三本さんの話の続きです。
家にある「古いカーグラ」を眺めていたら三本さんが書いた面白いコラムがありました。
「新車情報」の三本さんも「べらんめい口調」っぽいユーモア溢れる独特のトークが視聴者目線で良かったですが、実は「新車情報」が始まる以前に某テレビ番組の司会をされていました。その時の話のようです。少々長いですが、原文のまま転載してます。
【THREE AT CORNERS】CAR GRAPHIC 1973年4月号より転載。
10数年というより、20年に近いお付き合いなる小林彰太郎氏は、親友であるというよりボクの“自動車雑学”の師匠筋に当たる方だ。このひとから「先号までのレギュラー執筆者が日本を脱出してしまったので、その後任をよろしく」といわれ、 「お役に立つなら」と安請け合いはしたものの、格調高い自動車マニア誌、CAR GRAPHICの巻頭コラムが書き続けられるかどうかはなはだ自信がない。
わざわざ自信のない仕事といえば、ボクが現在やっているNET.TV の「13時ショー」の司会者というコトも、ひどく自信のない仕事だ。本業は写真を撮ることなのに、自分自身が狂ったのか世間が狂っているのか判らないが、「どうしてもTVで司会者をやれ」と言われたら、なんとなく断わるのが申し訳ないような気がしてテレているうちに、こんなことになっちまったので自信がナイ、というのが本当のハナシなのである。
TV局あてに視聴者から投書がきて、「ミツモトというヒトは、週刊誌でもTVでも見たことがないヒトですがダレですか」と書いてあったそうだ。ボクのもうひとつの自信のない仕事である“クルマ”のことについての雑文や写真を見たことがない方の投書だったに違いない。とにかく、テレビジョンというものは扱いにくいシロモノで、本来のボクは毒舌の方だが、うかつに物を言ったりすると、あっちこっちからダメが出たり、TV 会社で働く人達が大変迷惑するそうだからなるべくシャベらない妙な司会をやっている。
ボクの他のレギュラー司会者は、メイン司会ともいうべき黒柳徹子サンという日本語でも英語でも、すさまじいスピードで正確に話すことができる特技を持った女優で、そのうえ珍獣パンダに詳しい方だから、「13時ショー」は,「黒柳徹子ショー」と改題した方がいいほどの“才女”である。相手が才女だから、ボクはオトコのくせに「13時ショー」の運行にひどく気を使うことはない。強いて気を配ることといえば、“女優・黒柳徹子”の名声や持ち味を引き下げないようにするぐら のことで、たとえアシタTV 司会者なんぞクビになっても、カメラを首に吊って世界をかけ回れば、オマンマにありつける自信があるから、気楽といえばキラクなものだ。
その黒柳徹子サンが、「女優のひとりあるきはいろいろやっかいなので、安い自動車が欲しいから相談にのってくれ」というのである。このぐらいのことで役に立ってあげなければ、キラクな平素に済まないから、相談というのにのることにした。彼女はVWのコンバーチブルが「欲しい」といっていたのだが、誰かが「天井が布だから建築中のビルからモノでも落ちたら危険だ」というハナシを聞かされたためヤメになった。「VWの中古か、ヴォルヴォかベンツの中古がいい」と言い張るの で、彼女の予算の60~70万円という線のものをヤナセの中古車部にたのんだが、「60~70万のモノは「ない」というのでこれもご破算。
結局、「明日にも欲しい」という女優のワガママも満たすために、610HTデラックスのAT付きということに落ちついた。こう決まった訳は、「修理 はすぐできて、クーラーがついて、日本中どこで エンコしても困らなくて、それでいてイージーに 運転できるもの」という彼女の条件に合わせたためである。彼女は610を見て「どうも人相が良くない。とくにハナの部分がイヤ」と言ってはいたが、「乗っているうちに気に入るかも」というのでいいかげんな妥協をしたまでのこと。ことさら610HTが好きだった訳ではない。
外車中古のつもりを、国産新車にしたのだが、彼女に納入された610の新車は、 キャブレター不調で納入2日目にもはやクレーム。その後にもういちどキャブレターの調整不良でエンスト続き。だだ、この苦情は全部まずボクのところへくる。なにしろ月曜~金曜まで、イヤでも毎日顔を合わせるお互いだからたまらない。
ボクは彼女のシルバー・グレイの610を見るたびに、ディーラーのセールスマンのように「どうも済みません」と言わざるを得ない日々が続いた。東京日産のサービスマンの手で、彼女の610通称“銀子”はいまのところマズマズのご気嫌だそうで胸をなでおろしている。
しかしながら、「ミツモトさん!! どうして国産車 はウシロを見せないように造ってあるの?」 と、セレクターをリバースに入れるたびに焦立つ才女・女優の険しい面持を見せられると、気の弱いボクは理由なく済まないような気がして、国産新車を勧めたことに後悔している。
あるとき、610 の生みの親ともいうべき設計者にお目に掛かった。そのときには、常日頃610から圧しつけられたいままでのストレスを全部投げつけてやったものだ。ところが、生みの親氏はタジロギもせず、「流行のスタイリングとアタラシイライン」についてのご高説をノタマワってくださっただけで、「何故、うしろが見えないカタチが新しい良さなのか」という次元の低い疑問にはお答えがなかった。
人間がウヨウヨしている道路を、間違えてでもヒトを轢かないように走らなければならないことを強いられているドライバーに、自動車メーカーは、どうして後ろの見にくい自動車を売らなけれ ばならぬのか判らない。“無公害”や“安全”とひきかえにしたものなら、また許しもできよう。けれども、さして実用上に意味のない“流行”のラインにクルマを仕立て上げるために、大切な視界の広さを奪ったとすれば、ヒドすぎるはなしだと思う。
黒柳徹子サンのアパートの駐車場は妙な位置にあり、どうしてもバックで進入せねばならない。「昨夜も銀子のお尻は無事だったのよッ」、と誇らしげに言う彼女と顔を合わせるたびに、“ああ、よかった”と思い、「ありがとう」といいたくなる。
なにもボクの造った610でないのだから、「すみません」も「ありがとう」も言う必要はないのだが、女優の自動車コンサルタントをしたばかりに、われながら、なぜか不甲斐ない思いをさせられているのが口惜しい、というものである。
(三本和彦)
「NET」は、今の「テレビ朝日」、「13時ショー」は、昼のワイドショー番組「アフタヌーンショー」の次の時間帯の番組で、時事関連中心の真面目な番組だったようです。番組は数年続き、1976年から『徹子の部屋』がスタートします。三本さんは、「13時ショー」がスタートする1972年から翌年までの約1年程の間出演されていたようですが、「色々悩み」があったようですね‥(; ̄ェ ̄)
「610」は、写真の「ブルーバードU」の事。名車「510」の陰に隠れて「迷車」となってしまった「610」ですが、当時大変売れたクルマだったようで「1600HTのAT」は、黒柳さんの予算にピッタリ。(マークⅡやスカイラインの4気筒モデルはもう少し高くなります。)
当時の国産車は、どれもこれも米車のような「スタイル重視」のクルマがもてはやされた時期でした。
三本さんのこのコラムは、徹子さんのエピソードをもとにした当時の「クルマのスタイル」に対する「アンチテーゼ」だったかもしれません。
Posted at 2022/07/17 15:07:44 | |
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