• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

くまとっどのブログ一覧

2016年03月27日 イイね!

もしも、スバルの星が7つだったら・・・

もしも、スバルの星が7つだったら・・・「スバル」のブランド名で自動車生産をしている会社、富士重工業。

その起源は、航空機メーカーの中島飛行機です。

戦時中は、多くの戦闘機生産に携わっていました。


そして迎えた1945年の敗戦。

同社は富士産業と改称し、平和産業への転換を模索し始めます。

しかし、GHQからは財閥会社と指定されてしまいます。

その結果、解体命令を受け、15社へと分割されました。


しかし、1950年に勃発した朝鮮戦争。

これによって、GHQの政策が変わります。

日本の工業を、この戦争の為に活用することとなったのです。

まずは1952年、航空機製造法が成立し、日本での航空機事業再開が見えてきました。

それに対応させるべく、旧中島飛行機の再合併が動き出します。

以下5社の出資により、1953年、富士重工業が発足します。

・東京富士産業(旧本社、旧三鷹研究所)
・富士工業(旧太田製作所、旧武蔵野製作所)
・富士自動車工業(旧伊勢崎製作所)
・大宮富士工業(旧大宮製作所)
・宇都宮車両(旧宇都宮製作所)

そして1954年、富士重工業が出資5社を吸収合併し、現在の形になります。

六連星には、出資5社+全体を統括した富士重工業の計6社を表現しています。




富士重工業合併の5社には、特徴があります。

三鷹研究所、大宮製作所を除くと、他は車体系製作所なのです。

しかも大宮製作所は汎用エンジンで、三鷹は研究所です。

では、エンジンの主製作所は、どうなったのか?

エンジンは、ここが主体となって開発、生産されていました。



杉並区荻窪にあった、東京工場です。

ここは、分社化される際に富士精密工業となりました。

同社は、旧中島飛行機再合併が本格化する1952年の前年、株主が石橋正二郎に替わり、ブリヂストン資本になりました。

その為、再合併協議には参加していません。

後の富士精密工業は、旧立川飛行機のたま自動車と合併。

後にプリンス自動車へと社名変更します。

その後、この様な車を誕生させています。



プリンス スカイライン




プリンス R380



歴史に「もしも」はありませんが・・・

もし、富士重工業発足が、あと1年早かったなら・・・

きっと、7つ目の星として、富士精密工業も再合併に参加していたでしょう。

そうなっていれば、スカイラインもR380もスバルです。

当然、この車もスバル車です。



スカイライン GT-R (R32)

きっとこの車も、マルク アレンから「No Engine!!」なんて言われなかったでしょうね。



スバル レガシィ


もし、スバルの星が7つだったら・・・

日本車の歴史は、全然違うものになっていたかもしれませんね。
Posted at 2016/03/27 02:26:12 | コメント(1) | トラックバック(0) | スバル | 日記
2016年03月24日 イイね!

猫バンバン ステッカー製作

猫バンバン ステッカー製作最近、巷で話題になっております・・・あれです。

猫バンバン

キャンペーンスタート当初に、マグネットステッカープレゼントがありまして。

それに応募したんですね。

我が家は、かみさん、息子が大の猫好き。

きっと喜ぶだろうなぁと。

で、結果は・・・見事落選。

まぁ、残念ですね。


でも面白いことに、キャンペーンサイトから、画像データがダウンロードできるんですね。



へぇ〜、ってことは自作してもいいってことなんだ。

落選してしまったので、やってみることにします。

で、準備したのが、これ。



手作りステッカー用シートです。

これは、印刷用シートと保護フィルムの2枚セットになっています。

印刷用シートにプリンターで印刷し、クリアの保護フィルムを重ねて貼り付けた後、カットするんですね。



まずはサイズ確認の為、A4紙にプリントしました。



うわぁ、結構大きいですね。

長さが150mmくらいですか。

もうちょっと小さい方が、使いやすいかな。

で、半分くらいの長さ75mmで印刷しました。

完成品が、こちら。



多少の粗はありますが、まぁいいんじゃないでしょうか。

それにしても、この手作りステッカーシート、便利ですね。

これ以外でも、いろいろと応用が出来そうです。
Posted at 2016/03/24 07:36:22 | コメント(1) | トラックバック(0) | よもやま話 | 日記
2016年03月19日 イイね!

