2011年04月23日
地震が起こったのは、会社を半日休んで羽を伸ばそうとしていた矢先でした。
本震が終わり、携帯のTVで状況を確認、二階の駐車場から車を取って来て、帰宅する事にしましたが、余震で車が真っ直ぐ走らない。
携帯で親、姉義弟に連絡を取るが、つながらず、途中の公衆電話でもつながらず、アパートに帰宅の途に着きましたが、状況が解らないのでしょう、そこらこちらで、道路工事したした。
帰りのR356は道路その物は影響ないようでしたが、土手が陥没していて大変な事になってました。
アパートではTVラックの上の物が落ちれいるぐらいで大きな被害はありませんでした。
電話がつながらない私の実家に向かいました。
どこをどう通っていけばいいのか解らないのでいつもの道を通っていく事にしましたが、倒壊している家屋もありました。実家に着くにしたがって被害は少ないように見えましたが、実家に着くと両親がいません。鍵を開けて家の中を見ると、私の部屋と私の物(車の部品)がすごい事になっているだけで被害はあとは大丈夫のようです。
隣の人が、実家の前の小学校に避難していると言っていたので、すぐに行ったら、ストーブ、ラジオの前に陣取っていました。
顔が見えてホットしました。
さすがに避難所で寝る訳には行かないので、少しの間、顔見知りと話をして、アパートに。
R356沿いのコンビには電気も点かずやっていないようでしたので、R124沿いのコンビニによってアパートに帰ろうおもいましたが、コンビニにはお弁当おにぎり、パンは有りませんでした。
日川浜入り口を過ぎたところで、中央分離帯に車のコンテナが2つ、路上にそのままの車が、かなり置きっぱなしになってました。こんな所まで津波が来たようです。
アパートは電気も水道も着ていないようで、結婚式で使った、大きなロウソクで明かりを取り遅い夕食を取り、そのまま寝ました。
翌日の夕方近くに電気は開通して、TVで被害の大きさを知り、愕然としました。
1ヵ月ぐらいして生活も落ち着いたのですが、会社で・・・・・・だったので、こんなに遅くなってしまいました。
羅列してみなした。
Posted at 2011/04/23 12:04:17 | |
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