
昨日のF1バーレーンGP。
なんと言ったらいいのか。
いわゆるセナプロによるF1ブームの前からTV中継を観ているが、あそこまでの凄まじいクラッシュは記憶にない。
ネット上では珍しく一般のニュースでも取り上げられるほどであり、
リアルタイムで観ていた私は冗談ではなく背筋が凍る思いだった。
奇跡的にグロージャンは無事だったので安堵したけれど、
今回の映像を見るにつけ過去のいくつかの事故を思い出した。
TOP画像は1989年のポルトガルGP、
アイルトン セナとナイジェル マンセルが接触した瞬間である。
このときマンセルはトップを走っていながら、
タイヤ交換の際に自身のピットをオーバーランしてしまい、
バックギアを使うというミスを犯した。
しばらくして、マンセルにはブラックフラッグが提示されたが、
マンセルはそれを無視して走り続けた。
(レース後、マンセルは「フラッグが見えなかった」と主張)
そして1コーナー進入で前を走るセナのインを突き、接触。
2台ともリタイアとなった。
当時TV中継の解説をしてた今宮氏は
「これがF1GPだと思うと情けない」と憤りを隠さなかった。
このあと発行されたAUTO SPORT誌に掲載されていた
ジェームズ ハント(1976年チャンピオン)のコメントが興味深かった。
「F1が安全になるのも考えモノだ。」
そして続けた。
「恐らくマンセルは’ぶつけてやろう!’とまでは考えていなかっただろう。
でも’まあぶつかってもいいかな’くらいの気持ちはあったんじゃないか。
私の時代にあんなことをやったらタダでは済まない。
両方、あるいはどちらかが命にかかわるような事態になっている。
今の(’89年当時)F1が安全になったおかげで、
今回のようなラフプレーが起きてしまう。」
昨日のグロージャンの事故では、衝突の凄まじさはもちろん、
近代のF1では信じられないほどの炎が上がったことも衝撃的だった。
「まずい、あの炎はまずい!」
誰もがそう思ったはずだ。
衝撃で意識を失っていたら、まったく違った結果になっていただろう。
現代のF1のように燃料タンクが1か所で、
しかもマシンの中央部にカーボンシェルと一体のレイアウトになってから、
火災によってドライバーが命を落とすことはなくなった。
ニキ ラウダがフェラーリで重傷を負った当時は
レギュレーションで燃料タンクは分割式と決められていた。
そうなると当然、マシン両サイドにもタンクは配置されてしまう。
ロジャー ウイリアムソン(1948~1973)の死亡事故は
火災の恐ろしさを今に伝えている。
ただ、今回のブログでは必要がない限り、事故の詳細は書かないことにする。
事故の詳細は映画「F1グランプリ~栄光の男たち」でも紹介され、
現在ではYouTubeで観ることができる。
注目すべき点は、当時のオフィシャルの装備である。
耐火服など誰も着ていないばかりか、消火器も貧弱なものでしかなかった。
そして今では考えられないことだが、
燃え盛るマシンからドライバーが脱出できない状況で
レースは赤旗中断となることなく続行されている。
昨日のオフィシャルの対応は、40年前とは比較にならないほど
対応は素早く的確なものだった。
昨日の中継では破損が激しいガードレールを修復する間、
繰り返し事故の瞬間が配信された。
驚くべきことにモノコック部がガードレールを突き破っている。
しかしドライバーは無事。
近代F1の安全性は驚異的としか言いようがない。
ただ、PC画面に映し出されるひん曲がったガードレールを観て、
2人のドライバーの顔が浮かんだ。
フランソワ セヴェール(1944~1973)、以前「F1ドライバー列伝」でも取り上げたが、この人の死因はガードレールだったと言ってもいい。
米国ワトキンスグレンでの事故は
今もって「F1史上最悪の事故」とも言われている。
もちろん、1973年当時のガードレールと今のそれは同じではないけれど、
ガードレールが100%安全というわけではないことは、
昨日の映像で多くの人が感じたはずだ。
グロージャン自身も認めているように、
Haloがなければ今頃は極めて深刻な事態になっていただろう。
セヴェールの事故から1年後、同じワトキンスグレンでまたしても凄惨な事故が起きた。
若いヘルムート コイニク(1948~1974)が犠牲になった。
この人の事故は映画「RUSH」でも描写されている。
ガードレールに突っ込んで、マシン上部ごと自身の首を持って行かれた。
昨日のクラッシュも、角度が悪ければコイニクのようになった可能性はある。
さて、事故は極めて激しいものだったが、ドライバーのグロージャンは無事であり、搬送先の病院からメッセージも発信しているというから誰もが安堵しているところだろう。
しかし、では今回のクラッシュの原因はなんだったのだろうか?