私のクルマ原体験

私のクルマ原体験わたくし、クルマ好きを自認しつつ、まもなく半世紀。

そのきっかけを紐解くべく、過去のアルバムを開いてみました。



おそらく1歳過ぎくらいでしょうか?

叔母に支えられている様なので、2歳にはなっていないと思います。

昭和40年代前半の女性は、まだ和服姿が多かったですね。

注目は、後ろのトラック。

父の勤務先での社用車です。

トラックの後ろ姿って、どれも似たり寄ったりですねぇ。

取りあえず、メーカー名は書いてあります。

正解はこれです。






プリンス クリッパー

当時、父は酒問屋で配達をしてました。

ルートがうちの近所だった為、幼稚園時代によく乗せてもらってました。

その頃は、クリッパーもこのプリンスから日産に替わってました。

幼稚園の近所で乗せてもらい、配達後、私も自宅へ配達。

その後、父は次の配達先へ。

クリッパーに乗る時は、もう山にも登る様な勢いでしたね。

むしろ、父に積み込まれる方が近かったかも。

助手席の幼稚園児が、2トン車のクリッパーから見た街並み。

それは感動的でした。

ただ、1か所あった橋から川面を見た時は、ちょっと怖かったかな。




これは3歳くらいで、弟との写真です。

ちなみに、右が私。

ここも、注目は車です。

実はこれ、弟と車を乗り換えているのですが・・・

私の愛車は左の日産R382です。

アルバムにも「日産R382と」というタイトルが、母の字で記されています。

ということは、この車を「レーシングカー」とかではなく「日産R382」だと認識していたんですね。

当時、いくら第1期レースブームだったにしても、母の様な年代の女性で「日産R382」を知っている人は少なかったのではないでしょうか。

ここにも父の影響が、及んでいるのでしょう。




一緒に写っているのが、父の勤務先での社用車、チェリーバンです。

初代のモデルで、全体はこんな感じ。



当時、社用車が休日に社員のファミリーカーになっているケースは、少なくなかったかと思われます。

この写真の現場、母の実家で長野県なんです。

うちから200kmくらいはありますかねぇ。

当時は関越道などありませんから。

中山道をひた走る、でした。

更にはこのチェリーで、父の実家、宮城県へも帰省してました。

夕方に出発して、翌朝到着だったかな。

私も子供ながらに、頑張って寝ない様に頑張っていましたね。

当然、無理でしたが。

そんな訳で、チェリーはすっかり自家用車だと思い込んでいました。


ある日、チェリーが代替えになると父から聞かされまして。

チェリーがいなくなる・・・悲しかったですねぇ。

泣いて懇願するも、当然覆りませんでした。

なんせ社用車ですから。

程なく、チェリーは関連会社さんの社用車として転売されたそうです。


暫くして、いつものクリッパーでの配達便乗の時に、「チェリーを見に行こう」ということになり、転売先の会社の前を通ったんですね。

そうしたら、確かにいました、チェリーが。

でも、うちにいた頃の面影はなく・・・

社用車ですから、なんだか乱雑な扱いを受けている様で、くたびれた感じになっていて・・・

子供ながらに「見るんじゃなかった」って思いましたね。


こんな具合で、いろいろと父から英才教育を受けていた私。

まもなく人生半世紀になろうとしていますが、未だに何にも変わってないんですね。

Posted at 2016/03/19 13:26:04 | コメント(7) | トラックバック(0) | 昭和 | 日記
2016年03月12日 イイね!

