今日は晴れ。暖か。
朝から天気良く、外出したら気持ち良さ気な
一日でしたが、お日柄悪いので、一日
引き籠りで宿題など仕事。
早目に仕事終わらせると気が楽ですね。
昨晩からメールの存在は見えるけれど、
内容が見れないトラブルが続いてましたが、
ADSLモデムを再起動した所、見えるように
なりました。
やっぱり光と違って少々不安定なんでしょうか。
接続速度もまた早くなった感じがするし。
さて
ニュース
連日、この詐欺師のおっさんの話で盛り上がってるようですが、
”さむらかわちのかみ”と読むとつい先日まで思ってたのは内緒ですw
映画の座頭市を見てれば分るように、日本では昔から
身体障碍者を不当に差別したり避忌したりしない
優しい文化の国柄だったと思います。
そりゃ、常人とは違うので、その時々とか状態で
差別的になったり、思えたり思えないような事とか
あるかもしれませんし、悪意ある人はいつでも
どこでも居るって程度だったと思います。
が、昨今というか、私が生まれた頃は既にそういう
身体障碍者への扱いが”常に”差別的で人権侵害
である、と騒ぐ、騒ぐ事で生活で来てる人権派弁護士
といわれる人々が居て、騒ぐもんですから、
”めくら”、とか”かたわ”とか放送禁止用語に
なったりもしてました。
代替えの言葉が生々しくて、反って差別かもと
作家の筒井康隆氏らが問題提起してたりして、
私もそう思ったりします。
差別とは、悪い意味で差別したい人がやってる行為
なんじゃないかと。
言葉とか、普通の気遣い行為が必ずしも差別にはならんと
思うわけです。
最近は行き過ぎていて、街中でこういった障碍者に
出会う確率が下がってますが、或る意味、行政的に
または家族的に、”隔離”してるからじゃないかなと。
これって反って差別というか、障碍者をバカにしてる
気がしてなりません。
障害を得た人は得た人なりに生きていくわけで、
まわりも彼らと交わりつつ、共存の道を考えて
行くような世の中(つまり昔のまんま)じゃないと
いつまで隠し通せるのかまた疑問でもあります。
障碍者の生活を確保する為にいろいろな試みが
なされてますが、良く有るのは、手の不自由な
障碍者が足で書いた絵葉書(印刷物)とか。
これってかなりバカにしてると思います。
芸術ってのはその作者がどうであれ、
優れた作品を愛でるものだと思いますが、
絵の出来はどうだ、ではなく足で描いたと
前振りが付いてるのです。
足で描く事が”芸術”ならば、描いている
光景が評価の対象となるわけで、
まるで見世物ですよね。
ましてや、絵が素晴らしくて、作者を隠して
日展にでも出せば賞が貰えるような作品なら
ともかく、そうでもない。
つまり、絵でも描かせておけば、彼らの生活の
足しになるんだろう、みたいな周囲の奢りというか
食い物にしてる雰囲気が満々なわけです。
障碍者をバカにし、芸術を貶めるようなこれらの
”販売”には断固反対と思うわけです。
今回の佐村河内守の詐欺行為もまた
障碍者ならば、そして耳が聞こえないのに
音が勝負の作曲家という点で不当に
持ち上げられた可能性もあるわけで、
現代社会の病巣というか、歪みなのかなと。
障碍者の本当の人権を考えるならば、
現在のような方向性の違った妙な”甘やかし”
の風潮は止めるようにしないと、
こういう風潮を食い物にする”詐欺師”は
今後も出て来るのかなと。
国民年金受給者より優雅な生活保護受給者
が問題であるように、障碍者福祉はまた
見直さないといけないんじゃないかと思います。
彼らを食い物にしてるNGOとかNPOとか
こいつらが一番”悪”である事は間違いないですがw
Posted at 2014/03/10 01:15:36 | |
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みんから | 日記