたい畑の真ん中にボンッとあったりするですよね。

確かに、それらしいところは、いくつかある。

でもどれが磯村建設分譲地なのか、確証がない・・・。

噂では、ホンダが寄居工場建設時に潰されてしまったとか。

いろいろと憶測が流れていました。


それが今年になって、分譲地を探し当てた方がおりまして。

当時と現在を写真で比較して、きっちり検証もされていました。

疑いようもない程の見事な検証結果。

しかし、ちょっと残念だったのは・・・

この近所、よく通っていたのに、全然気付かなかった!


ここも建設されてから、もうすぐ40年。

一般住宅としては、建て替えでいつなくなっても不思議ではないですね。

今のうちに見ておかねば。

で、今回見てきました。


行ってみてわかったこと。

これ、私には見つけられません。

今回は、新旧対比した写真があったので、それを確認するだけですから、これは簡単です。

でも、旧の写真だけで現状の家を見ながら探すなんて、とても出来そうにありません。

事実、改築、壁の塗り替えが施されている家もありましたから。

でも、長年の謎が解けました。

ちゃんと磯村建設分譲地は、存在していました。



山水電気 埼玉事業所

すみません、これだけ下準備が不十分で、現地で撮影が出来ていません。

Google ストリートビューでご勘弁を。

ここは浦所線(現国道463号線)沿いにあります。

東京に住んでいたバブル期、ときがわ町の堂平天文台とか刈場坂峠あたりに行く時に、通っていました。

すると、道端にこんな建物があったんです。



これがサンスイ 埼玉事業所です。

サンスイといえば・・・

1970年代のオーディオ御三家「サン トリ パイ」の1つです。

ちなみに、「サン」が山水電気、「トリ」はトリオ(現ケンウッド)、「パイ」はパイオニアです。

この特徴的な格子の外観、これがイメージになっています。



スピーカーのグリルなんですね。

でも、サンスイといえばアンプのイメージが強いのですが・・・

残念ながら、山水電気は2014年に破産。

この埼玉事業所は、1991年に売却されてしまいました。


建造物等を残すという考え方は、日本では一般的ではありません。

それよりも、スクラップ アンド ビルド。

特に東京では、2020年のオリンピックに向けて、一気に加速しそうです。

こまめに記録しておかなければ、なりませんね。
Posted at 2016/11/01 20:05:39 | コメント(4) | トラックバック(0) | 遺構 | 日記
2016年05月14日 イイね!

グランドツーリング GO! GO! 失われしものを訪ねて編

グランドツーリング GO! GO! 失われしものを訪ねて編すみません、ちょっとネタ引っ張りすぎ感も否めませんが・・・

今回のグランドツーリング GO! GO! 、実はサブテーマがございまして。

それが「失われしものを訪ねて」なんです。


わたくし、プロフィールにも記載しておりますが、遺構調査が好きでして。

いえいえ、なにも化石発掘だとかの学術的なものではありません。

むかしはあったのに、いつの間にか消えてしまったものを探したりするんです。

今回の道中にも、そういったものがございます。

まず初めはこちらから。


~南部縦貫鉄道~



1962年 野辺地~七戸間にて開業

1997年 休止

2002年 廃止


この鉄道の特徴は、なんといってもレールバス。

運転席には、クラッチもシフトレバーもあり、バスとの違いはハンドルがないくらいなもの。

前々回のブログに上げましたが、休止後の西千曳駅跡にも行ってます。

おそらく休止翌年の1998年ではないかと。

あれから18年・・・

西千曳駅跡はどうなったのでしょう?

再度探しに行きます!


当時それほど事前調査もなく、比較的簡単に見つけられました。

確かに当時の写真にも、周りには住宅、道路が写っているので、いわゆる秘境駅ではなかったはずです。





ヒントは、左側の家でしょうかねぇ。

ネットと記憶を元に、それらしいところを走ってみましたが・・・

わからない?・・・

今度はむかしの地図を見ながら、ゆっくりと逆戻り。

おやっ? 周りの道の状況から、ここが怪しいかも。



でも、自信がありません。

どうにも駅跡には見えません。

で、反対側はというと。



この左端の建物は!!

ってことは、ここが西千曳駅跡?

でも、もうちょっと証拠がないものかと・・・



ん?・・・・

ひょっとしてこれは・・・



遮断機の台座跡ですね。



そうすると、これが線路跡。

いやぁ、これ初見だったらとても廃線跡には見えません。

さすがは18年の年月・・・

すっかり痕跡を消し去っています。


〜大間線〜

昭和初期、 大間町にあった海軍要塞への物資運搬用、また青函連絡船の代替航路(青森大間〜北海道戸井)接続用鉄道として、1937年より建設開始。

しかし、1943年に戦況悪化の為、工事中断。

これは先程の南部縦貫鉄道とは異なり、開通していなかった為、未成線となります。



ちょっと、わかりにくいのですが・・・

国道279号線沿いに、時々こんなコンクリート橋が見えます。

これが鉄道計画線の跡です。



これは2009年の写真ですが・・・

風間浦村にあるコンクリートアーチ橋は、観光地として整備されています。

中程右側の東屋は、足湯になっています。


〜松尾鉱山跡〜

実は、これが今回のメインだったかもしれません。

岩手県八幡平市にあった鉱山跡です。

1911年、硫黄鉱山として本格的な採掘開始。

1969年、閉山。

1960年代、鉱業は主力産業となっていました。

多くの鉱山では、当時最先端の設備を整えた住居等が多くありました。

その代表的な例は、長崎県端島炭鉱(軍艦島)です。

2015年には、明治期の産業遺産として世界文化遺産に登録されています。

ここ松尾鉱山跡、別名「地上の軍艦島」とも呼ばれます。







八幡平アスピーテラインより少し入ったところにある、緑が丘アパート跡です。

何もない山の斜面に突如現れる巨大廃墟群は、圧巻です。

いつもは青森からの帰路で近くを走るのですが、今回あえて高速を降りて行ってきました。

有名な場所でもありネットにも写真がありますが、実物を目の当たりにすると、その存在感に圧倒されます。


ということで、やっぱりこちらがメインテーマだったかも?

今回のグランドツーリング GO! GO!

これにて幕引きとさせていただきます。
Posted at 2016/05/14 07:31:29 | コメント(2) | トラックバック(0) | 遺構 | 日記

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「@中島乗り さん UDの意味、時代と共に変わりますね。私が学生の頃、先生からは「ユニフロー ディーゼル」の略だと教わりました。」
何シテル?   05/30 12:53
クルマ、バイク、自転車と、自分でコントロール出来る乗り物が好きです。 それも日本製が好きです。 (自分で買えそうもないものには、興味が持てなくて) ...

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