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2009年04月09日 イイね!

さて、レースの話でもしようじゃないか

これから開幕戦まで似たような話をすると思うが
今年のHGTSのEUROクラスの予想をしてみたい。

ただ、プロ野球の開幕前予想と同じで、きっとアテにはならない。
実際にやってみないと分からないのがスポーツなのだから。
ただ、それを予想することに意味があるかなどというカタイことは抜きにして
開幕を待ちきれない心境を、予想でもして紛らわそうというわけだ。

もちろん予想するのは自分も走るEURO200クラス。
EURO車の200PS未満のクラスだ。


【激戦は必至!?】

車種はおそらく2リッターNAが主流だろう。
そこに1.6リッター前後のターボ車が割り込むような図式か。
馬力にすると150PS~180PSくらいになるはず。
この30馬力差というのは決して小さいものではないが
かといって「勝負にならない」ような差というものでもない。

早い話、EURO200クラスは誰が勝ってもおかしくないような展開になるだろう。
予選から決勝のフィニッシュラインまで激戦は必至だ。

今のところ、ほとんどのエントラーはラジアルでの参戦を表明しているが
これにSタイヤユーザーが参戦するようなことになれば
さらに「ややこしい」ことになるかも知れない。

いずれにせよ、激戦になることは間違いないだろう。


【ポールタイムは1分46秒台?】

では実際にどのくらいのタイムでの争いになるのか?
ズバリ!

ポールタイムは1分46秒台前半ではないかと予想している。

このタイム、昨年のEURO200クラスに相当する車種(206や145など)のタイムを見ると
決して速いタイムではない。

では何故46秒台前半なのか?

これは「開幕戦だから」である。
昨年の開幕戦も総じてみんなタイムは伸び悩んでいた。
これはまだ走りなれていないこと、
そしてコース自体もまだ「食わない」状態だからである。
つまりタイムを出すにはあまりいい条件ではないのだ。
恐らくクラブマンコースをある程度走った経験のある人でも
ベストから1~2落ちのタイムで妥当なところではないかと思う。
その1~2秒をできる限りベストに近づけた人が
予選で有利なグリッドをゲットできることになるだろう。

ただ、今回レース初参加というエントラーもいる。
そうなるといきなり46秒台というのは考え難い。
たぶん55~50秒の間でのせめぎ合いも充分有り得る。
するとここでも「激戦」が展開されることになるだろう。

予選グリッドは46~47秒あたりで3~4台、
55~55秒で3~4台という2グループができるのではないだろうか???


【決勝はさらに?????】

と、ここまではある程度予想はできる。
しかし決勝となると話は別。
純粋にタイムだけで競い合う予選とは違うからだ。
ひょっとすると(かなりの確率で)国産勢と一緒に走ることになる。
そうなると「レースのあや」というものが考えられる。
予選のグリッドと決勝のリザルトが同じになるとは限らない。
ましてや多くの台数でスタートすれば
1コーナーの進入はもちろん、いつどこで何があるか分からない。


なんだか自分で書いててドキドキワクワクである。

さて、明日からまた車載を見て予習だな・・・。
Posted at 2009/04/09 00:25:47 | コメント(1) | トラックバック(0) | 09HGTS | 日記
2009年04月05日 イイね!

F-1ドライバー列伝Vol.6~Ronnie-Peterson

F-1ドライバー列伝Vol.6~Ronnie-PetersonF-1も開幕し、今日は早くも第2戦。
波乱の予感がする09年のF-1,さて今回はどうなるのか・・・・。
明日は仕事だが、今日は深夜までTVの前にいることになりそうだ。


さて今日はシリーズ『F-1ドライバー列伝』の第6回目。

この人も非常にファンが多い人、ロニー-ピーターソンである。

1978年に事故死してから既に30年が経過しているが、
日本でも未だに根強いファンが多い。

カート出身のドライバーらしく、
F-1マシンでもカートのように振り回す豪快な走りだった。
スチュワートやラウダ、プロストのような精密機械型ではなく
G-ヴィルヌーブやマンセル、セナのようなセンスが前面に出る
天才肌の人というべきだろう。

それゆえ逸話も多い。
コーリン-チャップマンに見出されロータス入りした1973年、
開幕当初はあまり芳しい成績を挙げられなかった。
これには原因があり、ピーターソンのドライビングスタイルに起因するものだった。
カート同然にマシンを振り回すそれは
チームメイトのフィッティパルディのような「クルマに優しい」ものではなかった。
当然マシンに負担がかかり、すぐにトラブルでリタイア。
しかしそのことに気付いたロータスはマシンの剛性を上げることで対応した。

