先日、まっつん号(プリウス)を降りると書きました。
それにあたっては、大きく2つの理由があります。
その1つは確かに
前述した通りなのですが、実はもう1つあります。
それは、より大きなものです。
何かと申しますと、
義母とまっつん号との関係 です。
義母は真っ直ぐな考えを持つ、とても真面目な方でした。
そのためかはわかりませんが、自分のプリウスを全く受け入れてくれませんでした。
もちろん、我が家に遊びに来ることも度々ありました。
ですが、自分のクルマ(まっつん号)での送迎を願い出ても、頑なに拒み続けていました。
しかし、自分が嫁号を運転しての送迎であれば、なぜか大丈夫でした。
そんな状態が1年半くらい続きました。
状況が変わったのは、かれこれ2ヶ月前のことですから、1月末のことです。
いつものように義母が我が家にいらっしゃいまして、チビの面倒を見てくれました。
さぁ帰ろうとなった時に、
「あなたのクルマに乗って帰りたい」と一言、発したわけです。
嫁号のキーを手にしていた自分は、耳を疑いました。
でも、
「早くあなたのクルマを準備して!」
と間髪入れずに言われたので、慌てて準備をし、出発しました。
義母はブリッドのバケットシートを珍しそうに見ていました。
足が悪い方でしたので、乗るのにかなり苦労されましたが、無事に着席。
嫁の実家まではクルマで約20分ほどです。
その間、会話は…全然…ありませんでした。
ここまで緊張した運転は、もちろん五本の指に入ります。余裕の殿堂入りです。
嫁の実家に着いて、義母を降ろし、帰ろうとした時、
「乗せてくれて、ありがとう」
という言葉と同時に、今まで見たこともないステキな笑顔が、自分の目の前にありました。
その顔をは、今でもはっきり覚えています。生涯、忘れる事はないでしょう。
その数日後でした。
義母が突然、自宅で倒れました。
そして、その一週間後、治療の甲斐もむなしく、空へ旅立っていったのでした。
2月9日。享年、64歳。
倒れた引き金になったのは脳梗塞でしたが、直接の死因は末期の肝臓がんでした。
今まで病院に行ったことがほとんどなかったため、検診も受けていない状態だったわけです。
その脳梗塞も、主治医曰く、肝臓がんが引き起こしたものだったそうです。
自分も嫁も業界に居る人間なのですが、全く気付いてあげることができませんでした。
ここで思ったこと。
自分のクルマに乗りたいと言い出した時、既に義母は自分の余命をわかっていたのではないかと。
もう自分は長くないから、ここで意地を張らないで、最後の思い出として乗っておこうとしたのではないかと。
身内で、最後までまっつん号に乗っていなかった唯一の人間。それが義母でした。
それが果たせた今、彼の役目も完遂したと言えましょう。
先述した、まっつん号に対して、一部の心無い方からのバッシングを受けていたことは、確かに降りる引き金にはなっていました。
ですが、最終決断の理由に変わることは、最後の最後までありませんでした。
自分がまっつん号を降りることを決めたのは、義母が旅立った、まさにその日です。
これが、本当の降りる決断をした理由なのです。
プリウスが嫌いになったから降りたということでは、決してありません。
デモカー仕様で自分が引き継ぎ、4年半で約12万km走行しました。
その間、フザけた温泉取材仕様にして、その面影を失わせてしまい、申し訳なかったです。
これからは、次のオーナーと一緒に、第3の人生を楽しくステキに歩んでほしいと願っています。
義母のまたとない笑顔を引き出してくれた”まっつん号”に、今、自分はとても感謝しています。
他のクルマでは、絶対にそれはできなかったことでしょう。
ありがとう、まっつん号。
20150313追記
文章にミスがありましたので、訂正しました。
ご指摘いただき、有難うございます。
パッシング→バッシング
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Posted at
2015/03/12 01:13:24