2011年3月11日(金)
家へ戻り片付けをはじめると…なんか臭い…キッチンの方からすっぱい臭い。
地震の揺れのせいで下水から臭いがしているのか?と思ったら…
流し台の下に長期に放置されていた〝酢〟が地震で倒れた時に蓋が開いたようで…流し台の下は酢まみれ。
酢が嫌いな私にとっては厳しい〝大気汚染状態〟うぇぇぇ~くっさい!
すっぱい臭いが鼻をつく。
しかしトイレの水漏れで元栓を締めた我が家…こぼれた酢の掃除も出来ない。
ってか!酢嫌いだから触れないんだけど。
どうしようもないから、奥の部屋を片付け…扉は荷物で引っ掛かって少ししか開かない。
引っ掛かってる荷物を無理矢理押して扉は開いたけど…荷物が折り重なって倒れていて、どっから手を付ければいいのか?
荷物多過ぎ…反省しつつ処分しないといけない事を感じた。
余震は頻繁に続いている。
片付ける事もままならない。
あきらめて倒れた荷物の上を渡りロウソクをゲット!
ロウソクは仏壇用の小さい物や中ぐらいの物、そして通夜・葬儀用の太くて長ーい物までたっぷりある。
間もなくMiyuが帰って来た。
「大丈夫だった…心配したんだよ…」
「携帯で連絡しようとしたけど、全然繋がらないし固定電話もダメだったから…」
「良かったぁ~」
「冷や汗かきながら食器戸棚押さえてたよー」
「そんなのいいのにー怪我したら大変でしょー」
「あっ!ライフラインのガスと電気は止まってるよ。水は本当は出るんだけど、うちだけトイレから水漏れしてるようだから元栓締めちゃったよ」
「えー!マジで?」
「トイレ水浸しになってて、下の階に流れていってたみたいだもん。あと早目に不動産屋に連絡しよう」
Miyuが無事で良かった。
Miyuの勤務している会社はビルの8階に入っているので、とてつもない揺れで超怖かったようです。
会社の状況は冷蔵庫やパソコンなどほとんど倒れたよう。
地震後、上に着る物と財布・携帯を持ってすぐに階段で隣の学校の校庭に避難。
周りの会社の人達が多数非難して来て、余震が少し落ち着くまで約1時間校庭にいたとの事。
そしてビルに入るのもガードマンに止められるし、入るのは自己責任となってしまったようで、
「今日はもう仕事にならないから解散」とその場で解散。会社に置いて来た荷物は男性社員の人に取って来てもらったんだそうだ。
帰宅しようと地下の駐輪場に行っても、停電で真っ暗なのと余震が怖く諦めて徒歩で帰宅路に…。
帰り道、信号機はどこも停止、道路は大渋滞。
そして勤務先から支給されたであろう、白いヘルメットを被って歩っているギャル風のOLさんもいたよう。
もう大分暗くなってきた。
Miyuに寝る場所を確保してくれるよう片付けをしてもらい、うちの子の部屋も片付けてもらった。
余震はおさまらないし…全部片付ける事は諦めて、通帳・ハンコ・免許証・財布・位牌・写真等をリュックにつめまとめて置いた。
「こんな時に!」と、懐中電灯は電池切れになった。
そこで助かったのが、自転車のライトにと買ったLED球!単三電池2本使用で自転車に取り付けたホルダから取り外し可能。普通にライトとして使える。消費電力も少ないし、明るい!
LEDの懐中電灯(非常灯)必要です。震災がおさまったら購入しよう。
他の明かりに手頃なロウソク立てを探し、ロウソクを灯す…子供の時以来だな…停電って。
たびたび余震がありとても怖い。
夕食に食べたのはパンとどら焼き1個ずつ。
やっぱり、地震後すぐに携帯は繋がらなくなりました。
固定電話は停電で使えないので、携帯とPHSでトライ!
実家や友人に掛けまくりで繋がった!
繋がりは携帯会社の相性にもよるかな…そしてユーザーが少ないPHSは以前、繋がりやすかったけど…今回はダメ!携帯の方が繋がる!
数件、家族や知り合いの無事を確認。
友人の一人は地震が怖く、避難所の小学校へ車に布団を積んで非難をしているようだ。
夜になると冷えてきた、我が家の暖房は温風ヒーター・エアコン・電気ストーブ…電気がダメなので使えない…寒い…。
いつでも逃げられるように、服を着たまま二人で布団に包まって寝たけど、余震のたびに飛び起きて寝るに寝れない。
余震が落ち着きだしたのが、4時半ぐらい。
それからは8時ぐらいまでぐっすり寝てしまったようだ。
※ 個人的な日記で文章力・表現力が足りない所もあります。その為、不適切な文面があると思いますがお許しください。
Posted at 2011/04/28 00:20:03 | |
トラックバック(0) |
東日本大震災 | 日記