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かぼちゃプリンのブログ一覧

2019年01月31日 イイね!

兵庫県 高砂線跡探索

高砂線跡探索






記事はウィキペディアより引用しました


旧高砂線
1913年(大正2年)
播州鉄道 加古川町駅 - 高砂口駅間(2.9M≒4.67km)が開業。
1923年(大正12年)
播丹鉄道に譲渡

1943年(昭和18年)
播丹鉄道の国有化により、高砂線となる

国鉄再建法の施行により特定地方交通線に指定された後も、
高砂工場の存在や沿線人口の多さから楽観視されていたが、
高砂工場の閉鎖が決まり、また尾上 - 高砂北口間の第二加古川橋梁の
老朽化から第三セクター鉄道への移行は断念され、廃線となった。


1984年(昭和59年) 2月1日:
高砂駅 - 高砂港駅間 (1.7km) が廃止。全線の貨物営業が廃止。
12月1日:
加古川駅 - 高砂駅間 (6.3km) が廃止。


旧高砂駅跡

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駅前ロータリー??
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線路跡横にある銭湯

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腕木式信号機

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高砂駅跡から山陽電鉄高砂駅(加古川方面)を望む

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高砂工場方面の線路跡

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国鉄高砂工場の概要
第二次世界大戦末期、空襲により甚大な被害を受けた鷹取工場の
代替を急務として
昭和21年 旧陸軍 大阪陸軍造兵廟播磨製造所の施設を転用して発足
特急形気動車(キハ80系など)の修繕が開始し、
北は青森、南は鹿児島と当工場の受持ち車両が広範囲まで運用されていた。
特急形気動車については全国の52%の車両を受け持つまでに成長。

1983年には14系客車を改造したサロンカーなにわを登場させた

1983年(昭和58年)9月:高砂工場を閉鎖し、鷹取に集約することを最終決定

Posted at 2019/02/02 07:34:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | 廃線跡探索 | 趣味
2018年06月28日 イイね!

信越本線 横川~軽井沢間 

信越本線 横川~軽井沢間 

碓氷線
信越本線  横川 - 軽井沢間








碓氷峠を越えることから「碓氷線」、また横川と軽井沢から「横軽(よこかる)」とも呼ばれる。


延長11.2 kmの間に18の橋梁と26のトンネルが建設され、
着工から1年9か月後の1892年12月22日に工事が完了し、
翌1893年4月1日に官営鉄道中山道線(後の信越本線)として
横川 - 軽井沢間が開通した。

信越本線の碓氷峠区間(横川 - 軽井沢間)は、
長距離旅客が新幹線に移行する反面で
県境を越える即ち住環境を跨ぐローカル旅客数が見込めないことや、
峠の上り下りに特別な装備が必要で維持に多額の費用がかかるとして
、第三セクター鉄道などに転換されることなく廃止された。

旧碓氷線の廃線部分11.2 kmのうち、
群馬県側の約10 kmは碓氷郡松井田町(現・安中市)が買収



横川駅から丸山信号場までの旧線下り線を使ってトロッコ列車が運行中


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信越本線の横川駅を基点として、旧上り本線を経由し、丸山変電所、峠の湯を経て

現在は旧熊ノ平信号場(旧線廃止当時は熊ノ平駅)までが通行可能となっている


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新線(上り線)跡 

現在 アプトの道(遊歩道)としてアスファルト舗装されています


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丸山信号場(まるやましんごうじょう)は
、かつて群馬県碓氷郡松井田町(現・安中市)大字横川に存在した、
日本国有鉄道(国鉄)信越本線の信号場である

丸山変電所跡

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1912年(明治45年)碓氷峠区間の電化時に設置、
1963年(昭和38年)のアプト式廃止後は放棄され建物は荒廃していたが、
2001年(平成13年)から2002年(平成14年)にかけて修復工事が行われ、
ほぼ建築当初の外見に戻された。


新線(上り線)跡


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熊の平駅跡

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相対式ホーム2面2線(信号場降格時にホームは使用停止)の地上駅

Posted at 2018/06/28 12:19:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | 廃線跡探索 | 趣味
2018年06月08日 イイね!

