
越後の某スキースクールの校長先生が主催している
神輿の会があるのですが、川口町(現在は長岡市に併合)の
お祭りで神輿を担ぐと聞いて参加してみることにしました。
地元の某団体のメンバー数人に声をかけたところ、
4人のメンバーが賛同してくれました。
金曜の夜に東京を出発し、
土曜の真夜中に新潟県湯沢町の岩原へ到着。
参加メンバーが所有するリゾートマンションに一泊半です。
神輿は土曜の夜と、日曜の午前中に担がれるとのことですが、帰京のことも考えて土曜夜の部だけの参加です。
土曜の昼間は、暇をつぶして新潟県某所をウロウロと…。その後、越後川口駅まで上越線で向かいます。
(その内容については、後日ブログに書くかも知れません)
川口まつりは、毎年7月末に開かれているそうです。
以前から「女神輿」があったそうなのですが、担ぎ手は女性だけ。
2004年10月に中越地震がありましたが、その復興祈願を込めて川神会(某スキースクールの校長先生が会長)が神輿を作って男性も担ぐようになったとのことです。
中越地震、、、
2004年(平成16年)10月23日17時56分に、新潟県中越地方を震源として発生したM6.8、震源の深さ13kmの直下型の地震。
最大震度は川口町(現長岡市)で震度7を記録。
(Wikipediaより)
走行中の上越新幹線が脱線したり、錦鯉の養殖で有名な山古志村(現長岡市)で壊滅的な被害があったり、国道沿いの山肌が土砂崩れを起こして通行中の車が巻き込まれたり(現場から奇跡的に子供が助けられたシーンは記憶に残っています)。
その中越地震の震源地が、まさに川口町(現在は長岡市に併合)なのです。
神輿は手作り感がいっぱいでした。
町のはずれの神社前には、地元の若手や大学のスキー部員のほか、我々を含めて30~40名の担ぎ手が集まっていました。
(さすがはスキースクールの校長先生です。その道の人も呼ばれてましたね)
午後6時のスタートの前に、お清めの日本酒をいただきます。
一合枡に酒を注ぎ、、、、、一気飲みします!!
(私は枡に半分程度でしたが、ブっ倒れるかと思いました。が、問題なかったですね…笑)
規模は小さいものの、元気いっぱいです。
適当な間隔で休みを入れますが、当然の様に酒が出ます。
神輿の前を歩く女性が、なにやら小箱を持っていました。
なんだろうと思っていたのですが、沿道の家々から寄付が出るのですね。
その寄付金を入れる箱だったのです。
女性:「○○さんから、お花をいただきました。」 (お花=寄付のことらしい)
神輿責任者:「一本締めです!」
寄付があった家の前では、一本締めのあと、神輿を差し上げます。
担ぎ手:「差せ! 差せ! 差せ! 差せ!」
威勢が良いです。
日没後、周囲が真っ暗になると、神輿に電灯がともります。
提灯にも灯がともり、幻想的です。私自身、夜の神輿担ぎは初めてです。なかなか良いものです。
神輿は町を練り歩きながら、最終目的地である「おまつり広場」へ向かいます。
その「おまつり広場」では、出店のほか、いろいろな催し物が行われていました。
東京・江東区の富岡八幡宮から「葵太鼓」のメンバーが迫力ある演奏を行っていました。
富岡八幡宮って聞いたことありますが、確か「水かけ祭り」とか、何だか???
あれ???(笑)
神輿は午後9時に「おまつり広場」へ到着予定で、町中を練り歩きます。
ただ、我々は終電の関係で、少々早めに引き上げました。
神輿を担いでいる時にも上がっていたのですが、引き上げ途中でチョットだけ花火見物です。
町のすぐ横を流れる魚野川から花火が上がっている様でした。
打ち上げ地点から近いのも手伝って、花火も大きく見えますし、爆発音がとんでもなく大きく聞こえます。
どか~ん!
川口まつりは日曜日も開催されていました。
川神会の神輿に加え、女神輿も(見たかったぁ~!)
が、残念ながら我々は岩原を後にして東京へ向けて帰りました。
神輿や出店、各種イベントに加えて花火大会と、、、お祭りらしいお祭りを堪能してきました。
来年以降も参加できると良いナァ~。できれば土日のフルコースで神輿担ぎを!!
Posted at 2016/08/01 21:14:47 | |
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