私は答えは単純明快なのではないかと思っている。
ドライバーの意識、技術の問題。
それだけではないか。
マシンに問題があったわけでもないし、
コースもこれといった不具合は見当たらない。
素人目にコーナーのアールに対してガードレールの角度が疑問だが、
それは事故が発生した原因とは関係ない。
そう考えたとき、やはりこの人のことが頭に浮かんだ。
伝説のドライバー、ジル ヴィルヌーヴである。
1982年のベルギーGP予選で彼は命を落とした。
直後に発行されたAUTO SPORT誌を隅々まで読んだ記憶がある。
この事故はドライバーのミスという説もあるが、
私はその説を信じる気にはなれない。
当時のAUTO SPORT誌のコラムを書いたビル大友氏の言葉を借りれば、
「神々しいまでの人間が、ただ神ではなかったが故に起きてしまった事故」ではないかと思っている。
グロージャンは右にステアリングを切ったとき、
彼の右後輪が僅かに後方を走っていたクビアトの左前輪にヒットした。
フォーミュラ、オープンホイールでもっとも危険と言われる
縦方向のタイヤの接触だった。
82年のゾルダーでは、最後のアタックラップだったヴィルヌーヴは
ヨッヘン マスがドライブするマーチに急接近することになる。
マスのマーチはクールダウンのためスロー走行中だった。
そこでマスはアタックするヴィルヌーヴのために、レコードラインを開けた。
しかしヴィルヌーヴのほうは「譲ってもらえない」との判断から
ちょうどマスが動いた方へ飛び込んだ。
このとき、マーチのリアタイヤとフェラーリのフロントタイヤが接触した。
今もって、この出来事は不運が重なったとしか思えない。
そして今日までの安全に対する多くの人たちの努力は
こういった「防ごうとしても防げなかった」
あるいは「不運に不運が重なった」ことに対してであり、
チームやドライバーの不用意なミステイクに対してではないと考える。
本来、ミスというのは最善を尽くしても発生するものを言うのではないか。
最善を尽くしても、人間なのだからミスを犯してしまう。
その時のために最悪の事態にならないために、
ミスを想定した安全対策を取っていると考えるべきだろう。
ラフなドライビングや、レギュレーションをごまかすような行為を前提に、
ルールがあるのではない。
究極の安全を言うならレースなんてやらないほうがいい。
クルマを走らせなければいい。
しかし70年以上も昔から、クルマを速く走らせるということに
多くの人たちは魅せられ、そして努力を重ねてきた。
一方でそれは多くの代償を伴い、犠牲を払ってきた歴史でもある。
技術が発達した今日では、安全性は飛躍的に向上したが、
それは技術だけではなく意識も変わったからだろう。
ただ、今も昔も変わらないことがあるとすれば
ハードが安全になったとしても、それを手にするのは人間であり、
安全を享受するのも放棄するのも人間次第だということである。
そして安全を確保することは「絶対」ではない。
300㎞でコンクリートに衝突しても安全なマシンでレースをやることに意味はない。
ヘリコプターでエベレスト山頂に登ることを夢見る登山家はいない。
危険な道具だからこそ、安全に細心の注意を払って使うのか、
安全な道具だから粗末に扱うのか。
例えどんなにクルマが安全になったとしても、
この先ずっと後者になってはならない。