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2021年12月04日 イイね!

チャレンジのオフになりそう・・・

 以前、このブログで「プラグホールからのオイル漏れ」を書いた。
発見した時点では、なんの迷いもなく「修理はプロにお願いしよう」と思っていた。
 しかしその後このみんカラをはじめ、
いくつか「先人たち」の記録をみるにつけ、
自分でもできるのではないかと考えるようになった。

 そこでまず部品の発注。
春のエンジン載せ替え時にタイミングベルト一式も交換し、
当然ヘッドカバーのパッキンも交換したが、
このときはOEM品のパッキンを使った。
このOEM品、純正品の約半額の値段で手に入る。

 同じOEM品で交換するのは芸がない。
ここは手堅く純正品を注文することに。

とはいえ、プロのようにササッと交換できるわけがない。
まずは無事にヘッドカバーを外せるかどうかである。



画像では分かり難いけれど、普段はその存在すら知らないようなナットを外す。
イグニッションのハーネスを束ねているガイドを固定しているナットを外し、
イグニッションコイルなどの必要なボルトを外していく。
問題の3番プラグホールのは状態は・・・



やはり漏れている。
漏れが判明してから一度は完全にキレイにし、
そこから数十キロ走っただけなのにこの有様である。

 本丸のヘッドカバーを外す前のほうがやることは多い。
向かって左側、樹脂製のベルトカバーを外す。



手前2本は外側から六角ボルトで留まっているが、
奥の1本だけは内側(エンジン側)からキャップボルトで留まっている。
このカバー、表面の劣化が目立つので以前から塗装したいと思っていたので、
この機会に塗ってしまおうと思っている。



 今まで一度もヘッドカバーなんて開けたことはなかった。
なんだか「禁断の領域」に足を踏み入れたような心境である。
エンジンの中身には何もしないのだが・・・。

ただ、先人の記録になかった事態に遭遇した。
ヘッドカバーを留めるすべてのボルトを外し、
さあこれであとは手前に持ち上げるだけだと思ったが、
オイルレベルゲージのステーが思いのほか邪魔になった。
ヘッドカバーのボルトで共締めされているこのステーは
「無くてもいいんじゃないか?」と思えるようなもので、
さらにヘッドカバーのボルトを外せば
レベルゲージを収納している金属製のパイプに引っかけているだけの
実に原始的な固定方法なのである。
このステーを外すことができなければ、
カバーを元に戻すときにかなり苦労すると考えたけれど、
その心配は解消された。

それと・・・
ヘッドカバーを固定しているボルトは
エンジンと同じアルミ合金製だと思っていたが、それは間違いだった。
普通にマグネットで拾うことができる。
恐らく電蝕しないよう表面加工されたスチール製ではないだろうか。
ということは、この機会にボルトを新調できる。
ブラックにしようか・・・。



 外したベルトカバーとヘッドカバー。
やってしまえばどうということのない作業なのだが、
今日のような0℃近い気温の日はなかなか大変だった。。

オイル漏れを起こしていたプラグホールのパッキンをよく見てみたが、
これといって原因らしい現象は見当たらなかった。
恐らくパッキンの個体差というか、不良品に当たってしまったようなものか。
今回は純正品を使うので、これでスッキリ治ってほしいところ。



 外したヘッドカバー。
先日、なんとか見られるレベルまでにはキレイにしたつもりだったが、
こうして見るとお世辞にもキレイとは言えない。

自宅に戻ってゴシゴシ洗い、さらにパーツクリーナーで隅々まで掃除したが、
この状態とさほど変化はなかった。
これはもう塗装するしかなさそうだ。
前々から塗装も視野に入れていたので、むしろモチベーションが上がる。
ただ、色に関しては片バンクだけ特別な色にするのは違和感があるので、
普通にシルバーにしておこうと思う。

 この他にも、このオフにはやりたいことがいくつかある。
その中にはこれまでやったことがないようなこと、
どうして今までやらなかったのか?と思うようなことも。
いずれにしてもチャレンジのオフになりそうだ。
Posted at 2021/12/04 23:22:49 | コメント(1) | トラックバック(0) | アルファロメオ156B | 日記
2021年11月29日 イイね!

