
気が付けばF1もシーズンは開幕しており、
すでに4戦が消化されている。
今年はレッドブルホンダとAMGメルセデスの力が接近している上に、
わが国では久々の日本人ドライバー角田裕毅が参戦していることもあり、なかなかの盛り上がりを見せている。
この角田選手、これまでの日本人ドライバーと違い、ヨーロッパのレースでその力を認められ、中堅チームとも言えるアルファタウリのシートを手に入れた。
中堅チームとはいえ、昨シーズンは優勝もしているのだから、
ルーキーが加入するには願ってもない環境と言えるだろう。
しかもトップチームのレッドブルの傘下なのだから、
結果次第では将来フェルスタッペンとチームメイトになれる可能性だってある。
開幕戦のバーレーンGPでは見事9位に入賞したこともあり、
海外メディアも角田選手を絶賛した。
ところが、ここにきて歯車が狂い始めている。
走り慣れたイモラということで注目されたエミリアロマーナGPでは
クラッシュでQ1敗退。
決勝では粘りのレースをしていたがスピンで後退。
トドメは第4戦のスペインだった。
ギアボックスのトラブルで0周リタイア。
そして逆風はコースの外でも吹き始めた。
角田選手のコメントが、若干の波紋となっている。
早い話「口は災いの元」というヤツである。
元来この人はコース上の無線では、お世辞にも紳士的とは言えない。
Fワード連発で、なかなかヤンチャである。
これだけでも「不安材料」ではあったが、メディアへのコメントがまずかった。
チーム批判と解釈されるような話をしてしまったからだ。
のちに彼はその件について釈明し、チームに謝罪している。
そこでふと思った。
レーシングドライバーの能力とは一体どう考えればいいのだろうか?
単純に考えて、レースにおいて「速い」は正義である。
しかし1ラップの速さを言うのか、あるいはレースディスタンスの速さを言うのか。
そして完璧にセッティングされたマシンで比べるべきなのか、
あるいはセッティングから始めて比べるべきなのか。
そう考えると判断は難しいところではあるけれど、
レースである以上、ワンラップを競う競技ではないし、
全員が完璧にセッティングされたマシンで競うことはあり得ない。
ということは、マシンのセッティングも含め、レースで結果を残すことが
レーシングドライバーに求められる能力ということになりはしないか。
そうなるとF1のようなトップカテゴリーなら尚のこと、
セッティング能力、さらにはエンジニアとのコミュニケーション能力、
さらにはチームのモチベーションを上げるというのも、
レーシングドライバーとしては必要な能力になるだろう。
かつてAUTO-SPORT誌でこんな話を読んだことがある。
『どんなにベテランのドライバーでも、ニューマシンに初めて乗った時は
そのマシンの感触が悪くても決してそれを口にしないものだ。
まずはニッコリ笑って「うん、上々だね」と。
出来上がったばかりのニューマシンに不平不満を言おうものなら、
たちまちメカニック達はやる気をなくしてしまう。』
ドライな世界と思っていた本場のレースでも、
こういったメンタル的な側面も重要ということなのだろう。
さらに・・・
あのアイルトン・セナがマクラーレンホンダをドライブしていたときのこと。
まだフジTVが地上波で放送していたときだ。
何年のどこのGPかは忘れてしまったけれど、
レース序盤から後続を引き離したセナが、
終盤に差し掛かろうとしたときに、マシントラブルで止まってしまった。
優勝間違いなしという展開から、一転してリタイアである。
しばらくして、テレビの画面はピットに戻ったセナを映し出した。
そのシーンに、ゲスト解説者の高橋国光氏はこうコメントした。
『いやぁ、さすがですね。トップ独走からリタイアで悔しいはずなのに
冷静にエンジニアと話していますよね。』
確かにエンジニアと思しきスタッフと話すセナの表情は
まるでセッションの途中のような淡々としたものだった。
確かにセナはレーシングドライバーとして
天井知らずのワガママだったことで知られていた。
私もセナの輝かしい実績は、ホンダというセナのワガママと聞き入れてくれるスタッフがいたからこそだと思っている。
ただ、それはセナが純粋に速さを求め、
スタッフを鼓舞する振舞いができたということも考えられるだろう。
そして激務の後に仕上げたマシンで圧倒的な速さを見せる。
最後にやっぱりラウダの話をさせてもらいたい。
ラウダには1974~79年まで、専属のメカニックがいた。
イタリア人のエルマノ・コーギーである。
この、口髭の穏やかな雰囲気のメカニックに
ラウダは全幅の信頼をおいていた。
ラウダがフェラーリ在籍時からその関係は始まり、
映画「POLE POSITION」では『僕と同じくらいスゴイ仕事をする』と話している。
しかし’77年シーズン終了後、ラウダがフェラーリをドアを蹴飛ばすように出ていったとき、
コーギーはフェラーリからクビを宣告される。
後年、コーギーは語っている。
「長年尽くしたフェラーリからの仕打ちはひどいものだった」と。
なんと遠征先で解雇通告を受けたというのだ。
しかも「イタリアに帰るのは自分でなんとかしろ。」と言われたという。
それを聞いたラウダは、すかさずスポンサーのパルマラットに話をつけ、
コーギーはパルマラットが用意してくれた飛行機で
無事にイタリアに戻れたという。
そしてラウダから信頼を得ていたコーギーは
今度はブラバムでアルファロメオエンジンと向き合うことになる。
再開を喜び合う二人。
これは恐らく2019年にラウダが逝去するほんの数年前に撮られたワンショットではないかと思われる。
この1枚の写真から、レーシングドライバーとスタッフの信頼が
いかに重要でかつ尊いものかが窺い知れる。
通算25勝、3度のワールドチャンピオンは
ラウダ一人の力で勝ち取ったものではないと、
恐らくニキ・ラウダ本人もそう言うだろう。
『ニキは紛れもない紳士だった。
私は彼が現状に不満を言っているのを聞いたことがない。』
~エルマノ・コーギー~