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2021年02月23日

国鉄DD13形ディーゼル機関車

国鉄DD13形ディーゼル機関車 国鉄DD13形ディーゼル機関車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

国鉄DD13形ディーゼル機関車(こくてつDD13がたディーゼルきかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が製造した入換用液体式ディーゼル機関車である。

[写真]
(上左)八戸臨海鉄道 DD56 1(1994年)
(下左)品川機関区の「主」的存在であった1号機(2007年5月26日 大宮総合車両センター)
(上右)DD15 37(小樽市交通記念館)作成: 2007年7月26日
(下右)JR東日本DD14形ディーゼル機関車327号機と332号機 作成: 2012年2月24日
 基本情報
運用者 日本国有鉄道
製造所 汽車製造・日本車輌製造・新三菱重工業・三菱重工業・川崎重工業・日立製作所
製造年 1958年 - 1967年
製造数 416両
引退 1987年
主要諸元
軸配置 B-B
軌間 1,067 mm
全長 13,600 mm
全幅 3,772 mm
全高 2,846 mm
機関車重量 56.12 t
動輪上重量 56.12 t
動力伝達方式 液体式
機関
直列6気筒ディーゼル機関 30,536cc
DMF31S×2 (1~110)
DMF31SB×2 (111~)
駆動方式 歯車減速及び推進軸
歯車比 3.143
制御方式 機関回転数及び液体変速
制動装置 DL14B 空気ブレーキ、手ブレーキ
最高速度 70 km/h
定格出力
740ps / 1,300rpm (1~110)
1,000ps / 1,500rpm (111~)
最大引張力
14,000 kgf (1~110)
16,800 kgf (111~)

1 製作の経緯
 ヤード構内での車両入換作業に用いることを主目的として開発された機関車である。本形式が製造される以前、車両の入換作業には明治・大正時代から戦前にかけて製造されたB6形や、9600形、8620形等の古豪蒸気機関車が使用されていたが、都市部では煤煙による周辺環境への悪影響が、国鉄部内でも機関車自体の老朽化、動力費と人件費の増加などが問題視され始めていた。しかし、その当時、国鉄が保有していた入換用ディーゼル機関車は、DD11形およびDD12形(アメリカ製)の10数両のみで、それらはいずれも出力は300ps級にとどまっており、ヤード構内での入換には力不足であった。
 そこで、動力近代化計画の一環としてDD11形より出力を増強し、入換用として適切な出力を備えたディーゼル機関車が計画された。こうして1958年(昭和33年)から製造されたのが本形式である。入換のほか、支線などでの小運転に用いることも想定された。
 蒸気機関車を置き換える入換機関車の決定版として量産されたが、規模の大きなヤードで使用するには不向きである[注 1]こと、軸重が14 tとローカル線(丙線)での運用には大き過ぎるうえ、客車暖房用の蒸気発生装置を持たないという欠点もあり、DD20形の試作を経て、1966年(昭和41年)にこれらを解消したDE10形が、さらにこれを基に入換用途に特化したDE11形が開発されたことから、1967年(昭和42年)をもって製造が中止された。
 なお、運用に際して上記の欠点が問題とならない私鉄や臨海鉄道向けには、その後も同類機が継続的に製造された(後述)。

2 構造
 外観はDD11形およびDD12形と同様に、2台のエンジンの間に運転室を設けた凸形のセンターキャブ形状である。ディーゼルエンジンは、1937年(昭和12年)に試作されたキハ43000形電気式気動車用 DMF31H(横型 = 水平シリンダー、直列6気筒、排気量31リットル、渦流室式。連続定格出力240ps/1,300rpm)をベースに、国鉄・新潟鐵工所・振興造機・ダイハツ工業(現・ダイハツディーゼル)で共同開発したDMF31S形(縦型 = 直立シリンダー、直列6気筒、排気量31リットル、予燃焼式、連続定格出力370ps/1,300rpm)を2基搭載する。変速機は液体式で、振興造機が開発した変速2段、直結1段のリスホルム・スミス式シンコー DS1.2/1.35 を2基搭載しており、DD11形のTC2、DF115の変速1段、直結1段よりも伝達効率が高められている。両端のボンネットには、機関とそれに装備された液体変速機が搭載されており、動力の伝達は、両端のボンネットに搭載された2つの機関からの出力軸を、一旦運転席床下に設置された逆転機に集められ、前後の台車に推進軸で動力を振り分ける方式を採用しているが、片側のエンジンだけを使用して運転することも可能である。
 110号機までは前照灯が各エンドに1個ずつ設置され、両ボンネット前面のラジエーター用ルーバーは、冬季のオーバークール対策からシャッター機能付きとされ、エンジンも連続定格出力 370ps/1,300rpm の DMF31S 形であったが、111号からは、排気過給機(ターボチャージャー)が装備され、連続定格出力が500PS/1,300rpmに増強されたDMF31SB 形エンジンとなり、従来クランク軸によるベルト駆動であった冷却ファンは、静油圧駆動に変更となり、ボンネット上面に設置された。前面は通風口が廃止され、前照灯がシールドビーム2個となり、外観が一変した。