フランク ウイリアムズ逝去

フランク ウイリアムズ逝去 F1界から訃報が届いた。
F1の名門ウイリアムズの創立者であるフランク ウイリアムズ氏が26日、天に召された。

ウイリアムズというコンストラクターについて、今さら説明するまでもないだろう。特に日本ではホンダエンジンでタイトルを獲得したことで、知名度は高い。
1980年代、ホンダ第2期のF1参戦で、エンジンを供給したのはスピリットだったけれど、いわゆるトップチームとしてホンダのエンジンを使ったのはウイリアムズが最初だった。

 恐らくこの頃からF1を観始めたファンにとって、ウイリアムズは既にトップコンデンターでありマクラーレンやフェラーリ、ロータス等と肩を並べる「強豪」という印象だったと思う。

 しかし、私がF1に熱狂し始めた70年代、ウイリアムズというチームは
まったく成績のふるわない弱小チームそのものだった。
TOP画像は1976年のFW05で、
ドライバーは途中解雇されたジャッキー イクスに替わり、
ステアリングを握ることになったアルットゥーロ メルツァリオ。
ハーベイ ポスルスウェイトがデザインしたヘスケスを改良したマシンだったが、
その外観からも速そうには見えない。
ただ、このときは実質ウォルター ウルフのチームであり、
フランク ウイリアムズとチーフデザイナーのパトリック ヘッドは
このFW05を走らせた翌年の77年、
ウイリアムズグランプリエンジニアリングを設立する。

 そして1978年から徐々に成績は上向きになっていく。
この78年から、それまで使っていたヘスケスやマーチのシャーシから、
パトリック ヘッドがデザインした完全オリジナルのFW06を投入。



このカラーリングに注目していただきたい。
当時のF1においてグリーンは珍しい色だった。
そしてスポンサーのロゴはFLY Saudia、ALBILAD、AVCOなど
いわゆる「アラブマネー」の企業が目立つ。
ウイリアムズがこのアラブマネーの潤沢な資金を得て、
79年第4戦から投入したのがヘッドのデザインによるウイングカーFW07である。

 このFW07はF1に強烈なインパクトを与えた。

第9戦のイギリスGPでクレイ レガッツォーニが優勝すると、
アラン ジョーンズが第10戦のドイツからオーストリア、オランダと3連勝を果たす。
今では3連勝といってもあまり驚く人はいないが、
当時のF1で3連勝というのは圧倒的な強さと言える。
ちなみにこの年のチャンピオンはフェラーリのジョディ シェクター。
そのシェクターでさえも年間3勝だったにもかかわらず、
ウイリアムズのジョーンズは後半7戦で4勝している。
つまり79年の年間最多勝は、シーズン途中から投入されたFW07をドライブした
アラン ジョーンズということになる。



 そして翌80年、ジョーンズは頭角を現したブラバムのピケとの接戦を制し、
自身そしてウイリアムズ初のチャンピオンに輝く。
カーナンバー27が、あの伝説のジル ヴィルヌーヴのナンバーになったのは、
チャンピオンナンバーの1がフェラーリからウイリアムズに移ったことによる。



 80年のタイトル獲得によって、ウイリアムズは正真正銘トップチームとなった。
ドライバーは80年からレガッツォーニに替わり
ブラバム、フェラーリ、ロータスというトップを渡り歩いてきた
カルロス ロイテマンが加入。
ところが、このロイテマンの加入により
ウイリアムズではトップチームにありがちな内紛が始まる。

上の画像は81年ブラジルGP。
トップを走るロイテマンに対し、チームからは「アランを先行させよ」の指示。
しかしロイテマンはそのオーダーには従わず、トップでチェッカーを受ける。

「あの場面でトップを譲るようなら
 オレは荷物をまとめて国へ帰るだけだ。」

 この81年、前年同様ブラバムのピケとウイリアムズの一騎打ちとなった。
ただ、タイトルを争ったウイリアムズのドライバーは
ジョーンズではなくロイテマンだった。
結局、最終戦でジョーンズが優勝したものの、
ロイテマンは下位に沈みチャンピオンは1ポイント差でピケが獲った。