これぞピーターソン!という豪快な走り。
カートで活躍したのは有名な話だが、
パン職人だった父がロニーにカートを与えたがきっかけだったという。



すると効果はてきめんでピターソンは一躍トップドライバーに踊り出た。
そのことは記録を見れば一目瞭然で、73年の前半5戦はノーポイントだったのに
その後の10戦で4勝を挙げている。
この年はスチュワート、フィッティパルディに続きランキング3位だったが
ポールポジション9回(全15戦中)というのは驚異的だ。

しかし翌年以降はタイトル争いからは遠ざかることになった。
ロータスは名車と言われた72以降のマシンが失敗に終わり、
次第にピーターソンも目立った成績を挙げられなくなっていた。

新天地を求めて76年にマーチ、そして77年にはティレルでステアリングを握ったが
76年のイタリアGPで1勝したに留まった。

No1ドライバーとしてティレルに移籍した77年。
しかし6輪車は迷走し目立った成績を挙げられなかった。
結局この年限りでチームを離れることに。


しかし、やはりチャップマンはピーターソンの才能を高く評価していたらしく
チーム状態が上向きになってきた78年にピーターソンを呼び戻している。
しかし既にチームにいたマリオ-アンドレッティはピーターソン加入に
あまり良い顔はしなかったと言われている。
「船が沈みかかったときに出て行った人間が、
順調になった途端になぜ戻ってくるのか」とインタビューに答えている。

栄光のロータス第2時代。周囲の予想を裏切り、
ピーターソンは終始No2としての働きに徹した。
開幕前、アンドレッティはピーターソンの加入に
難色を示していたが、今思うと絶妙のコンビだった。


しかし実際に78年シーズンが始まると、二人のコンビは無敵だった。
もちろん近年のF-1ドライバーのように子供じみた確執などなかった。
ピーターソンは絶えずアンドレッティの後ろを走り
No2としての役割に徹した。
そこにはかつてのような「優勝かリタイアか」的な走りではなく
経験を積んだベテランの味も出てきた感があった。

そして運命のイタリアGP、モンツァサーキット。
スタートの混乱でピーターソンのロータスは大破し、炎上した。
救助されたとき意識はしっかりしており、
誰もが命にかかわるものだとは思っていなかった。

しかしその日の夜、容態は急変しピーターソンは帰らぬ人になった。

思えば運もなかった。
決勝当日マシンの不調で急遽、旧型の78に乗り換えなければならなかったこと。
78はボディ両サイドに燃料タンクがあり、それが事故の際に火災を引き起こした。
さらにピーターソンが担ぎ込まれた病院は
およそ救急患者の手当てができるような設備ではなかったという話もある。
実際ラウダもインタビューの中で
「もしピーターソンが私と同じドイツの病院で治療を受けたら助かっていた」
という旨の発言もしている。

屈託のない純朴な人柄で、多くの人に愛されたピーターソン・・・

1973年のあるレース、ピターソンはポールポジションを獲った。
しかしそのときロータスには決勝に使えるフレッシュタイヤは
なんと1セットしか残っていなかった。
そのことを知ったフィッティパルディは激怒したという。
「どうせポールのロニーがフレッシュタイヤを使うのだろう!
オレのタイヤはどうなるんだ!」

ピットに戻ったピーターソンはただならぬ空気に
「一体なんの騒ぎなんだ?」と一人のメカに尋ねた。
すると事情を理解したピーターソンは眉を少し上げ、
肩をすくめながら言った。

「そのタイヤ、フィッティのマシンに付けてやれよ。
ボクはどんなタイヤでもいいよ。
でもレースに勝つのはボクだからね。」

私が知ってるピーターソンの逸話の中では
このエピソードが究極の逸話である。
Posted at 2009/04/05 20:54:55 | コメント(13) | トラックバック(0) | F-1ドライバー列伝 | 日記
2009年04月04日 イイね!

気が付けば・・・

あれほど春が待ち遠しかったのだが、気が付けば既に冬の気配はなく
すっかり春になっていた。

今日は久々にGTVを洗車し、そのスタイルにまたしても惚れ直した。
やっぱりクルマはキレイなほうがいい。
洗ってやると走りまで軽くなった感じがしてこれまた嬉しい。

午後からは家内のドライブで某菓子店へ。
たまには助手席というのもいい。
このお菓子屋さん、小さなお店だが味は一級品。
フランス在住経験のある家内が「向うで食べたのと同じ味!」
と言うのだから間違いない。
甘い物には目がない二人は嬉々として帰路についた。