明日はわが身??

明日はわが身??先日
広島県可部線旧線跡を
めぐってきたんですが


その2,3日後

私が通った国道が突然 土砂崩れにあい
通行中の車が大田川に流され
お一人がお亡くなりになったそうです


事故の記事はこちら

走っているときは危険な場所とは感じませんでした

最近 集中豪雨などで地面がゆるんできています

山間部を通行する方々はご注意くださいませ
Posted at 2018/06/08 06:25:44 | コメント(0) | トラックバック(0) | 廃線跡探索 | ニュース
2018年06月07日 イイね!

可部線(可部~三段峡)廃線跡探索

可部線(可部~三段峡)廃線跡探索
広島県
可部線廃線跡を訪問








可部駅 - 三段峡駅間 (46.2km) は、
2003年(平成15年)12月1日に廃止



可部駅 - 三段峡駅間は開業してから、何度か廃止議論が起こった区間ですね

当時建設中だった「本郷線」(加計駅 - 三段峡駅間の工事名称)の建設、
さらには、山陰とを結ぶ今福線構想もあったため廃止されず、
翌1969年(昭和44年)7月に加計駅 - 三段峡駅間が開業。
さらには、1974年(昭和49年)には三段峡駅 - 浜田駅間の建設を開始

1998年(平成10年)9月にJR西日本が、正式に可部駅 - 三段峡駅間の
廃止・バス移行の方針を打ち出した

JR西日本が設定した存続の条件・輸送密度800人/日には達せず、廃止が決定
2003年11月30日、廃止

廃線後の状況

鉄道施設・線路跡については、JR西日本から
広島市、山県郡加計町、戸河内町、筒賀村、
佐伯郡湯来町(現在、湯来町は広島市に編入、加計町・筒賀村・戸河内町は合併し安芸太田町)の各沿線自治体に無償で譲渡

2005年(平成17年)に入り、安芸太田町内は線路・枕木が
一部をのぞいてほぼ全線で撤去され、駅も一部撤去や路盤から道路への転用
三段峡駅跡地は交流施設となっている。
加計駅跡地には体験交流館「かけはし」が整備



広島市内の区間の可部駅 - 河戸駅間以外は2007年(平成19年)度中に線路・枕木が撤去

加計駅(かけえき)
広島県山県郡加計町(現在の安芸太田町)にあった
西日本旅客鉄道(JR西日本)可部線の駅(廃駅)

旧加計町の中心駅で、可部線北部の拠点駅でした

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1面2線の島式ホームを持つ地上駅

、島式ホーム1・2番のりばの外側にそれぞれ1線ずつ側線があった。
このうち、1番のりば(駅舎側ののりば)外側にある側線は駅舎横の第3種車止めを起点とし、
1番線と並行し、当駅可部側で1番線に合流していた。
一方、2番のりば外側にある側線は当駅三段峡側に隣接した
小さな屋根付き車庫(1編成のみ留置可能)を起点とし、
車庫を出たあとすぐに2番線への渡り線を分岐し、2番線と並行し、
当駅可部側で2番線に合流していた




駅舎は解体され、ホームは一部が残されている。
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近くにある車庫にキハ28形気動車(キハ28 2394)が保存されています
保存会の手により保存されており、通常は静態保存だが、
イベントの時にはエンジンを動かしているそうです


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訪れた日はたまたまイベントで保存会の方々によりエンジンをかけていました



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安野駅(やすのえき)

、広島県山県郡加計町穴
(現在は安芸太田町大字穴)にあった西日本旅客鉄道(JR西日本)可部線の駅(廃駅)


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可部線非電化区間(可部 - 三段峡間)の廃線に伴い2003年(平成15年)12月1日に廃止

