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2009年04月05日

F-1ドライバー列伝Vol.6~Ronnie-Peterson

F-1ドライバー列伝Vol.6~Ronnie-Peterson F-1も開幕し、今日は早くも第2戦。
波乱の予感がする09年のF-1,さて今回はどうなるのか・・・・。
明日は仕事だが、今日は深夜までTVの前にいることになりそうだ。


さて今日はシリーズ『F-1ドライバー列伝』の第6回目。

この人も非常にファンが多い人、ロニー-ピーターソンである。

1978年に事故死してから既に30年が経過しているが、
日本でも未だに根強いファンが多い。

カート出身のドライバーらしく、
F-1マシンでもカートのように振り回す豪快な走りだった。
スチュワートやラウダ、プロストのような精密機械型ではなく
G-ヴィルヌーブやマンセル、セナのようなセンスが前面に出る
天才肌の人というべきだろう。

それゆえ逸話も多い。
コーリン-チャップマンに見出されロータス入りした1973年、
開幕当初はあまり芳しい成績を挙げられなかった。
これには原因があり、ピーターソンのドライビングスタイルに起因するものだった。
カート同然にマシンを振り回すそれは
チームメイトのフィッティパルディのような「クルマに優しい」ものではなかった。
当然マシンに負担がかかり、すぐにトラブルでリタイア。
しかしそのことに気付いたロータスはマシンの剛性を上げることで対応した。

これぞピーターソン!という豪快な走り。
カートで活躍したのは有名な話だが、
パン職人だった父がロニーにカートを与えたがきっかけだったという。



すると効果はてきめんでピターソンは一躍トップドライバーに踊り出た。
そのことは記録を見れば一目瞭然で、73年の前半5戦はノーポイントだったのに
その後の10戦で4勝を挙げている。
この年はスチュワート、フィッティパルディに続きランキング3位だったが
ポールポジション9回(全15戦中)というのは驚異的だ。

しかし翌年以降はタイトル争いからは遠ざかることになった。
ロータスは名車と言われた72以降のマシンが失敗に終わり、
次第にピーターソンも目立った成績を挙げられなくなっていた。

新天地を求めて76年にマーチ、そして77年にはティレルでステアリングを握ったが
76年のイタリアGPで1勝したに留まった。

No1ドライバーとしてティレルに移籍した77年。
しかし6輪車は迷走し目立った成績を挙げられなかった。
結局この年限りでチームを離れることに。


しかし、やはりチャップマンはピーターソンの才能を高く評価していたらしく
チーム状態が上向きになってきた78年にピーターソンを呼び戻している。
しかし既にチームにいたマリオ-アンドレッティはピーターソン加入に
あまり良い顔はしなかったと言われている。
「船が沈みかかったときに出て行った人間が、
順調になった途端になぜ戻ってくるのか」とインタビューに答えている。

栄光のロータス第2時代。周囲の予想を裏切り、
ピーターソンは終始No2としての働きに徹した。
開幕前、アンドレッティはピーターソンの加入に
難色を示していたが、今思うと絶妙のコンビだった。


しかし実際に78年シーズンが始まると、二人のコンビは無敵だった。
もちろん近年のF-1ドライバーのように子供じみた確執などなかった。
ピーターソンは絶えずアンドレッティの後ろを走り
No2としての役割に徹した。
そこにはかつてのような「優勝かリタイアか」的な走りではなく
経験を積んだベテランの味も出てきた感があった。

そして運命のイタリアGP、モンツァサーキット。
スタートの混乱でピーターソンのロータスは大破し、炎上した。
救助されたとき意識はしっかりしており、
誰もが命にかかわるものだとは思っていなかった。

しかしその日の夜、容態は急変しピーターソンは帰らぬ人になった。

思えば運もなかった。
決勝当日マシンの不調で急遽、旧型の78に乗り換えなければならなかったこと。
78はボディ両サイドに燃料タンクがあり、それが事故の際に火災を引き起こした。
さらにピーターソンが担ぎ込まれた病院は
およそ救急患者の手当てができるような設備ではなかったという話もある。
実際ラウダもインタビューの中で
「もしピーターソンが私と同じドイツの病院で治療を受けたら助かっていた」
という旨の発言もしている。