フェラーリ 車名の謎

フェラーリ 車名の謎すみません、先月のお話です。

みん友の「白銀の豚」さんにお願いして、宇都宮で開催されたFMM (Free Motor Meeting)に、同行させて頂きました。

このイベント、参加車両が多岐に渡っております。

ジャンル、年代、生産国、果ては車輪の数までも不問です。

で、今回琴線に触れた車両がこれ。



フェラーリ 512BB

スーパーカー世代の私には、ジャストミート!

当時でも、こんな間近で見たことはありません。

それにしても、グッドコンディション!

オーナーさんの情熱が伺い知れます。



リアフードも開けて頂き、エンジンも間近で見られました。

圧巻の5L 12気筒、フラットエンジンです。

そうですよね、BB、即ち「ベルリネッタ・ボクサー」ですからね。



・・・・でもね・・・・

このエンジン、ボクサーエンジン、即ち水平対向ではないのだそうです。

実は・・・V型180度。

今回、ブログを書くにあたり調べていて、初めて知りました。

厳密に言うと、看板に偽りあり? ってことなんですかね。


あと、他にも気になることが・・・。

DOHCなのに、センタープラグではないんですね。

これも、今回初めて知りました。


更には・・・

フラットエンジンですが、ヘッドカバーがよく見えますよね?

元々フラットエンジンは、低重心を狙ってのレイアウトかと。

これだけヘッドカバーが見えるってことは、実はあまり下に搭載されていないんですね。


これには理由がありまして・・・

1026さんのブログにありました。

このエンジンの下に、ミッションとデフがあるそうです。

つまり2階建てなんですね。



こんな具合です。

写真はテスタロッサですが、レイアウトは512BBも同じです。

こういう搭載位置だったので、重心も若干高めです。

でも、きっとエンジンとデフを、同じ高さにしたかったのでしょう。

そうすると、問題が・・・

エンジン+デフの機関部が長くなり、室内が狭くなってしまいます。

それを避けるために、2階建てにした様です。

また、エンジンの一部が後輪車軸上にあるため、ミッドシップですがちょっとリアヘビーです。

もしかすると、本当はこの車の様なレイアウトにしたかったのかも、しれません。



フェラーリ 312T

最後の「T」は、「横断」を意味するトランスバースの頭文字です。

このトランスバースは、ミッション横置きを意味しています。

通常こんな感じで、縦置きエンジンの場合、ミッションも縦置きです。



ちょっと古い車ですが。

これは、フェラーリ158F1で、まだ1.5L時代のF1です。

後輪車軸より後ろにあるのがミッションです。

でもこうすると、重心から一番遠いところに重量物が来るので、コーナリング性能には悪影響です。

そこで考えられたのが、312Tの横置きミッション。

これは、ミッションをデフの下に横置きしています。

なので、後輪車軸より後ろが出っ張っていないんです。

リアウイングの支柱を見ると、分かりやすいですね。

きっと、512BBでもこうしたかったのかなと、思います。

でも、なにか問題があって、踏み切れなかったのでしょうかねぇ。


ですが、ここから13年後。

市販車でもトランスバースミッションが登場します。



フェラーリ モンディアルT

この車は、V8縦置きエンジンに横置きミッションを採用しています。

もっとメジャーな車では、これもそうです。



フェラーリ 348ts

知りませんでいた・・・

車名の「t」が、トランスバースだったとは。


不惑の年も後半になっている私。

まだまだ、新しく知ることがありますね。

これだから、車って面白い。
Posted at 2016/03/12 16:00:11 | コメント(2) | トラックバック(0) | メカニズム | 日記
2016年03月10日 イイね!