 さて、話は変わるがウイリアムズを一躍トップチームにまで持ち上げた
このFW07は何故ここまで強かったのかということである。
当時はAUTO-SPORT誌などもよく読んだが、
FW07の「強さの秘密」というのは今ひとつよく分からなかった。
しかし最近になって読んだRacing ON誌に興味深い記事があった。
ウイングカーとして、特に目立ったようなギミックなどはなかったが、
FW07はパトリック ヘッドらしくシャーシ剛性が高く、
サスペンションなども質実剛健な設計だったという。
これはすなわち、当時の空力最優先の中においても
基本に忠実なレーシングマシンだったということが伺える。
ゴードン マレーやジョン バーナード等と比べて、
生涯ウイリアムズだったということもあって
日本での評価はもうひとつという印象だが、
間違いなくパトリック ヘッドというデザイナーは歴代屈指の名デザイナーである。



 激戦の82年も、最後は年間1勝のみのケケ ロズベルグが獲った。
稀代の名機フォードコスワースDFV最後のチャンピオンマシンはウイリアムズだった。

その後もピケ、マンセル、プロスト、ヒル、ヴィルヌーヴとチャンピオンを輩出していった。

 最後に、ウイリアムズといえばやはりセナのことは書いておくべきだろう。
当時、ウイリアムズのマシンは唯一無二、他を圧倒するパフォーマンスだった。
一方、ホンダの撤退に伴いセナのマクラーレンは下降線を辿っていた。
プロストが93年にタイトルを獲得し、
セナと同じチームで走ることを望まなかったため引退。

 これでずっと相思相愛だったセナとウイリアムズは結ばれることになった。

ここで面白いエピソードを紹介したい。

クレア ウイリアムズ(フランクの娘 のちのチームオーナー)がまだ幼いころ、
遠征先のホテルでの出来事。
「寝る前にパジャマに着替えて、
パパ(フランク)におやすみなさいを言いに部屋まで行ったの。
ドアを開けると、なんとパパの向かい側の椅子には
あのセナが座っていた!
私はパジャマ姿!
もうどうしよう~!って感じだったわ!」

なんとも微笑ましいエピソードだが、
セナはウイリアムズへの加入を渇望していたし、
フランクにとってもそれは長年の夢だった。



しかしこの「熱愛」は最悪の結末となった。
不世出の天才ドライバーが最後にステアリングを握ったのは
ウイリアムズのマシンになってしまった。

 若いころは極貧を経験し、そこからF1のトップチームにまで躍進し、
大事故に遭い車椅子の生活を強いられながらもチームの指揮を執った。
セナの死、チームの低迷、そして引退。
波乱万丈の人生と言えるだろう。
思えばウイリアムズのような、一人の情熱ある人物がチームを作り、
頂点にまでのし上がっていくようなことは、今後もう見ることはできないだろう。
 
 フランク ウイリアムズという人を思うとき、
その情熱とモータースポーツへの愛情に、敬意を抱かずにはいられない。

心よりご冥福をお祈りいたします。


Posted at 2021/11/29 21:28:58 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2021年11月21日 イイね!

ALFA ROMEO 164 Proteo

ALFA ROMEO 164 Proteo 一部のクルマ好きからデビューを切望されながら、ついに世に出ることはなかったというモデルは多々ある。
日本では日産のMID4などが思い浮かぶところであるし、海外でもそんな話はいくらでもある。
ピニンファリーナのMitos(ミトス)なんかもそうだろう。

 今回紹介するクルマは私のとってまさに「市販してほしかったクルマNo.1」であり、今もって魅力を失わない素晴らしい1台と言える。

アルファロメオ164プロテオ。

詳細は割愛するとして、大まかに言えば1990年代初頭に
ショーモデルとして発表されたのみである。
デザインはウォルター デ シルバが率いる、
当時のアルファロメオデザインチーム「チェントロスティーレ」によるもの。