さて、気が付けば春・・・なのだが、気が付けば一ヶ月を切ったのである。

そう、5月3日の北海道GT開幕戦まで一ヶ月を切ったのである。

いつもならソワソワしてくるところなのだが、今年はそんな感じではない。

昨年は開幕前に3回ほど白老に練習に行った。
ほとんどが変更点のチェック。マイナートラブル続発だった。



自分でもずいぶんと落ち着いていると思うのだが
これには複数の理由がある。

最大の理由は異動になったために職場環境が大幅に変わったことだ。
さすがに色々と忙しく、レースのことを考える余裕がない。

そしてもうひとつ・・・
過去のこの時期と、今年では何が違うのか?と考えたら
大きな違いが二つあった。

ひとつは車載映像があること。
もうひとつはクルマに何も変更がないこと。

前者は言うまでもなくイメージを作る上でとても有効だ。
自分で「こんな感じだった」と思うのと実際ではけっこうズレがある。
このズレを修正する上では車載を見ておくのは精神衛生にもイイ。
ここ数日何度も去年の車載を見ているが、
自分なりのテーマや課題が具体的に浮き上がってきた感じがする。

昨年の開幕戦。自身のワーストレースとも言えるが
学んだことは多かった。同じ失敗をしないように・・・・



クルマに変更点がないというのも大きい。
もちろん延命治療はどこかでやらなければならない「ご老体」ではあるが
スペックを上げるような変更はない。
つまりはNewパーツのチェックなどもしなくていい。
それに車載を見る限り、この状態で自分の技量を上げるほうが先決だと思う。

開幕前にアク出しをしたはずだったが・・・
第2戦の白老戦ではマフラー脱落のトラブルに見舞われた。



今のところ26日にGON!さんたちと白老を走る予定でいるが
それはホントに肩慣らしという位置付けだ。
そのあとはTISも走っておきたいが、お金と時間が厳しいところ。

しかし「慌てず騒がず」が肝心。
ここは静かにシーズンインすることにしよう。
Posted at 2009/04/04 20:58:30 | コメント(4) | トラックバック(0) | 日記
2009年04月02日 イイね!

新年度

4月になった。

世の中「新年度」だ。

自分の場合、特に今年は職場が変わり環境が一変した。
今まではノラリクラリやっていたが、さすがに今度ばかりはそうはいかない。

というわけでガラにもなく忙しい日々を送っている。

クルマに関してはネタがない・・・わけではないが
今はちょっと書く気にならないので後日。

さて・・・
あまり抽象的な書き方は好きではないのだが、
問題が問題だけに具体的な表現は避ける。

北海度のサーキットフリークならみんなが気になっている問題だ。

詳しいことは分からないし、非日常的な数字の話なのでさらによく分からない。

しかし段々不愉快になってきた。

私がサーキットを本格的に走り始めたのが今から三年前の06年。
そのときかすかに感じたこと。

サーキットというところは意外と閉鎖的で旧態依然としていること。

まず料金が高い。
これは施設の維持費や人件費などを考えると
決して不当に高いものでないのは重々承知なのだが
世間一般の物指からすると安いとは言えない。
そしてそれほど金額を取る施設でありながら、
設備そのものは驚くほど低級だ。

トイレがそれを物語っている。

他にも例をあげることはできるが、総じて「ここは特殊な場所なのだから」という
意地悪く言えば「言い訳がましい」印象を受ける。

確かにトイレをはじめとする設備をよくしたからといって
入場者が増えるという短絡的なものではないが
そういう点にサーキット側の配慮のないスタンスが見える。

サーキット内のガソリンスタンドの料金でその姿勢が分かる。

本来はサーキットがあるから我々は走れるわけだから
文句を言うのは筋違いだ。
それも重々分かっている。

しかし経営が悪化すれば我々は楽しみを奪われることになる。

そうなるとさすがに黙ってはいられない。
何かを言ったところでどうにかなるわけではないが
怠慢経営で「やっぱりダメでした」ではコブシを振り上げたくもなる。

あれだけの赤字になってるなら、例え「爪に火を灯す」程度のものであっても
収益を増やそうと工夫をしないのか。
冬の間はクルマだけではなく、何か別の施設として利用できないのか。
サーキットシーズン中も、レースや走行会と抱き合わせで
地元の業者を巻き込むようなイベントや売り出しはなぜ一切ないのか。
十勝は「食」の宝庫なのに・・・・。

とはいえ、どうもこのまま閉鎖というのはないような気がする。
結局誰も英断を下したくはないのではないか。
買い手があれば話は別だが、その可能性は0に近い。
閉鎖して取り壊すにしても金がかかる。
存続しても赤字は膨らむ。

しかし・・・もし閉鎖になったら、十勝方面の経済逆効果はけっこうなものだと思うのだが・・・。
そのあたりをもし考慮しているとすれば
あとは経営の工夫だけになるはずだが・・・・。

企業規模の大小を問わず、生き残るところはそれなりに工夫というものをしている。
サーキットだってそれは例外ではないはず。

むむむむ・・・・。
Posted at 2009/04/02 23:20:31 | コメント(4) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「@ぼうんのう さん、バッテリーとエアコンまでやれば、走り出してすぐに効果を体感できますよ(^^)」
何シテル?   06/04 11:05
アルファ156 2.5V6で走ってます。 家内用にGTV3.0V6。
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