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勝とう常時のブログ一覧

2009年01月30日 イイね!

山西喜三夫さんとの思い出②

その店員さんは、「社長ですか?社長は普段あまりこちらにいないんですが・・」とちょっと不思議そうに応えました。
それに対し、どう応えたものかと思ったんですが、ストレートに「実は大ファンで、こちらの社長さんだということを知り、是非一度お目にかかりたい・・なんたらかんたら」と説明をすると、店員は「そうですか・・社長が昔レースをやってたというのは、社員の中でもほとんど知らないんですよ。う~ん、そういうことでしたら、ちょっと連絡してみましょうか」と、その場で電話をかけて下さいました。

電話にご本人が出られたようです。店員さんは手短に説明をし、私に電話を預けました。緊張します。
「もしもし」「もしもし、山西ですが」かつぜつの良い、高めの声でした。写真で見たことしかない外見から想像した声とは正反対だったので、ちょっとビックリしました。
どうお話ししようかと一瞬迷ってんですが、どこの馬の骨とも分からない者に会ってくれない可能性もあると思い、その時はもうコンテッサクラブに入会していたので、コンテッサの名前が有効に働くと思い、「日野コンテッサクラブの勝とうと申します。実は山西さんの大ファンで、是非一度お目にかかりたいたいと思いまして・・」と説明をしました。すると、「コンテッサクラブの方ですか~、いや~そうですか。○○さんはお元気?」
「すいません、実はクラブに入って日が浅くて、まだよく知らないんです」
「そうですか。いや~懐かしいですね」

山西さんは、かなり前になりますが、コンテッサクラブでの旅行にゲストとして招かれて一回いらしたことがあるそうです。また、80年代半ばにクラブ員さん所有のレーシングコンテッサに頼まれて乗って、レースに数戦出られたこともあります。
ですが、近年は全くクラブと交流はなかったようです。クラブ内で聞いてもそのようでしたし、山西さんとお話ししてみて、やはりそうなんだと裏付けられました。
「握手とかサインだけでも、お願いしたいんですが」
「いや~そんなの全然構いませんよ。今日はもう遅いんで、日を作って改めてお会いしましょう。色々お話しもしたいので。私の携帯をお教えしましょう。勝とうさんのも教えて頂けますか?こちらからご連絡しますので。私は普段はここにいます。今いるお店を出て。左に行って・・・」
と、本当にとても親切に対応して下さいました。
ではご連絡をお待ちしてますと電話を切り、店員さんに返すと、すごく丁寧に頭を下げ、「どうもありがとうございました」と言いました。社長が見ず知らずの人にそこまで教えるのを、ちょっとびっくりしているような感じに見えました。

続く


Posted at 2009/01/30 09:46:54 | コメント(1) | トラックバック(0) | 往年のレーサー | 日記
2009年01月28日 イイね!

山西喜三夫さんとの思い出①

昨年12月に、「元日野自動車ワークスドライバー」山西喜三夫さん(享年67)がお亡くなりになったことはこのブログ内で書きました。私がその訃報を受け取って、最初にネット上で公開したと思います。
山西さんとは短いお付き合いで、実際にお会いしたのも2度ほどでしたが、思い出は強く残っています。
ここで、知己を得てからお亡くなりになるまでの、私と山西さんとの思い出を、ちょっと書いてみようかと思います。


時は、04年か05年だったか、ちょっとはっきりしません。
当時在籍していた会社の顧客のデータが、担当の同僚の机の上に置かれていました。
ふっと見やると、「○○会社 代表取締役 山西喜三夫」という字が目に入ってきました。すぐに、あの山西さんだと分かりました。
同僚の担当に、「いいなぁ、お前が担当で伺ってるこの会社の社長さん、俺大ファンなんだよ~」と言い、往年のサムライレーサーは、今は経営者として多忙な毎日を送ってらっしゃるのだろうとか思いました。同僚に山西さんのことを聞くと、ほとんどいることがないようで、実は顔すらもよく分からないとのことでした。
ネットというのは便利な物で、この会社の他にも、代表を務める会社があることが分かりました。同姓同名の他人だったらアウトですが、その可能性は少ないでしょう。
横浜市内の外車専門の中古車屋で、その“B”(仮称)というお店は、会社から自宅までの帰路、ちょっと寄り道すれば行けるところでした。
ある日、意を決して会社帰りにそのBに行ってみることにしました。アポなしで。
特にお会いして、何かお願いするとか、具体的な目的があった訳ではありません。ただ、お会いしたかったのです。目を見て握手して頂ければ、それで十分です。
お店はすぐに分かりました。店の前は何回も通っている道です。
ジャガーやベンツが店内に並ぶ、私としてはかなり敷居の高い店内にそっと入り、山西さんはいらっしゃらないかな~と、クルマを見ながら店内も同じくらいキョロキョロしている完全に怪しい男でしたが、カウンター辺りに若い従業員がいることに気付きました。店内にはその人しかいないようです。
待ってても現れるか分からないので、山西さんに直接行きたかったんですが、仕方なくその従業員に「あの~社長さんはいらっしゃいませんか?」と話しかけました。

続く
Posted at 2009/01/28 19:21:38 | コメント(0) | トラックバック(0) | 往年のレーサー | 日記
2008年11月23日 イイね!