「安野花の駅公園」として、ほぼ現役時代の状態で駅舎は保存
また、広島色のキハ58系が静態保存

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水内駅(みのちえき)

広島県佐伯郡湯来町下(現在は広島市佐伯区湯来町下)に
存在した西日本旅客鉄道(JR西日本)可部線の駅(廃駅)

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湯来町唯一の駅であったが、可部線非電化区間(可部 - 三段峡間)の廃線に伴い
2003年(平成15年)12月1日に廃止

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島式ホーム1面2線と、南側の線路(下り線)に隣接して1線の側線(行き止まりの留置線)
をもつ地上駅であったが、晩年は南側の線路(下り線)と側線は撤去され
、単式ホームとなっていた。
コンクリート造り・平屋建ての駅舎があったが、
無人駅であった。駅舎とホームは下り線を渡る通路で結ばれ、ホームの東側に繋がっていた。


木坂駅(きさかえき)

広島県山県郡加計町下筒賀(現在は安芸太田町下筒賀)に
存在した西日本旅客鉄道(JR西日本)可部線の駅(廃駅)

可部線非電化区間(可部 - 三段峡間)の廃線に伴い2003年(平成15年)12月1日に廃止

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1面1線の単式ホームのみを持ち、高い築堤上にあった高架駅で、
築堤下の国道から駅までには82段の石段を登る必要があったそうです

ホームと待合室が残されている



殿賀駅(とのがえき)

広島県山県郡加計町(現在の安芸太田町)下殿河内(しもとのごうち)に
存在した西日本旅客鉄道(JR西日本)可部線の駅(廃駅)

可部線非電化区間(可部 - 三段峡間)の廃線に伴い、2003年(平成15年)12月1日に廃止

1面1線の単式ホームのみを持ち、高い築堤上にあった高架駅。
無人駅で駅舎はなく、線路の南側にあるホームの上に待合所があるだけであった。


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待合室とホームが残され、線路も一部が敷かれたままとなっているようですね


三段峡駅(さんだんきょうえき)


広島県山県郡戸河内町(現在の安芸太田町)滝川1738にあった
西日本旅客鉄道(JR西日本)可部線の駅(廃駅)



同線の終着駅であったが、可部線の非電化区間の廃線に伴い
2003年(平成15年)12月1日に廃止


単式ホーム1面1線を持つ地上駅であった。
駅北端の線路終端部分には第4種車止めが設置されていた

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駅舎は観光地三段峡への入り口駅らしくコンクリート造り二階建てで
斜めになった屋根を持つ大きなものであった。

かつて駅舎横には蒸気機関車(C11 189号機)が静態保存されていたが、
可部線の部分廃止後は広島県安芸郡府中町にある
キリンビアパーク広島(ダイヤモンドシティ・ソレイユ、現・イオンモール広島府中)
の敷地内に移設

移設後の C11 189号機




Posted at 2018/06/07 14:34:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | 廃線跡探索 | 趣味
2018年04月15日 イイね!

福塩線 八田原ダム旧線 探索

福塩線 八田原ダム旧線 探索福塩線
旧線跡探索










1989年(平成元年)4月20日 - 八田原ダムの建設に伴い、
河佐駅 - 備後三川駅間を八田原トンネル経由の新ルートに付け替え。
なお、旧ルートにあった八田原駅はこの時廃止になりました



福山側河佐駅を出発



新線の下をくぐります



新しい八田原トンネル
でも完成から30年なんですね



左手に旧線の軌道をみながら








突き当たりの八田原ダムに到着



旧トンネル





軌道跡は遊歩道になっています
Posted at 2018/04/15 12:50:12 | コメント(0) | トラックバック(0) | 廃線跡探索 | 趣味

プロフィール

「姫路モノレール跡探索 http://cvw.jp/b/2454256/48523520/
何シテル?   07/04 20:01
かぼちゃプリンです。 軽トラック、軽バン大好きです ふら~と一人で出かけるのが癖ですね DIYはこれから挑戦したいです よろしくお願いいたします ...
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