一見916GTV&スパイダーに似ている印象だが、
164という名前が付いていることから、アルファ164がベースになっている。



ボディサイドに目を移すと、同じアルファロメオでも
SZ&RZのような雰囲気も感じる。



インテリアもどちらかというと916系よりは
その造形から164に近いものを感じる。



「攻めのデザイン」のフロント周りに対して
リアビューは特に奇抜だったり意外だったりすることはないが、
それでも調和のとれた美しいデザインであることは間違いない。



世に出ることは叶わなかったこの164プロテオだが、
そのパワーユニットはやはり3リッターのブッソV6で、260psを絞り出す。
そして164ベースであるが、それはQ4でありこのプロテオも4WDとなっている。
こんなコンパクトなオープンスポーツに
ブッソV6エンジンと4WDを組み合わせるなんて
考えただけでも心が躍るというものだ。

 ただ、私はこのクルマのデザインに敬意を抱かずにはいられない。
塊感のある、装飾の極めて少ないこのデザインは
デザイナーの力量を示し、そしてデザイナーのメッセージが明確に伝わってくる。
早い話デザインする人間が「オレはこういうクルマがカッコイイと思っている!」
と、無言のメッセージを送っているように思うのである。
クルマをモデファイするのが大好きな私でも、
このプロテオを前にしては手も足も出ない。

 デザインは新しい提案という定義がある。
今のクルマのデザインは、確かに新しい提案であるけれど、
美しいかどうかは別の話である。
916GTV&スパイダーは、一部の熱狂的なファンから’
Timeless Design’(時代を超越したデザイン)と言われている。
今回紹介したアルファロメオ164プロテオも、
間違いなく時代を超越したデザインと言えるだろう。

 このプロテオは残念ながら世に出ることはなかったが、
クルマ全体から感じられる空気感のようなものはGTVに通じる。
GTVに乗ってから既に14年が経過している。
それでもまだまだその魅力が色褪せないのは、
デザイナーの提案に共感できることに他ならない。
Posted at 2021/11/21 22:43:21 | コメント(2) | トラックバック(0) | その他 | 日記
2021年11月16日 イイね!

週末を待ちきれず・・・

週末を待ちきれず・・・ 昨日のブログでは、GTV用のフェラーリ風バッジを作ったということを書いた。
今回のバッジを作るにあたり、色々と調べているうちに魅力的なロゴを見つけた。

フェラーリ308の一部モデルに付けられていた、’quattrovlvole’のロゴである。
quattrovalvole、英語で言うfour valveである。
80~90年代の国産車では、よく’Twin Cam16’や’DOHC 4Valve'等のロゴを見かけた。
当時はDOHCや4バルブなどは、一部のスポーツモデルにしか採用されておらず、
そのことはちょっとしたステータスだった。

他にもインジェクションを意味する小文字の’i’が排気量の横にさりげなくあったり、4輪駆動を示す’4WD’がデカデカとボディ側面に入っていたりした。

 今ではそういったアピールはもう流行らないのか、
あまり見かけなくなったような気もする。

 さて、そのquattrovalvoleのロゴも作ったら、もう週末を待てなくなってしまった。
仕事が終わり、家内を迎えに行くまでの間、
少し時間ができたのでずべてのバッジを付けることに。



昨日のうちに両面テープを付けておいたので、
今日は元々のバッジを剥がし、さらにパーツクリーナーで下地処理。
まずはブラックに変更したgtvのバッジを貼った。
3㎜厚にしたおかげで、なかなか「本物っぽい」仕上がりになった。
よしよし、イメージ通りだ。

そして次は3.0 V6と、その下にセットするquattrovalvoleだ。

まずはquattrovalvoleから貼る。
3.0 V6から先に貼ると、このバッジの下側とトランクの終わりのラインとの間に
どのくらいスペースを取るか考えなくてはならなくなる。
それは面倒な上に、失敗する確率が高い。
まずはトランクのラインに注意してquattrovalvoleを貼ってしまえば、
あとの作業は簡単になる。



ジアッロのボディーカラーもあって、思った以上の雰囲気になった。
オリジナルは3.0 V6 24Vとあったので、表現は違えど同じである。
アルファロメオ純正のバッジを外して見ると、
フォントはフェラーリ308~348の時代とほぼ同じように思える。



こうして見ると、こんな小さなパーツでも
文字、ロゴの持つ力というのはなかなかスゴイと思ってしまう。
それにしても、昔はこういうモノを嬉々として作ったものだけれど、
最近は眼が辛くなってしまう。
これはそろそろハズキルーペのような拡大鏡が用意しなくては。



GTVは冬も乗るのでオフはないけれど、
まだまだやることがありそうなので、精力的に手をかけていこうと思う。
本当は、場所さえ確保できればリアの足回りをリフレッシュしたいのだが・・・。
ブレーキキャリパーの塗装にもチャレンジしたいし・・・。
さて、次は何をしようか。

Posted at 2021/11/16 20:29:08 | コメント(4) | トラックバック(0) | アルファロメオGTV | 日記
2021年11月15日 イイね!

秀逸なデザイン

秀逸なデザイン フェラーリやランボルギーニに代表されるような、いわゆるスーパーカーと呼ばれるクルマはそのスペックはもちろん、細部に至るまで秀逸なデザインが見られる。
これは大衆車と違い、コストを考えなくてもよいことと、細部のデザインにも神経を使うことで差別化を図っているためだと思われる。

 大衆車では樹脂を使い、ほとんど使い回しのようなデザインの場所でも、スーパーカーともなれば本革やカーボンを使い、唯一無二のデザインで美しく仕上げている。

 なんだか堅苦しい前置きになってしまった。

具体的に言うと私は70~90年代の、
モデルで言うと308から348までのテールエンドに付けられていた
’308’、’328’等のバッヂは秀逸なデザインだと思う。



この、一見なんということのないような数字のロゴが、
フェラーリのフェラーリたる所以にすら思えてしまう。
ゴシック体を基調にしたようなシンプルなロゴに、
ホワイトのアクセントがフェラーリというクルマのキャラクターを表している。
308、328、348の三代に渡りこのロゴデザインは踏襲されている。
(355からは斜体のロゴになった)



恐らくこのロゴもピニンファリーナのデザインチームが作ったものだろう。
すべてのスーパーカーが、
ひとつのデザインチームで製作されているわけではないかも知れないが、
やはりその佇まいからはデザインの一貫性を感じる。

 そこで、私のGTVもちょっとモデファイすることに。
フェラーリとアルファロメオは血縁関係にある。
さらにGTVはフェラーリ同様、生まれたのはピニンファリーナだ。
ならば「アリ」だろう。



フォントを探すのが大変だったが、海外サイトから入手できた。
2㎜厚の塩ビ板を切り抜き、つや消しブラックで塗装。
さらに光沢のホワイトフィルムを貼って完成。



実際に作ってみると、さらにそのデザインの良さが実感できる。
このロゴを作ったデザイナー氏に最敬礼である。
この3.0 V6のバッジはテールの右端に貼ることになる。

そしてここまでやると、やはり左端にあるgtvのバッジも
合わせて変更したほうがいいだろうと考えた。



このロゴも、紛れもなく素晴らしいデザインである。
Alfa Romeoは自社のフォントを持ってるほどで、
A~Zまで無料でダウンロードできる。
この’gtv’もアルファロメオオリジナルのフォントで作られており、
GTVというクルマのキャラクターを雄弁に語っている。

このブラックのバッジは、’3.0 V6’よりも厚い3㎜の塩ビ板を
カッターと彫刻刀で切り出した。



オリジナルのシルバークロームのバッジも悪くはないが、
ジアッロのGTVにはコレも似合うだろう。
そろそろ雪が降る時期とはいえ、春までは待てそうにないので、
今週末あたりに貼り付けようと思っている。
Posted at 2021/11/15 20:53:59 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「@ぼうんのう さん、バッテリーとエアコンまでやれば、走り出してすぐに効果を体感できますよ(^^)」
何シテル?   06/04 11:05
アルファ156 2.5V6で走ってます。 家内用にGTV3.0V6。
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