
すっかり秋である。
つい先日まで半袖一枚で過ごしていたはずなのに、
今ではときどき暖房のスイッチを入れるほど。
そんなわけで読書の秋。
かねてから読んでみたいと思っていた本を読むことができた。
『炎上』~中部博~
このブログをご覧いただいている方々の中で
1974年の富士スピードウェイで発生した事故をご存じの方がどれだけいるかは予想できないが、私もリアルでは知らない世代だ。
なんとなく知ってる、程度のものだった。
20代のころ、スポーツ誌のNumberがこの事故の特集をしていて、
買って読んではみたものの、今ではほとんど記憶に残っていない。
そんなこともあり、この『炎上』の存在を知ってから、ずっと読んでみたいと思っていた。
さらにネット上にある、この本のレビューが興味深かった。
評価が真っ二つに分かれているからだ。
「素晴らしい!」「良い書です」という声もあれば、
「とんでもない本だ」「期待していたモノは何もない」という声もある。
一体どっちなのか?
ますます興味は膨らんだ。
結論から言えば、私は賛否どちらの意見も頷ける。
なんだかイイ子ちゃんのようで申し訳ないが、それが偽らざる感想である。
ただ、ここからが本題なのだが、賛も否も両方ある。
まず否の部分。
私もやはりあの事故のこれまで明らかになっていなかった部分、
すなわち核心に迫る部分に期待していた一人だ。
しかし残念ながら、もちろん初めて知ったことのほうが多かったが、
それはどれも核心に迫るというものではなかった。
そしてもうひとつ、これは私がもっとも知りたい部分が、
残念ながら取材はされていなかったことだ。
ひとつは、あれほどの事故だったのに、なぜ映像が存在していないのか?
テレビで放映されていたにもかかわらず。
確かに本文中には筆者が映像を観たということが書かれているが、
それはオフィシャルなものではなく、一般で言う録画映像ではない。
次に、あの問題の第2ヒート前に行われたドライバーズミーティングに関して。
確かに詳細に書き綴れば個人の名誉等の観点から、
かなり難しい局面もあると思われるが
事故の間接的な原因や時代背景を分析する意味でも
もう少し・・・が欲しかった。
ただし、この点については抽象的な表現ながら
かなり興味深い記述があったことは間違いない。
そして最後に、当時のレースというスポーツの空気である。
ワークス絶対主義とも思える、ある意味「歪んだスポーツ」だった我が国のモータースポーツ。
こちらも40年の歳月を経てたとしても、取り上げるのはデリケートな問題かもしれないが、
決して事故との因果関係がないとは思えない。
これらに関してもまったく書かれていないわけではないが、
読者の想像力にお任せするというニュアンスだ。
以上、否の部分を書いてみたが、正直に言うと読み終わった直後の感想は
「勉強になった」の一言に尽きる。
自分がこれからもサンデーレースを続けていく上でのガイドラインも「これだな」と思えた。
本書後半部分から登場するテーマ、スポーツマンシップというものだ。
この点に関してはまったくといいほど期待していなかったというか、
予想だにしていなかっただけに、予想外の展開に思えた。
しかし私はこのスポーツマンシップというテーマに触れることができただけでも、
この本を読んだ価値があると思っている。
もちろん私だって走る上ではスポーツマンシップを心がけている。
とはいえ心がけているというだけで、その確証というか、
自分の中にその土台となる確固たる考えを持てないでいた。
それがこの本から得ることができた。
この『炎上』で取り上げられた1974年の大事故は、
恐らくもうこのようなカタチで世に出ることはないだろう。
少々回りくどい言い方になるが、そもそもレースという極めて特殊なスポーツを
一般常識に則って原因を究明しようとすることに、
どうしようもない壁を感じてしまう。
そしてあまりに時間が経ちすぎてしまった。
それは同時に時代が変わったということも意味する。
一般常識をもって判断することでさえ疑問符がつく特殊なスポーツを、
時代背景が大きく変わってしまった現代の基準で議論することが、
私には意味のあることに思えない。
「歴史を研究する上で、今の基準で物事を考えてはいけない」と
職場の大先輩から言われたのを思い出した。
そんなことを考えると、筆者も本当に言いたいこと、
書きたいことの半分も書けなかったのではないかと想像してしまう。
そして本書に登場した当事者たちも、実は本音を語っていないのではないか。
しかしその人たちを批判する気にはなれない。
思いのたけを露呈すれば誰かが傷つく。
だからこそ言葉を選び、慎重にならざるを得ない。
そして心の奥底に、
我々のような平凡な生活をしている人間には分からない
極めて異質な世界で生きた人だけが知る苦脳があるように思えてならない。
モータスポーツはクルマという道具が主役になり得る稀なスポーツだ。
しかし実は人間臭く、ときに機械であるはずのクルマは人間のように繊細で
人は機械のように正確なときもある。
そして機械と人間が一体となって自然の法則と戦う。
だからこそ面白い。
だからこそ、これだけ人々を惹きつける。
先日のEuro&World Cupで、十勝スピードウェイのベテランスタッフと話す機会があった。
「最近ちょっと事故が多いんだよね」とベテランスタッフ氏。
ちょっとした不注意もあれば、熱くなってぶつけてしまったようなケースもあるとのこと。
私は会話の中でついこんな言葉を口にした。
「ここで引いて無事に帰れるなら、私は引きますよ。」
「うん、それでいいんだよ」
「笑って終わる」が、私のモータースポーツにおける最優先のテーマである。