2014年10月19日
11月の「特別戦」を除けば今回の第5戦が最終戦となるNew Hokkaido GT(NHGT)。
振り返れば今シーズンはトラブルに悩まされたり
良かれと思ってやった大型補強に対応できなかったりと
「噛み合わない」シーズンだった。
しかし、幸いにも前回のレースでの走りを
どぅーさん(タイトルおめでとう~!)に撮ってもらえた。
それを何度も観て、今回の修正点を整理してレースに臨んだ。
とはいえ、一度に多くのことはできないので
修正点は絞り込んだ。
【フリー走行&予選】
今回はDTCCと併催ということもあり、タイムスケジュールはけっこうタイト。
一回の走行枠は15分。
まずは様子見で走る。
しかしAグループは似たようなタイムが多く、
けっこう渋滞する。
それでもなんとかクリアラップを作ってアタック。
これだけはやっておこうと思っていた修正点はぎこちないながらもやってみる。
しかし、ピットに戻ってモニターのタイムに目を疑った。
自己ベストタイのタイムが表示されている。
しかし内容的には自分のイメージ通りとは言えない。
まだまだ修正点がたくさんある。
そのあたりを詰めるべく、フリー走行の2本目を走る。
修正点とはいえ、そのひとひとつは極めて「基本的なこと」だ。
アウトインアウトをキッチリやる。
ゼブラをちゃんと走る。
ブレーキの使い方を丁寧に・・・などなど。
とはいえ「あちらを立てればこちらが立たず」で
すべてのコーナーを納得して走れたラップはなかった。
しかし、またしてもピットに戻って驚きが・・・・
2年間更新できていなかった自己ベストが出ていた。
目標タイムに迫る、これまでのベストを0.4秒更新していた。
もうこの時点で大往生。
正直、以前のタイムに戻るのさえ、かなり時間がかかると思っていた。
今回の最終戦でベストの1秒以内にし、来シーズンにベストまでもっていければ・・・
などと思っていた。
それがベスト更新までできた。
嬉しいことは嬉しいが、どちらかというとホッとしたというのが本音。
ただし予選ではコースコンディションが悪かったこともあり
平凡なタイムで終了。
Aグループ12台中5番グリッドで決勝へ。
【決 勝】
久々にロケットスタートが決まり、上位陣に割って入ろうとするも順位は変わらず。
しかし後ろから刺されるということはなかった。
そうなれば前を見るだけで良さそうなのだが
まだまだクルマの挙動もよく掴んでいないし、
自分のドライビングも心もとない。
後ろを走るどぅーさんをどうしても振り切れない。
図らずも第4戦の決勝レースの再現となった。
得意とするコーナーをリズムよく抜けられたときは
ミラーに映るビアンコGTVは小さくなるが、
ちょっとでもミスをすればその姿はグッと大きくなる。
2台の差は詰まるようで詰まらないし、
広がるようで広がらないという微妙な緊張感に終始した。
結局Aグループ5位のまま、EURO‐Rクラス2位でフィニッシュ。
久々の嬉しい2表彰台で終わることができた。
今回の最終戦は参加台数40台を超え
さらにこれまで充電していた千両役者たちが帰ってきた。
DTCCも同時開催され、クラブマンコースは大盛況だった。
EUROクラスも走れなかった人もいるが
久しぶりに単独でクラス成立した。
来年も盛り上げていきたい。
自分としては予想外にタイムも出たしベストも更新するオマケまで付いた。
しかし実はあまり喜ぶ気にはなれない。
走り方そのものは間違っていないと思うのだが、
それはまだまだ自分のものになっていない。
皮肉なことに、タイムを出せる走り方を試したら
自分の未熟さを突き付けられた。
でも、そこが面白いとも思う。
だから、例年ならこのNHGT最終戦でシーズンは終わるのだが、
今はまだちょっと迷っている。
今回判明した「問題点」はクルマにもあるので
オフでやるべき宿題もあるのだが、もう少し走りたい。
あともう一回くらい・・・
さてどうしようか・・・。
とはいえ今日の最終戦は天候にも恵まれ最高のレース日和だった。
毎度様の人、お久しぶりの人、はじめましての人、
皆さん本当にありがとうございました。
それではまた!
Posted at 2014/10/19 23:11:33 | |
トラックバック(0) | 日記
2014年10月14日
先日のNHGTから気がつけばもう最終戦。
第4戦から最終戦までの間、少なくとも一回、上手くいけば二回くらい走れると思っていた。
ずいぶん前から10月13日のEuro&World Cupは走ろうと決めていたし、
他にも「もっと走ってみない会」や「System-R走行会」など練習にはちょうどいい走行会があった。
しかしどれもエントリーしなかった。
実は0541MEETINGの少し前に父が倒れた。
父は今年86歳と高齢なこともあり、一報を受けたときはそれなりの覚悟はした。
しかしその覚悟とは裏腹に命に別状はなかった。
しかもありがたいことに遠方から駆けつけてくれた伯父が、
入院その他一切の手続等を済ませてくれていた。
伯父はかつて小学校の先生をしており、父と4歳しか違わないのに
10歳は若く見えるほど元気だった。
父と最後に会ったのは昨年の冬だった。
そのときは元気だと思っていたが、たった半年しか経っていないのにひどく弱っていた。
一旦は退院できたが、すぐにまた治療が必要になり再び入院した。
そしてそのことは、もう一人では生活していけないことも意味していた。
先週の三連休を利用して父に会いに行った。
6月に倒れてすぐに見舞いに行ったときより、さらに弱っていた。
そして伯父から家を壊すことにしたと告げられた。
来るべきときが来た。
父が住んでいた家は、私が生まれ育った家でもある。
高校を卒業するまでの十数年間、平凡な言い方だが
思い出がいっぱい詰まった家だ。
父と母、兄と私の四人家族を守ってくれた家。
その家が遂に壊されることになった。
そのことは函館に行くまで知らなかったが、
秋晴れの空の下で生まれ育った家をもう一度眺めることができた。
札幌までの帰り道、こんなことを思った。
確かに函館は自分の生まれ故郷ではあるけれど、
もうそこには帰るべき場所はなくなったのだと。
大学生のころ、なぜかは忘れてしまったが早朝に函館の家に着いてしまったことがあった。
さすがに両親を起こすのも悪いと思って2時間ほどクルマの中にいたら
気付いた母が出て来た。
「入ってくればいいでしょ。自分の家なんだから」
この言葉に、なにかとても温かいものを感じた。
そうか、この家は自分の家なんだよな・・・そう思った。
あれから確実に時間は流れた。
母はもういないし、自分も家庭を持った。
いろんなことが大きく変わった。
それは生きていく上で至極自然なことであり、
受け入れていくべきものだ。
札幌に向けてGTVを走らせている。
今の自分が帰るべきところは家内の待つ、今の家なのだ。
それは幸せなことだ。
間もなく取り壊される、生まれ育った家で過ごした時間も、
今の自分の家で過ごしている時間も、
どちらも過去と現在の違いこそあれ
それは幸せな時間であることは間違いない。
Posted at 2014/10/14 21:33:45 | |
トラックバック(0) | 日記