これらを同列にするのは違和感ありありですが、ドミンゴとエクシーガの間の世代にいたスバルの7シーターワゴンの話です。
私がかつて勤務していたディーラーの整備工場の入庫車両は9割以上がスバル車で、それ以外のクルマに対しては少し苦手意識がありました。たまに他メーカー製のクルマが入庫すると、興味深く観察させてもらったものです。後にスバルが軽自動車の自社生産を止めてダイハツ製のクルマがOEMとして入ってきたときは良い刺激になり、スバルの軽の特徴であった4気筒エンジンや4輪独立懸架への信仰心も薄れてしまいました。
そんな中で異端なクルマだったのが、当時GMとの資本提携が縁でオペル・ザフィーラのOEMとして導入されていた2001年デビューのTRAVIQ(トラヴィック)でした。輸入車に触れる機会がほとんど無かった故、これくらい扱えないと他銘のメカニック達と同じ土俵でモノを語れないと思っていました。整備解説書や電気配線図は国産車のものよりも難解だし、使用する工具はもちろんインチ単位でネジはトルクス、造りを初めて見た時はドイツ人の考えることは解せぬと思いましたが、乗って走ってみると実に素晴らしくとても記憶に残るクルマでした。
オーバーハングが短く、塊感のある外観 端正なフロントマスク
ウィンドウガラスが大きく視界は良好
このトラヴィック、サービス部門の社用車として引取納車や出張修理で使っていたので運転する機会が多かったです。いざ乗ってみると、立ち気味のシートポジションは国産車には無い独特なものでステアリングもペダル類も上向きで(当時このクラスでは珍しくステアリングのテレスコピック機構を標準装備)、油圧パワステは電動式でどっしりと重めの操舵感、シートのリクライニングはダイヤル式で一気にバックレストを倒せませんが微調整が可能でアンコ少なめ硬めの座り心地ながら何時間座っても疲れ知らず、アストラに搭載されていた2.2ℓの4気筒エンジンは諸元を見る限り控え目(147PS/5,800rpm、20.7kg-m/4,000rpm)に見えますが、4速ATがとても良く仕上がっている上に7人乗りでありながら車両重量は1.5tを切っているのでキビキビと走り、アウトバーンを高速巡航できる設計なので安定性も抜群、雪道もトラクションコントロールを標準装備し厳しい盛岡の冬を難なく乗り切れるくらいの実力がありました。スバル独自に足回りのチューニングが行なわれた上に車両本体価格は199万円からということで、当時1.8ℓのみの設定で割高だった本家のザフィーラを完全に食ってしまいました。一部のユーザーの中ではエンブレム類をザフィーラのものに換えてオペル仕様にするカスタマイズが流行りましたねぇ。
華やかさは無く、質実剛健・実用一辺倒な運転席周り
なるほどドイツ車とはこういうものかと感動したわけですが、実は生産国はタイでそのため車両価格を抑えることができたと言われています。かと言って品質が悪いと感じたことはありませんでした。強いて言えば、内装トリムの質感が酷かったくらいでしょうか、傷や汚れにめっぽう弱い材質でした。他にも良い所だけではなく、欧州車らしい部分もたくさんありました。例えばエンジンオイルは交換時期前でも減っていきます。10・15モード燃費は10km/ℓ。ブレーキはパッドもローターも激しく摩耗するので減ったら同時交換、ブレーキダストも半端ないですがその分よく効きます。例に漏れずオーディオは1DINのスペースしかなく、カーナビが普及しつつあった時期において装着できる機種はオンダッシュかモニター格納式に限られました。エアコンはマニュアルでオート機能無し、ヘッドライトも当時HIDが普及してきた中でハロゲンバルブしか設定がありませんでした。後部座席は車中泊には厳しいシートアレンジで3列目はフロア下にキレイに収納できるもののスペースは実に中途半端。等々、国産の競合車種と比較すると厳しいポイントもあったわけですが「ハイクオリティ・ベーシック」を謳うほど魅力的なバリュー&プライスを備えていました。
故障はEGR固着が多かったかなぁ、よく交換してました。マフラーやエキゾーストパイプも腐食しやすく補修や交換することが多かったです。部品の価格は供給体制が整っていたので国産車と大して変わらなかったような・・・、割と維持しやすい部類のクルマだったと思います。
3列目シートの広さは・・・お察しの通り 4~5人乗車までがベスト
国内での総販売台数は約12,000台(ザフィーラは約3,300台)と言われておりますが、当時お客様によく言われたことは「ヨンクがあったらよかったのに・・・」でした。4WDを昔から売りにしていたスバルならそれに期待するユーザーも多かったのは事実。では実際に4WDがあったらもっと売れていたのか?と考えると疑問ではあります。確かに独特な魅力がありますが、ミニバンブームの中でヒンジドアだとかシートアレンジだとか使い勝手の面で競合車種に対して劣勢だったのは否めません。途中でウィンカーレバーの位置が右側に移ったり、当初未設定だった電動格納式ドアミラーがやっと装備されたり、末期にはザフィーラの1.8ℓエンジンも追加されましたが、販売においては然程プラスにならず最早レア車となるのでした。
2.2ℓという排気量がブライトン220だとか22Bを想起させ実にマニアック
こうして振り返ると周りとは違うクルマに乗りたい、気軽に欧州車を楽しみたいという層にはうってつけのクルマでした。社員でも”ツウ”な方がこぞって購入して乗っていました。何でもかんでも付く豪華志向ではなく、走りに大きく振ったベーシックミニバン。ミニバンながらドライバーズ・カーの性格が強い、2度とこんなクルマは出てこないでしょう。影が薄いのは否めませんが今でも大好きなクルマの一つです。
ブログ一覧 | クルマ
Posted at
2024/05/01 23:43:57