屈託のない純朴な人柄で、多くの人に愛されたピーターソン・・・

1973年のあるレース、ピターソンはポールポジションを獲った。
しかしそのときロータスには決勝に使えるフレッシュタイヤは
なんと1セットしか残っていなかった。
そのことを知ったフィッティパルディは激怒したという。
「どうせポールのロニーがフレッシュタイヤを使うのだろう!
オレのタイヤはどうなるんだ!」

ピットに戻ったピーターソンはただならぬ空気に
「一体なんの騒ぎなんだ?」と一人のメカに尋ねた。
すると事情を理解したピーターソンは眉を少し上げ、
肩をすくめながら言った。

「そのタイヤ、フィッティのマシンに付けてやれよ。
ボクはどんなタイヤでもいいよ。
でもレースに勝つのはボクだからね。」

私が知ってるピーターソンの逸話の中では
このエピソードが究極の逸話である。
ブログ一覧 | F-1ドライバー列伝 | 日記
Posted at 2009/04/05 20:54:55

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この記事へのコメント

2009年4月5日 21:02
大・大・大ファンです!(*^_^*)
コメントへの返答
2009年4月5日 21:32
そうですか!
toby-mさんはピーターソンでしたか!
この人も個性派の中の個性派でしたね。
単純に「速さ」という点では歴代ベスト5に入るのではないでしょうか?

ヘルメットのカラーリングも良かったですよね~(^0^)
2009年4月5日 21:48
ロニーピーターソンは凄く有名ですが
いつもHataさんの列伝シリーズを楽しみに
してる一ファンとして!

でも名前を知ってても、具体的な事まで
知らないので、本当に読んでて納得する事
が多いです!

最後の方の逸話は、最高にカッコいいですね!

「でもレースに勝つのはボクだからね。」と
言ってみたいですね(笑)
コメントへの返答
2009年4月5日 22:16
ありがとうございます。
このシリーズは気合が入るのですが、書いてて切なくなってくることもあるのですよ・・・今回もそうです(T-T)

男心に男が惚れて~・・歌の文句じゃないですが、当時のドライバーは男の中の男・・・そんな感じが好きなんです。

カッコイイでしょ!紛れもない実話です!

言うだけ言ってみますか(^^;
2009年4月5日 21:53
初めまして、チャオペペでお話はしているのですが覚えてますかな!いつもこのシリーズには感心させられます。何も言う事はございませんフロントウイングがお盆のマーチが懐かしですね(笑)
コメントへの返答
2009年4月5日 22:18
お久しぶりです!もちろん覚えております!いつかこのようなカタチでお会いできると信じておりました!嬉しいです!
スカイドッグさんのような方が読んでらっしゃると思うと緊張します(^^;
フロントウイングがお盆のマーチ・・・懐かしいです!アレ、効果あったのでしょうか???
2009年4月5日 23:47
うわ~、6輪車って初めてみました。こういうレギュレーションの時代もあったんですか。(もしかして今でもOKとか?)

そうえいえば以前、慶応大学の研究室が作った8輪電気自動車が最高時速300キロを出したというニュースがありましたが、タイヤの数が多いことが走りにどんな影響を与えるのか、よく分からないことが多いですね…。(8輪車は単なる直線番長?)
コメントへの返答
2009年4月6日 0:35
いつも他の人とは違った視点のaoy@maさん、素敵です(^0^)
現在レギュレーションで6輪は禁止されています。実はちゃんと根拠があって、フロント4輪のほうが接地面積が20%ほどアップするそうです。さらにF-1で見逃せないのがタイヤを小径化することによって空気抵抗を減らせることです。
では何故、廃れてしまったか?なのですが、まず当時のタイヤサプライヤーのGOODYEARがティレル専用タイヤを作ることに難色を示したこと。そしてさらにフロントのグリップを上げようとワイドトレッド化したところフロントヘビーになりバランスが崩れたことでなどが原因です。

例の8輪車は性能云々よりもカッコ悪すぎです!(^^;
2009年4月6日 3:38
そういえば小学生の兄が312T2で友達が6輪のラジコンで遊んでいるのを
見ていたのを思い出しました。子供ですしフロント4輪のアライメンとが難しいようでまっすぐ走らず大変でした(笑)
コメントへの返答
2009年4月6日 18:27
ラジコンならそれは多分312T2ではなく312T3のほうですね。
ちなみにラジコンにアライメントは・・・トー調整だけでしょう(^^)
多分フロント4輪があっちこっち向いてたのでしょうね。
2009年4月6日 8:24
ピーターソンのデビューはお盆のマーチと記憶してます、間違っていたら訂正して下さいね、なんせこちらはもう記憶が風前のともしび(涙)、あのウイングで実践を走ったのは本当に少なかったのではないかなと(直に止めたので)・・ロビン・ハードの失敗作なのか!しかし強烈なインパクトはありましたね。ハードはその後すぐ燃料タンクをウイング形状にしてました、理念は違いますが正しくウイングカー(笑)Hataさんあのウイングなんと呼んでましたっけ?UFOとか何とかでしたかね~・・・思い出しません。
コメントへの返答
2009年4月6日 18:31
いえ、マーチでのデビューで間違いないと思います。私もさすがにリアルタイムで追っかけていなかった73年以前の記憶は厳しいです(^^;お盆ウイングの当時は自動車メーカーでも風洞設備がなかった時代ですから、実戦でテストするのが当たり前でしたね。燃料タンクをウイング形状にしたマシンは初めて知りました!当時は技術が進んでなかったぶん、面白いマシンがけっこうありましたよね。マーチという会社・・・今はどうなったのでしょうね???
2009年4月6日 16:35
列伝私も楽しく読ませていただいてます ^^ 前回のマンセル編は大興奮でしたw

ロニー-ピーターソンは名前だけは知っていましたが、精神面がクールな方だったんですねぇ。最後のエピソードはニクイって感じですねw そのレースではやはりピーターソンが勝ったんですか?

たまに思うのですが、こういった過去の名ドライバーが今のハイテクマシンに乗るとどんな結果になるんでしょうかねぇ~

そして6 wheeler!!懐かしいですねぇ!!!子供ながらこのイデタチは印象に残ってますwこの時初めて「タイレル」を知りました~
コメントへの返答
2009年4月6日 18:37
ありがとうございます。不人気シリーズだと思っていたので嬉しいです。

ピーターソンはパン屋さんの息子で、純朴な人だったらしいです。単純なワンラップの速さなら歴代トップクラスだと思います。そのレースは・・・残念ながら勝ったかどうかは分かりません。

それは面白い検証ですね。
恐らくかなり速いでしょう。
優れたドライバーは環境に順応する能力が高いですから。

奇抜なアイデアで一定の成功を収めた数少ない事例だと思います。
ずっとタイレルと発音してましたが、正しくはティレルなんですよね(^^;
2009年4月7日 0:23
いつもF-1の列伝に懐かしさを
感じております。
画像から昔の車のほうが、性能は別としても
作り手の拘りが感じられますよね。
コメントへの返答
2009年4月7日 19:02
懐かしいですよね~(^^)

そうなんですよ!今ほどレギュレーションによる「縛り」が厳しくなかった分だけ、いろんな手法が試せたというのもあるのでしょうね。
技術が未熟な分だけ、情熱が伝わってきます。
2009年4月7日 15:17
いつもF-1ドライバー列伝は楽しみにしております。
今回のエピソードも心に来るものがありました。

しかしHataさんの文章は楽しいというか
惹き込まれてしまいます

次回も楽しみにしています。
コメントへの返答
2009年4月7日 19:04
そうでしたか!嬉しいです!
数字の面だけでなく、人間としての視点から「グッと来る」ドライバーを選んでいます。

いやいやお恥ずかしいです(^^;

実は次のドライバーは既に決まっておりまして・・・
もう少しインターバルをあけることにします(^^)
2009年4月8日 1:48
元祖フライング・フィンですね。

彼の事故に関して聞いた話ですが、当時デビューして数年経ったR・パトレーゼ選手が事故のキッカケとされてしまい、暫くは彼が非難を浴びたというエピソードがありますね。
この当時はエマーソン・フィッティパルディ選手やルネ・アルヌー選手等個性の強い選手が多かったですよね。
81年か82年には当時の選手組合とコンストラクターかFIAと揉めたエピソードで一部選手がストライキを決行させ、エリオ・デ・アンジェリス選手が玄人はだしのピアノ演奏を披露したなんてこともありましたね。
コメントへの返答
2009年4月8日 18:39
ピーターソンはスウェーデン人なので「スーパースウェード」という異名でした。元祖フライングフィンは確かケケ-ロズベルグだったような・・・・。
パトレーゼはかなり激しく責任を追及されましたね。これには実は裏があったのですが・・・。
個性派がとにかく多かった時代でしたね。エリオ-デ-アンジェリスのピアノ演奏のエピソードは有名ですね。なんたって彼は貴族ですからね(^^)アンジェリスもチャンピオン候補でしたが、残念な結果になりました。

春太郎さんもかなり昔のF-1がお好きなのですね(^^)
2013年9月20日 19:12
すらばしいブログです!私ロニーのリアルタイムファンでした。(≧∇≦)
デビューはお盆ではなく、サイドタンクがウイングカーの市販マシンマーチ701です701は70年設立の飛行機屋ロビンハード設計。プライベートチームでF1モナコ8位。F2も同時デビュー。
次の1971年はマーチワークスエース昇格、お盆のマーチ711、F1チャンピオンシップ2位、F2チャンプでした。モナコでの大カウンターに皆魅了されました。
マーチは90年代?に倒産、隣りでトールマンが創設しベネトン経てルノー経て今はレッドブルです。
コメントへの返答
2013年9月20日 22:10
ありがとうございます。
そうですか!デビューはサイドタンクがウイングのマーチなのですね。
実はロータス入りする前のマーチ時代のことはよく知りませんでした。ロビン-ハードなんて、懐かしい名前ですね~!
71年で既にランキング2位までいってたんですよね。決して戦闘力の高くないマシンだったのに、やはり才能なんでしょうね。
マーチはフォーミュラからCカーまで色々とレーシングカーを作っていましたね。
日本のF-2でもマーチが主力だった80年代が懐かしいです。
2013年9月22日 3:08
はい。マーチ701フォードにはジャッキースチュアートものってました。(^O^)/マトラを飛び出しティレル001が出来るまで。
711はロニー以外は誰も乗りこなせず、いまだにマシンの評価は分からないままだそうです。フォードコスワースだけでなく、アルファV8積んだマシンもありました。当時はF1がプライベートチーム化始めた時代でマーチとフォードとヒューランドとロッキードを買えば誰でもF1チームを作れました、というかワークスが次つぎ撤退する中で要請されてマックスモズレーが作ったような。
コメントへの返答
2013年9月22日 5:50
ありがとうございます。そうだったんですか!?私はどうもそのあたりの整理がついていませんでした。マーチがティレルにシャーシを提供していたのは昨日知りました(^^;
711のマシンとしての評価は未だに不明・・・イイですね~そういうエピソード!しかしマーチは近代のモータースポーツに大きく貢献したコンストラクターでもありますね。Cカーからフォーミュラまで作っちゃうのですから。誰でもF-1チームを作れたあの時代は本当にエキサイティングでしたね。しかもワークスをも凌ぐマシンだったりしましたからね。マクラーレンやレッドブルだって、元々はプライベートチームですからね。
2013年9月22日 21:07
73年のスチュアートとフィティパルディは3勝だった。
コメントへの返答
2013年9月22日 21:15
そしてタイトルを獲得したのはスチュワートでしたね。

プロフィール

「@ぼうんのう さん、バッテリーとエアコンまでやれば、走り出してすぐに効果を体感できますよ(^^)」
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アルファ156 2.5V6で走ってます。 家内用にGTV3.0V6。
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