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勝とう常時のブログ一覧

2009年09月04日 イイね!

“ミニ使い”故山下勇三氏とフォーミュラリブレ500

60年代にミニを駆って活躍した方というと、“オリジナル”ZFCC会長「伊能祥光」氏や、パリダカでお馴染み「菅原義正」氏、著名なカメラマンでもあった「早崎治」氏を連想される方が多いかと思いますが、次点になるかもしれませんが、著名なイラストレーターでもあった「山下勇三」氏を思い出される方も多いのではないでしょうか。
70年代初期まで長きに渡ってミニで戦い続け、その後はフォーミュラの世界に転身。80年代初頭まで活動されました。



77年の筑波、FL500ですね。
車体のカラーリングに合わせたヘルメットの色に、芸術家としてのセンスを感じます。



当時のFL500は、ラップは2秒くらいだったと思います。意外と画質がいいですね。
それにしても、今と大分見える景色が違いますね~。コースレイアウトは全く変わってませんが。
Posted at 2009/09/04 00:21:20 | コメント(3) | トラックバック(0) | 往年のレーサー | 日記
2009年09月03日 イイね!

富士チャン独自のカテゴリー「NA1600」に思うこと

来年以降、富士チャンピオンレース内のトップカテゴリーとして長きに渡って行われてきた「NA1600」が、終わってしまうというかもしれないという噂を聞きました。もしそうであるならば、残念でなりません。

ここから先のお話しは、連載中の「実録ノンフィクション」とちょっと被ってしまいますが、私が最初に富士フレッシュマンレースの現場にお手伝いで来るようになった時には、「NA1600」(以下、NA)というクラスは既にありました。
いつ頃から設置されたクラスなのか詳しくは知らないのですが、恐らく80年代後半まで行われていたはずの310サニーがメインの「TS1300」クラスが終わり、その後釜として設置されたのでしょう。

NAが他のクラスと決定的に違った点は、大改造が許されていたのと、ワンメイクではなかったという点です。
1600cc以下でエンジンのチューニングが許され、元々がインジェクションでもキャブにしなければならないという素晴らしいレギュレーションで、当初は外観はノーマルでなければならなかったはずですが、いつからか派手なスポイラーやオーバーフェンダーが許されるようになりました。
1600cc以下なら車種は何でもいい訳ではなくて、何車種か指定されおり、当然メーカーはトヨタ・日産・マツダのみで、レビン/トレノやロードスター等です。

初めてNAの走りをヘアピンで見たときの印象は強く残っています。
カーンと突き抜けるような高い音を響かせて100Rを抜けて来て、ヘアピンでブレーキング、一旦回転が落ちたエンジンは立ち上がりでかなりバラつきますが、回転が上がってくると300Rに向けて凄まじく官能的な音を辺りに響かせながら、凄まじい速さで見えなくなっていきました。
エンジンがチューニング出来る唯一のカテゴリー(途中でシルビアN2/マーチN2もちょこっとありましたが)ということで、古くからの富士レース村を中心としたチューナー、スリーテック,フランケンズ,スネイル等々がしのぎを削れる大事な場でもありました。
私が見る側から、乗る立場に変わってからも、NAは憧れであり続けました。
「一度だけでいいから乗ってみたい・・」これは恐らく私だけではなく、他のクラスに出ていた全ドライバーが、気持ちの大小はあれそう思ったことがあるのではないでしょうか。名チューナーがそのノウハウ・魂を込めて作った、何百万とお金のかかったエンジンを載せる最高峰カテゴリー、旧富士を40秒台前半で走る化け物です。

NAの凄さを語るときに、マシンの凄さもさることながら、声を大にして言いたいのがそのエントラントの皆さんの凄さです。古くから参加しているベテランさんが多いのですが、はっきりいってこのカテゴリー、お金がめちゃめちゃかかります。
ですが、シビックやヴィッツのワンメイクのようにビッグレースのサポートに組み入れられることもなく、メディアに取り上げられることもまずありません。富士チャンピオンレースという地味な底辺カテゴリーの中の、ハコ最速クラスという位置付けですが、逆に台数が多くバトルが熾烈なAE111やEP82クラスに興味を持って行かれ気味です。
同じ予算を使えばもっと注目され、もっと競争が熾烈なカテゴリーに移れるのに、NAに拘る理由・・・それは、私には何となく分かるような気がします。
彼らは、フルチューンされたノーマルアスピレーションの吹けの鋭さやキャブの吸気音、スリックタイヤの強烈なグリップ、派手なオーバーフェンダーで武装された、まさに「レーシングカー」でレースを戦いたいのではないでしょうか。男の子が想像するレーシングカーというものは、決してワンメイクのノーマル然としたものではないと思います。つまりは、そういうことではないでしょうか。

今年から新たに「カローラアクシオ」を使ったN2規定のレースが始まってます。NAは、遅かれ早かれ消滅するでしょう。
時代の流れには逆らえませんが、ターボ付きでオーバーフェンダーやウイング等多くが指定部品になっている4ドアセダンのN2レースに、NA1600ほどの興味が湧きません。

もし本当にNAが今年最後であるならば、11月8日の最終戦、富士レース村made最後の“旧き良き特殊ツーリングカー”の走りを目に焼き付けるために、観戦に行きたいと思っています。
2009年09月03日 イイね!

