2011年02月10日
年末年始から慌しい日々を過ごし、ようやく普通の毎日に戻りつつあると思ったら
職場は既に年度末進行という状態で、やはり気忙しい日々を過ごしている。
さて、巷を賑わせている例の八百長問題。
テレビはあまり観ない私でもここまで繰り返し取り上げられたら
好む好まざるに関係なく概要は分かってしまう。
子供のころ、相撲はよく観ていた。
父が好きだったからだ。
ちょうど若貴兄弟のお父さんの初代貴乃花の全盛期で
父もやはり当時人気No1だった貴乃花のファンだった。
我が家はチャンネル権は父が持っていて
相撲中継に放映されるマンガが観たくても、それは許されなかった。
というわけで相撲をぼんやりと観ていたわけだが、
格闘技としては実に単純明快な競技(本当は武道だが)なのだが
よく観ると実に奥が深い。
それから月日が流れ、一人暮らしになってからはほとんど相撲中継をみることはなくなった。
なので若貴ブームのときもテレビを観ることはなく
「へえ~弟が先に横綱になったんだ」くらいにしか思ってなかった。
前置きが長くなったが八百長問題。
正直なところ、初めてこのニュースが流れたとき特に驚きはしなかった。
高校のとき、何故かクラスにやたらと相撲に詳しい友達がいて
座席が近いこともあってよく相撲の話を聞かされた。
何を根拠に彼がそう言ったかは不明だが、
そのとき八百長というのが当たり前に行われているということを
彼は得意げに私に話した。
もちろんそれが事実かも分からないし、そんな話だけで八百長というものが
昔からあったなんて言うつもりもない。
しかし一連のニュースを見る限り、どこか「それは以前から・・・」という空気が見て取れる。
今回の一件がまだなんら決着を見ていないにもかかわらず
「以前はなかったんですか?」というマスコミの聞き方でそれが分かる。
それでは何故、覚醒剤で捕まった力士が八百長問題を非常に短い期間で撤回したとき
それを徹底的に取材しなかったのですかと聞きたいが。
そして注目したいのは、今の相撲協会のシステム。
正確でないかもしれないと前置きするが、
十両と幕下ではその待遇に天と地ほどの差があるそうだ。
十両になれば付き人を持つ身分となり、月給ももらえるという。
一方幕下はその十両以上の力士の付き人になり
月給すらもらえない。
部下を持つ正社員と住み込みのアルバイトほどの差がある。
問題はここからで、この驚くべき差は紙一重という点である。
つまりカド番に負け越して十両から陥落すれば幕下となり
正社員が一夜にして住み込みアルバイトになるのだ。
これでは金銭が絡んだ星のやりとりは起こり得るのではないか。
根が深い問題ほど精神論では根絶はできない。
例えば、米国のメディアに言わせれば我が国の国会議員に汚職が多いのは
議員のモラルが低いというのではなく、選挙に金が掛かりすぎるからだという見方なのだそうだ。
別の言い方をすれば、今の選挙システムではいつまで経っても汚職はなくならないということである。
八百長が悪いことだというのは誰でも分かることなのに行われている。
その直接的な原因を改めなければ根本的な解決にはならないだろう。
厳罰に処すことだけで、それがなくなるとは到底思えない。
世界的に見ると相撲は立派なプロスポーツである。
だからといって世界基準を持ち込む必要はないだろうが、
プロスポーツで八百長が平然と行われているのは恥ずかしい話である。
かつて相撲はもっと敷居が高く、横綱に至っては「神様」という扱いだった。
巡業先で横綱が家に上がるようなことがあれば
その家にとっては非常に縁起のいいことだったという。
今でもそういう風潮は残っているとは思うが
ちょっと前まで連呼されていた「品位」「品格」というものがずいぶんとなくなったように見える。
それにしてもこの問題、一体どんなカタチで終結するのだろうか。
Posted at 2011/02/10 20:04:57 | |
トラックバック(0) |
その他 | 日記
2011年02月05日
「神様は何を考えているのでしょう」
20年前、大学時代の恩師が亡くなったときに母から届いた手紙に書いてあった言葉。
「神様は何を考えているのでしょう」
そう思わずにはいられない出来事があった。
義弟(家内の妹の夫)が帰らぬ人になった。
クモ膜下出血だった。
先月12日朝に「倒れた」という知らせが届き、その日の夜に駆けつけた。
その後4日間、昏睡状態が続き、家内と共に一旦こっちに戻ったが、
その日1月16日夜、義弟は逝ってしまった。41歳という若さだった。
良い男だった。
義弟という極めて近い親戚だが本来はまったくの他人。
しかし気持ちのいい、同じ男として実に魅力溢れる人柄だった。
優秀な技術者でこれまでも多くの実績を残してきた。
しかしその裏では社会人になってから大学院に行くなど人知れず努力をしていたことも
あとになって知った
会社にとっては計り知れないほどの損失だったに違いない。
部下を何人も使うような立場にありながら、
私のことを「お兄さん」とよく立ててくれた。
小学校2年生になる一人息子が最近になって野球を始めた。
するとすぐさまコーチを買って出て、子供達と一緒になって汗を流した。
葬儀の際、ユニフォーム姿で横一列になって
顔をクシャクシャにしながら泣いている子供達の姿を見て
たった1年ちょっとの期間で子供達の心を掴んでいたのだと実感した。
このあたりも彼らしい。
私も少しばかり野球の経験があるので、これからは野球談義ができると楽しみにしていたのに。
本当に良い男だった。
そんな義弟がある日突然に逝ってしまった。
まるで間違って停止ボタンを押してしまったかのように、唐突に人生が終わる。
「こんなのってアリかよ・・・」
そう思わずにいられなかった。
夫として、父親として、そして技術者として、まだまだなすべきことがあったはずなのに。
この世に生を受けるのも、天に召されるのも神の意思というならば
「神様は何を考えているのでしょう」としか言いようがない。
生きていれば喜びもあれば悲しみもある。
生きていくことが辛いことだってある。
しかしどんなに辛いことだって、それは生きているからこそであり
「辛い」とか「苦しい」などと言うのは随分と贅沢なことじゃないかと思えた。
生きていることに、生かしてもらえることに
ただただ感謝することから始めないと志半ばで人生を終えた人達に会わせる顔がない。
義弟のことを思い出すとき、彼はいつも笑顔だった。
こっちに来たとき二人だけで出かけたことがあったが
そのときはけっこう難しい技術の話や、それまでの苦労話などもしてくれた。
しかしそんなときも彼は笑顔だった。
「それは大変だったんじゃないの?」と言っても彼は
「いやいや、そうでもないんですよ」と笑い飛ばしていた。
もっといろんなことを話したかった。
イタリア靴が好きというのも奇妙な一致だった。
東京はいいよね、ショップがたくさんあるから。
二人でゆっくり靴選びをしたかったな・・・。
明日は休みだ。
普段は呑まないけど、今夜は付き合ってくれ。
Posted at 2011/02/05 22:50:37 | |
トラックバック(0) |
その他 | 日記