訃報

日野ファクトリー・デルレーシング所属の元レーシングドライバーで、リアエンジン使いとして名を馳せた山西喜三夫氏が、一昨日お亡くなりになりました(享年66)。
私と山西さんは、約一年半ほど前から知遇を得まして、二ヶ月前にお電話でお話ししたのが最後になりました。大変残念でなりません。

山西さんについては、いずれ機会があればこのブログ内で書きたいと思います。
Posted at 2008/11/23 22:16:53 | コメント(2) | トラックバック(0) | 往年のレーサー | 日記
2008年02月24日 イイね!

「ジム・クラーク王者の疾走」を見ました

「ジム・クラーク王者の疾走」を見ました友人から貴重なDVDをお借りしまして、興味深く見させて頂きました。
66年の3月26日に、ジム・クラークがロータスF2でFISCOの6キロフルコースを試走する様子が映されています。
それだけではなく、飛行機から日本の地に降り立つところから、試走後の夜の料亭での懇親会までが記録されており、この映像の製作にかなり力を入れていたことが伺えます。
常に傍らに寄りそうは、後にコンストラクター「シャドウ」を興す謎のアメリカ人“ドン・ニコルズ”。
今、「ベストカー」誌でビル大友氏によるドンニコに関する連載記事があります。ご興味ある方は読んでみて下さい。

彼は、この2年後にホッケンハイムであの世に召されます。
もしご存命だったならば、この後何回ワールドチャンピオンになったか分からないくらいの天才だったそうです。
日本と違い彼の地では、現在まで何十年もレースを見続けている腰の据わったレースファンがたくさんいますが、彼らに言わせると、アイルトン・セナでさえジムと比べると見劣りするくらいの“真の天才”だったそうです。
Posted at 2008/02/24 13:24:28 | コメント(2) | トラックバック(0) | 往年のレーサー | 日記
2008年01月30日 イイね!

“キンコ~さん”との思い出③

続き

岡本さんはちょっと照れくさそうな感じで「あ~どうも」とご挨拶されました。
私が来店の経緯を話すと「実は今は、お店はちょっと休業しているんですよ」とおっしゃい「ですが、まぁ良かったらゆっくりしていって下さい」とカウンターの椅子を指し示しました。
店内にも盾やポスターの類が飾ってあり、その中でも一番目を引いたのは、岡本さんが71年に、事故車のロータス・エランのフレームをベースに最初に作ったオリジナルマシン「OKAMOTO・G7」のパネルでした。
岡本さんは私の隣に座り、私の問いかけに対し一つ一つ丁寧にお答え下さいました。
カウンターの奥に陣取った奥様は、私にアイスコーヒーを出して下さると、私達の話しを黙ってニコニコしながらずっと聞いていらっしゃいました。
ヘルメスで岡本さんとお話ししたおよそ1時間半は、私にとってかけがえのない宝物の時間となりました。
とても興味深い内容ばかりでしたが、秘密にする訳ではありませんが書き込むのが大変なので、簡潔な文章にしてちょこっと書き出しますと、

・まだ1台GCマシンを持っており、レストアして富士でもう一回走らせてみたい。
・私には師匠と呼べる人はおらず、溶接からファイバーの成型まで全部独学。アルミの溶接は自信ありますよ。
・GCが終わってしまい、ならばF3000をやろうと思いオリジナルのカウルまで製作したんだけど、資金面等で結局参戦は出来なかったね。

その他にも、くるまばかにとっては本当に魅力的なお話しをたくさん聞かせて頂きました。
お話しの最後に「どうして19年間も、大変なご苦労をされながらもGCを続けてこられたんですか?」とお尋ねしたところ、岡本さんはすぐに「好きですからねぇ。それだけですよ」とお答えになりました。
簡単な言葉ですが、私もモータースポーツが大好きだという自負がありますが、だからといって岡本さんと同じことは死んでも出来ません。

帰り際に、愛車のトランクにサインを書いて頂きたい旨を伝えると、とても照れながらもOKして頂き、黒マジックでちょっとだけ書いたところ、線が細すぎるのがご自分で気に入らず、シンナーで消した後わざわざ二階まで戻って極太のマジックを取って来て書き直して頂いたのに、えらく感動しました。
近くでコンテッサのレーシングを製作していることを話すと、大変興味を示され、今度遊びに行きますとおっしゃってご夫婦二人で見送って頂いたのが、結局私と岡本さんとの最初で最後になりました。

翌年の夏のとある日、岡本さんが二日前にお亡くなりになったというのを知ったのはあるネットの記事でした。
その週末、Yモータースに行く前にヘルメスにそっと立ち寄り、最初に伺った時と同様に周囲に人影もないしんと静まった中、ガラス戸の前に立ち一人手を合わせ、暫し、岡本金幸氏の人生に思いを馳せました。

終わり
Posted at 2008/01/30 22:51:19 | コメント(4) | トラックバック(0) | 往年のレーサー | 日記

プロフィール

「[整備] #ロードスター 購入後初のギア・デフオイル交換 https://minkara.carview.co.jp/userid/335937/car/3547031/7684700/note.aspx
何シテル?   02/21 19:10
2007年よりみんカラを始めて、2019年途中で飽きてしまいブログを休止しておりましたが、ぼちぼちマイペースではありますが、2022年より再開していきます。se...
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