セドリック・グロリア展 〜後期〜

セドリック・グロリア展 〜後期〜みん友のparl-siroさんのブログで知りました。

3/31まで、セドリック・グロリア展示イベントが、日産グローバル本社ギャラリーにて開催中です。

先日、綱島にあるTRDまで行きましたので、同じ横浜の日産ギャラリーまでは30分ほど。

折角なので、続けてみなとみらいへGOです。


今回は後期展示。

前期は230系と330系の両セダン。

フォーマルな装いの2台でした。

後期は、パーソナルなこの2台。



セドリック 4ドアハードトップ 2000デラックス(KF230)

子供の頃、多分にドラマの影響で、230型といえば爆破か横転。

そんなイメージを持っていました。

今回は、セダンではなく4ドアHT。

日本初のセンターピラーレスの4ドアHTです。

センターピラーレスを、日産は積極的に採用していましたね。

開発時の映像も流していましたが、やはりボディ剛性確保に相当苦労していた様です。

非常に開放感があるものの、現在の安全技術に慣れてしまうと、ちょっと不安でもあります。



セドリック ツインカムターボSV (Y31)

今回のお目当ては、これ。

かっこよかったですねぇ、Y31。

実は、今回驚いたことは。

Y31って、まだセンターピラーレスだったんですね。

1991年といえば、そろそろ安全気運も高まってきた頃。

日本初のエアバックも採用され始めていました。

この頃は、ちょうど過渡期だったんですね。


それにしても、当時Y31には驚きました。

プロジェクト901により、会社自体がオーバーステアだった頃。

まさかセドリックで、これをやってくるとは。

ライバル、クラウンとは全く違う個性を主張出来ていましたね。

セドリックとしての存在感を、十分にアピール出来ていたと思えます。

ここまでやれば、ほんと「やっちゃえ、日産」ですよ。


車にとって大切なもの。

それは、高級感よりも運動性能の向上だと、突っ走っていた頃の日産。

こういう日産が、「技術の日産」だと思うのですよ。

そんなビフォアーゴーンさん時代の日産が、私は好きです。

今、R34スカイラインに乗っているのも、そんな理由から。


でもね・・

今の日本では、車に興味のない人が多数を占めているのではないでしょうか。

ということは、10年後笑っているのは、自動運転を躍起になって開発しているアフターゴーンさんの日産なのかなぁ、と。

残念ではありますが・・・

このままでは「やっちゃったな、日産」なんて、笑っていられなくなる様な気がします。
Posted at 2016/03/10 01:39:46 | コメント(2) | トラックバック(0) | イベント | 日記

プロフィール

「@中島乗り さん UDの意味、時代と共に変わりますね。私が学生の頃、先生からは「ユニフロー ディーゼル」の略だと教わりました。」
何シテル?   05/30 12:53
クルマ、バイク、自転車と、自分でコントロール出来る乗り物が好きです。 それも日本製が好きです。 (自分で買えそうもないものには、興味が持てなくて) ...

ハイタッチ!drive

みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2016/3 >>

  1 2345
6789 1011 12
131415161718 19
20212223 242526
2728293031  

リンク・クリップ

エコからオフ in 呉 追加情報 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2023/10/06 17:02:28
【告知】令和5年、那須合同ミーティング開催日決定♪  
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2023/02/27 12:42:29
ダァ〜イアトーン♬ ポップスベスト10っ♪ 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2022/03/14 12:53:29

愛車一覧

ホンダ N-ONE ホンダ N-ONE
2019年購入 インサイトが追突事故により修理不能となり、代替えしました。 購入候補 ...
ヤマハ YSR50/80 ヤマハ YSR50/80
1999年購入 当時RZ250Rに乗ってましたが、ビビリィな私、とても性能を使い切って ...
スバル スバル360 スバル スバル360
2019年購入。 ヘッドランプリングの黒塗装、大型のテールライトから、1968年の52 ...
スズキ ジェンマ スズキ ジェンマ
2017年購入 「購入」と言っても、物々交換で入手しています、スバル最中と。 友人がお ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation