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2012年11月24日

『F-1ドライバー列伝』Vol.13~Patrick-Depailler

『F-1ドライバー列伝』Vol.13~Patrick-Depailler スカイドッグさんに刺激され、久々の『F-1ドライバー列伝』
今回は「職人的ドライバー」の典型、パトリック-ドゥパイエ(Patrick-Depailler:デパイエ、デパイユなどの表記もある)である。

この人は私がF-1に興味を持ち始めたころから、既にレギュラードライバーとして定着していた。
ティレルのNo2ドライバーだったものの、既に実力は認められていた。
その証拠にそれまでエースドライバーだったロニー‐ピーターソンがロータスに移籍したあと、
チームオーナーのケン-ティレル(故人)は若手のピローニ(故人)を獲得し、
デパイエをエースとしてレースに臨んだ。
フルシーズン参戦5年目にして、ティレルという名門チームで晴れてNo1ドライバーとなった。

話は飛ぶが、このドゥパイエとほぼ同年代で、ヨーロッパF-2で武者修行をしていた生沢徹氏が以下のようなことを著書に書いている。
「ヨーロッパの市街地レースは道が曲がりくねっている上に、路面が恐ろしく滑りやすい。こんなコンディションで日本人が勝つのは絶対に無理だと思った。しかし向うの連中、特にパトリック-ドゥパイエなどのフランス人ドライバーは神業のような走りだった。」

そしてこの生沢氏の言葉はドゥパイエの初優勝で真実であることが証明される。
1978年モナコGP。
鬼神の走りで追い上げるブラバム-アルファのニキ-ラウダを振り切って
見事GP初優勝を上げる。

「勝てそうで勝てない」という印象が自他共にあったらしく、
初優勝のコメントは「こんなにも簡単なことだったのか」というものだった。
それにしてもモナコGPで、しかもモナコを得意とするラウダを振り切っての初優勝というあたりがこの人らしい。

ピーターソンやヴィルヌーヴのような爆発的な速さはなかったが
玄人受けする堅実な走りの人だった。
マシン開発にも定評があった。
1979年のリジェが開幕2連勝でスタートしたにもかかわらず
シーズン後半になって失速したのはドゥパイエがハングライダーで怪我をして
テストができなくなってしまったからと言われている。

リジェからアルファロメオに移籍したのも、そのドライビングはもとより
開発能力を高く評価されたからであろう。
しかし、F-1に復帰したばかりのアルファロメオは
デパイエの力をもってしても上位入賞はおろか完走さえも困難だった。

そして迎えた1980年8月1日。
翌週に控えたドイツGPに向けてのテスト走行。

運命と言うにはあまりに残酷な結末だった。
テスト走行だったために最低限のオフィシャルしかおらず
事故の瞬間は誰も目撃していなかったという。
享年35歳。

今、この歳になってドゥパイエの画像を見ると、
この人はかなりカッコイイと思う。
当時まだ30代だったにもかかわらず、貫禄があってしかも渋い!
以前good-eyeさんからいただいた70年代F-1のダイジェスト版(BBC放映)に
くわえタバコで愛用のGPAヘルメットを磨いているドゥパイエの姿が映っている。
ピットでタバコを吸うドライバーなんて今では考えられないが
当時はこんな「男臭い男」がF-1ドライバーだったのだ。


ドゥパイエがこの世を去って2年後、アルファロメオはポールポジションを獲得するまでになる。
もしドゥパイエが生きていたら、なんらかのカタチで歴史にその名を残しただろう。
決して主役になることはなかったが、
ときに主役を食うほどの名脇役であり、
70年代を語る上でなくてはならないドライバーだったことは間違いない。
ブログ一覧 | F-1ドライバー列伝 | 日記
Posted at 2012/11/24 09:42:46

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この記事へのコメント

2012年11月24日 15:52
F・1を見たのが89年(ベルガー、セナ、1コーナーでいきなり接触)からですので、名前しか存じません。
なんとなくリカルド・パトレーゼを連想します。
昔はドラーバー以外にも、ゴードン・マーレー、パトリック・ヘッドなど光り輝くキャラの人が多々いましたが最近はレッド・ブル一色で、感情移入ができません。
Hataさん、F・1デビューしてください(超爆)
コメントへの返答
2012年11月24日 16:47
みなさんだいたいそのあたりからF-1をご覧になってますね。そのころ既にデパイエは「過去の人」でしたから。
個人的にはパトレーゼよりデパイエのほうが実力は上だったような気がします。
確かにおっしゃるとおり、「奇才」ゴードン-マーレー、「図面を引くセナ」ジョン-バーナード、「車椅子の闘将」フランク-ウイリアムズなどなど・・・キャラの立った人達がイッパイでしたよね。
私は3回くらい生まれ変わったらF-1まで行く予定です(^0^)
2012年11月24日 21:56
ピットでタバコ吸うとオーナーでさえケン・アカバに窘められます
(これまた久々のペガサスネタ)
コメントへの返答
2012年11月24日 23:02
あはは・・・(^^)なるほど!
それは知りませんでした。
蛇足ですが村上もとか先生はAUTO-SPORT誌の「イラストグランプリ」の講評を長くやっていました。かなりレベルが高く、美大を目指していた私でも5位入賞がやっとでした(^^;
2012年11月25日 21:05
大人の男の戦いの場って感じがしますね~、当時は見ている私がガキだったせいもあると思うけど!って言っても今みたいにTV中継がある訳じゃなし只々雑誌を見ての勝手な想像に過ぎませんね(笑)

どうも今はチームの戦略を上手に遂行するのがいいドライバーって勝手なイメージを持ってしまっていてイマイチです(^_^;)  予選結果もチェックはしてるし毎レース録画もしてますが満足に見たためしはないです、 レギュレーションも余り分からなくなったし(笑)
こちらがオッサンになったせいで今のドライバーは皆さん若くて(大笑)
「スポンサーの力でF-1に乗ろう」・・・そんな情報が伝わり過ぎてしまってなんかイマイチな感じ、昔もそうだったのかもしれないが、パッと思い浮かぶのはピーター・レブソンくらいか当時確かレブロン化粧品の御曹司だったかと、その辺はHataさんの方が詳しいかと(^_^;)
コメントへの返答
2012年11月25日 21:17
「F-1は青二才のものではなかった」とラウダさんもおっしゃってますからね。こっちがオッサンになっても、いや、オッサンになったからこそ、当時のF-1ドライバーの「大人の男」っぷりにシビレます(^0^)

まったく同感でございます。私なんぞすっかり早寝早起きになってしまったこともあり、今じゃTV中継も観てません(^^; そもそも今のマシンに「美」を感じないんですよね・・・・。レギュレーションもさっぱり・・・・。
確かに昔から「スポンサーの力」すなわち「持参金」は必要でしたけど、今ほど露骨じゃなかった感じもします。実力とスポンサーの付く、付かない、が一致していたような・・・。ピーター-レブソン!サスガ!渋いところを突いてきますね!稀代の男前レーサーでしたね~!実力もありましたよね。あの時代の人達はホントにキャラが立ってましたよ!
スカイドッグさん、いつか夜を徹して語り合いましょう~!

プロフィール

「@ぼうんのう さん、バッテリーとエアコンまでやれば、走り出してすぐに効果を体感できますよ(^^)」
何シテル?   06/04 11:05
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