先日の13、14日に会津若松へ出掛けました。
キャトルクラブでお世話になっているTさんが企画された「会津グルメツアー」に参加するためです。
福島県の猪苗代方面へは、ハッチを連れて何度も出掛けた思い出の地です。およそ10年前に出掛けた際は、暑い夏の日にも関わらずTさんご夫妻に市内を案内いただきました。
今回のツアーは、「会津グルメ」を楽しみながら、会津若松周辺の名所旧跡を訪ねます。東京の自宅から片道300キロ、前日は「遅番勤務」なので、市内に1泊することにしました。
「道の駅猪苗代」でTさんご夫妻と待ち合わせ。目的地の「十文字屋」へ向かいます‥
「会津ソースカツ丼」の人気店だそうです。
「ソースカツ丼」は、福井、駒ヶ根、新潟と有名どころは多々ありますが、会津は知りませんでした。
名物は、カツが450グラムの「磐梯カツ丼」ですが、とても完食できる量ではないので「ロースカツ丼」にしました。(食べきれない場合は、持ち帰りするそうです。)
他の地方の「ソースカツ丼」と異なり、ソースが独特です。ケチャップが多めに感じますが、思ったより濃い味でもなく、分厚いカツに絡んで美味しくいただきました。
Tさんのご自宅にカジャーを置かせていただき、キャトルで名所旧跡巡りに向かいます。
会津若松城(鶴ヶ城)の桜も満開です。例年はもう少し開花が遅いそうです。ラッキーでした‥
戊辰戦争(会津戦争)の舞台となった「飯盛山」に向かいます。
多数の負傷者を抱えて飯盛山まで逃げ延びた白虎隊は、鶴ヶ城方面から立ち上る煙を見て自刀したと言い伝えられています。
お城は見えるかな‥
写真の真ん中に見えますよね。近年ではこの「落城誤認説」は誤りとも言われていますが、戦争が悲惨な結末を産むことは、今も昔も変わりありません‥
飯盛山は、「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」通称「さざえ堂」があります。
変わった形をしています。お堂の中を回って参拝するのですが、上り下りの通路が一方通行になっています。
二種螺旋構造は、レオナルド・ダ・ヴィンチが設計したとも言われ、それがめぐりめぐって会津に伝えられたとか‥うーん。
市内の酒蔵「末廣酒造」で買い物をした後、南会津の「大内宿」へ向かいます。
江戸時代の面影そのままに茅葺屋根の民家が街道沿いに建ち並び、この景観を引き継ぐために店舗兼住居として生活しています。
名物は、「ねぎそば」。結婚式に食べられるもので、薬味のねぎを「切る」ことがお祝い事に相応しくないことから「一本のねぎ」になったとか。
「ソースカツ丼」で腹一杯なので、今回はパス。前回来た時にハッチと縁側で食べましたっけ‥
その次は、会津鉄道の「湯野上温泉駅」に向かいます。この駅は、日本で唯一の「茅葺き屋根の駅舎」と、併設された「足湯」が有名です。
もちろん入湯料は不要。ちょうどよい湯加減でした。
その後、キャトルで市内に戻り車を乗り換えた後、ホテルにチェックインしました。
Tさんご夫妻とホテル近くの居酒屋で、会津名物の「馬刺し」と「美味しい日本酒」をいただきました。
右は、珍しい「馬肉のレバ刺し」です。馬肉は、馬刺しやレバ刺しなどの生食が認めらています。これは馬の体温が高いために雑菌が繁殖しにくいこと、食肉加工時において高い衛生基準を設けているためだそうです。
福島県で生産、消費される馬刺しは、赤身がメイン。薬味にねぎやニンニクが付いてきますが、臭みは全く無くトロけるような食感です‥
これは、お酒が進みますね。日本酒も何杯かいただきましたが、すっきりとした口当たりで、全く悪酔いしませんでしたね。
翌日は、喜多方方面にラーメンを食べた後に帰る話をしたところ、枝垂れ桜の名所とその近くのラーメン店に連れて行っていただけることになりました。
その名所とは、毎日通勤途中で見ていた「JR東日本の東北キャンペーンポスター」のあの場所でした‥
2日目(その2)に続きます。
Posted at 2024/04/17 22:26:31 | |
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