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2019年06月01日

Niki Lauda~そのドラマチックな人生 Vol.2

Niki Lauda~そのドラマチックな人生 Vol.2  ニキ・ラウダというレーシングドライバーを語るとき、必ず挙げられるのが76年の大事故からの「奇跡の復活」だろう。
事故から復活までのストーリーは映画「RUSH」でも描かれており、
ラウダファンでなくても比較的広く知れ渡っている話である。

 「RUSH」での描写はなかなかリアルで、
金属の器具を鼻から入れ、肺に溜まった有害物質を取り出すシーンは、
見ているだけでもその苦しさはいかばかりなものかと思ってしまう。
そもそも指先をちょっと火傷しただけでも数日は痛みが気になるといのに、
あれだけのケロイドが残る火傷を負ったのだから、
ラウダの苦しみは想像を絶する。

 しかし、この人の本当の苦しみは別のところにあったのではないか。

「すべての障がい者もそうだと思うけど、
みんなが普通の人間として受け入れてくれるかどうか不安がある。
それを拒むのは一種の暴力なんだ。」

この言葉からも分かるように、
あの事故のあとラウダはこの「一種の暴力」に遭うことになる。

事故直後「まるで血に飢えた吸血鬼のような」カメラマンたちがラウダを追った。
病院は出入り制限をし、もちろん病室は立ち入り禁止となった。

「それでも一人だけコウモリみたいに入り込んできたカメラマンがいて、
動くことはもちろん声も出せない僕の顔を撮影していった。」

退院後も自宅周辺にマスコミが張り付き、
警察を呼ぶ事態にもなったという。

「例えば片腕にない人にむかって、
ひどい恰好だな、腕はどうしたんだ?なんて言わないだろう?
だったらなぜ僕には言うんだ?」

「ニキ・ラウダとなると、みんな自制心をなくす。」

「そんな顔で人前に出てきて恥ずかしくないのですか?」
という質問すらあったという。

 前年(75年)、圧倒的とも言える強さと速さでチャンピオンになり、
それは同時にフェラーリを復活させることにもなった。
76年になってもその強さは衰えを見せるどころか
開幕からあのドイツGP直前までの9戦は優勝5回、2位1回、3位1回、
リタイアはわずかに1回のみと抜群の安定感と速さを誇った。


75年オフと思われるワンショット。
チームメイトのクレイ・レガッツォーニ、
そして’コマンダトーレ’エンツォ・フェラーリ。
ニューマシンの312T2を前にすべてが順調に思えたが・・・


誰もがラウダの圧勝で終わると信じて疑わなかった。

 そしてあの事故が起きた。
そのあとのことはみなさんもご存じのとおり、
ラウダは6週間後に復帰し、最終戦の日本GPでわずか1ポイント差でタイトルを逃した。

 ラウダは長い間、ニュルブルクリンクでの事故後のことは一貫して同じことを言っていた。

「事故の恐怖はない」

しかし、先日のブログにも書いたように
83年のインタビューでは、復帰第1戦イタリアGPでの心境を露呈している。

「私は恐怖でコチコチだった。
まるで1秒ごとにウンチに行かなければならないと考えるほど・・・」

インタビュアーのヘルベルト・フェルカーが嬉しそうに
「いや~とうとう白状しましたか!
以前はそんなこと、言ってなかったじゃないですか!?」と。

当時、プラクティクス後のインタビューでは
そのときのマシンの状態を話しただけらしい。
そこでもしラウダが本音を言おうものなら、
それに枝葉が付いてまったく違ったニュアンスの記事になったかも知れない。


純粋に速さを求めてレースと向き合った、
当時20代半ばの若者はF1GPという巨大な組織に身を投じ
受けた洗礼はあまりに厳しいものだったに違いない。
特にマスコミに扱いは冒頭にその例を挙げたように
あまりに残酷なものだった。



 事故後、ラウダはキャップとサングラスを放さなくなった。
事故によるケロイドを隠すためというのは
誰の目にも明らかだった。
それがかえってニキ・ラウダというドライバーの
強烈な個性を演出したとも言える。 



これはかなり珍しい1枚。
ラウダもこんなポップなサングラスをしていたことがあったとは。
よく見るとマルボロのマークが見えるところから、
おそらく支給品ではないかと思われる。

 しかし、3度目のタイトルを獲得した84年あたりから、
サングラスをしている姿が少なくなった。
もうほとんどサングラス無しで過ごしていたように見える。
何かラウダの中で変化があったのではないか。

冒頭に書いたようなマスコミによって傷つけられた青年は
年齢と共に苦境を克服していったということなのか。

フェルカー:「朝、鏡を見て思い直すことはありますか?」

ラウダ:「いいえ。これが私の新しい顔です。」



 晩年のラウダ。
こんなおどけた表情もするのは少々意外だが、
この人の写真というのは昔から割と笑顔が多い。

第一期ホンダF1の総監督だった故中村良夫氏のコメントが興味深い。

「話せばニキも冗談を飛ばす楽しい仲間であることは分かるけれど、
しかし明るく開放的なGPドライバーのマジョリティの一員でないことは確かだ。」

さらに・・・
「彼がいささかストイックになり過ぎているように思われるかもしれないが、
ニキ・ラウダとはそういう人である。」

心身共に絶望の淵まで落とされながらも蘇った人。
しかし彼にとってそれは選択の余地のない、
ラウダがよく言う「直線的な決断」だったのかも知れない。
凡人にはできない思考と決断で目的を達成する。
だからこそ、この人は今なお光り輝いて見えるではないだろうか。
ブログ一覧 | 70~80年代F-1 | 日記
Posted at 2019/06/01 23:24:20

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