「宝くじの日お楽しみ抽せん」ってご存知?

「宝くじの日お楽しみ抽せん」ってご存知?外れた宝くじをすぐに捨ててはもったいないですよ。

毎年9月2日「宝くじの日」に、外れたくじを対象に再抽選が行われます。当選番号は下4ケタで、お金ではなく賞品が贈られます。
ここ一年で貯まった外れくじ・・・かなりの量です。お楽しみ抽せんも、見事に全部外れました。
Posted at 2009/09/03 12:24:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | 宝くじ | 日記
2009年09月02日 イイね!

戦い続ける魂を「グレアム・ヒル」に教わりました

グレアム(グラハムといった方が通りはいいでしょうが)・ヒルは、私が同じヘルメットのデザインにしているほど大ファンでして、大変尊敬しているレーシングドライバーです。
世界三大レース(モナコGP・インディ500・ル・マン24時間)を制している唯一の存在で、マリオ・アンドレッティがフォーミュラ引退後も、残ったル・マンをどうしても制したいと還暦近くまで度々参戦していたのは有名な話です。

彼は「50年代から70年代を知る男」です。
苦労人の彼は、最初はレースメカニックとして働き、58年に29歳でF1デビュー。75年に46歳で引退するまで足掛け17年、175戦(非選手権除く)を戦いました。この最多参戦記録は、その後10年以上破られませんでした。
50年代のずんぐりむっくりしたフロントエンジンの時代から、ミッドシップ革命後の60年代の“葉巻”の時代を経て、前後ウイングが付き、かたちもかなり洗練されてきた70年代半ばまでを、彼は全力で駆け抜けました。



39秒:
チームロータスでチームメイトであったジム・クラークの死亡事故現場で厳しい表情を見せるヒル。

49秒:
69年ワトキンズグレンでの有名な事故。マシンから投げ出され、ぴくりとも動かないヒルに観衆は凍りつく。重症だったが一命を取り止める。

1分50秒:
息子のデーモンが現役当時にヘルメットと同じデザインのキャップがありましたが、これって当時からあったの~!?

3分12秒:
走行後に手渡すドリンクも、ビン入りってのが時代ですね~。

3分43~57秒:
これは73年モナコGPの予選の映像ですね。
この年から「エンバシーレーシングwithグレアム・ヒル」というチームを結成した彼は、過去に5回も制した得意のモナコでブービーに沈みます。69年の事故以来、遂に優勝はおろか表彰台にも立つことは叶わなかった彼は、きっと焦燥感を募らせていたことでしょう。「こんなに頑張ってるのに、どうしてこんなに遅いんだ・・」ヘルメットを脱いだ彼の表情がそう言っているようです。
このちょうど2年後の75年モナコGPで予選落ちを喫し、46歳の彼はヘルメットを脱ぐ決心をします。晩年の成績不振は、怪我の影響と、年齢的なものと、マシンの戦闘力不足が絡み合ったものでしょう。

死と隣り合わせだった危険な時代を生き延びた彼が、引退してすぐに飛行機事故であっけなく亡くなってしまったというのは皮肉というしかありません。
もし存命ならば今年80歳。
大分薄くなった口ひげを蓄え、自身最後のマシンであった“ヒルGH1”に乗り、グッドウッドのヒルクライムコースを手を振りながら走るヒルを見たかった・・・。
Posted at 2009/09/02 22:37:28 | コメント(3) | トラックバック(0) | 往年のレーサー | 日記
2009年09月02日 イイね!

ミニ1000の燃費はいかほど?

「K4GP」でお馴染みマッドハウスさん主催で、「キャノン玉」といいうイベントが行われるそうです。

550.8kmを7時間37分で走行するエコラン競技なんですが、一回でも途中給油すると失格というルールです。
遊んでしまっているミニ1000で出てみたいんですが、思いっきり満タンにして、果たして給油なしにその距離を走りきれるかとても不安です。タンクはノーマルなので34ℓ。キャブはSUツインです。
リッター20km走れば余裕でしょうが、さすがにそれは無理でしょう。リッター15kmだと・・・510km。
タンク内のガスを全部使い切るという計算をしちゃってますが、やはり最後の数リッターは吸わないでしょうね。そうすると、やっぱりちょっと厳しいかなぁ・・。因みにルートはほとんど高速道路のようです。

チャレンジしてみる価値はありますかね?
Posted at 2009/09/02 19:13:03 | コメント(4) | トラックバック(0) | キャノン玉 | 日記

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「[整備] #ロードスター 購入後初のギア・デフオイル交換 https://minkara.carview.co.jp/userid/335937/car/3547031/7684700/note.aspx
何シテル?   02/21 19:10
2007年よりみんカラを始めて、2019年途中で飽きてしまいブログを休止しておりましたが、ぼちぼちマイペースではありますが、2022年より再開していきます。se...
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