3 形態区分
 1958年から1967年まで基本番台264両、300番台83両、500番台18両、600番台51両の計416両が汽車製造・日本車輌製造・新三菱重工業・三菱重工業・川崎重工業・日立製作所[1]で製造されたが、後述の912形への改造のため、全416両が同時に存在したことはない。1961年(昭和37年)製造の111号機からは大規模な仕様変更がなされ、外観・エンジンが一新されている。

3.1 基本番台
 基本番台(0番台)は264両製造されたが、製造時期により構造・外観に差異がある。

3.1.1 1 - 84
 1958年から製造された初期型。外観的にはDD11形2次車を発展拡大したようなスタイルだが、白熱灯1灯の前照灯はボンネットに半埋め込みとなり、排気量拡大による煙突の設置、サイドロッド式駆動台車を廃し、台車内部でシャフトとギアにより2軸駆動するつりあい梁式DT105台車を採用するなど、各部の仕様に新しい試みがなされた。後年、41号機がDD14形との重連運転用に「半重連」方式の総括制御機に改造された。また、13両が912形に改造された。

3.1.2 85 - 110
 台車が新設計のウイングばね式DT113に変更された。元空気溜めが運転席下から台車側方に移設され、燃料タンク容量が1,000リットルから2,000リットルに拡大された。

3.1.3 111
 1961年に製造された試作的要素をもった車両。エンジンが出力増強形のDMF31SB形 (500ps/1,500rpm) となり、機関車全体の出力は従来の740psから1,000psに強化された。
 車体の形状も変更され、機関出力増加に伴う発熱量の増大に対応するため、ボンネット前端側面にラジエーターを移設、同時にラジエーター用送風ファンがボンネット上に設置された。前照灯も従来の白熱灯1灯からシールドビーム2灯になったため、外観的には別形式のような変化がある。
 この111号機は試験的に運転席が2組向かい合わせになっていて、安全確認などに都合のいい側を選んで運転が可能だった。制御系統としては、トランジスタを使用したエレクトロニクス方式を採用し、主幹制御器やブレーキ弁の代わりにハンドルの付いた新方式の制御台が2組設置された。またノッチ扱いに自動進段式が導入され、逆転機がボタン操作式になった他、騒音低減のための排気消音器、各部に自動で潤滑油を補給する自動給油装置を備え、空気ブレーキ装置にも新しい技術が採用された。
 しかし、機関士が運転中に機関助士が誤って機器を操作した場合、機関士の操作が無効になる場合があり危険と見なされたこと、制御ハンドルと機関車用ブレーキハンドル、列車用ブレーキハンドルの3本が全く同じ形でわかりにくいこと、従来の機関車とは逆にブレーキハンドルを左に回すとブレーキがかかる仕組みが乗務員の戸惑いを生むなど、現場からは不評だった。特にブレーキハンドルの操作方法がこうなった理由として「人間の身体は緊急の場合に反射的に収縮するので、人間工学上理にかなった設計」となっていたが、説明された乗務員が「機関士は非常の場合は何をおいても非常ブレーキをかける。お猿さんじゃあるまいし……」と憤ったというエピソードがある。
 新製後は品川機関区に配置されたが、1973年に量産機と同等にする改造が行われて苗穂機関区に転属し、1977年に912形に再改造された。
 これら同機での試作要素はのちのDD20形・DE10形の設計に活かされている。

3.1.4 112 - 264
 111号機から試作的要素を取り除き、外観の変更や機関出力の増強はそのまま採用して新たな一般型として1961年から1965年(昭和40年)にかけて製造された。111号機では運転台が2組設置されていたが、本グループ以降は再び1組に戻っている。142・143号機はDD14形との重連に使用すべく、「半重連」方式の重連総括制御仕様で落成している。1963年度製造分 (171 - ) 以降は、塗色が従来のぶどう色2号と黄1号の帯から、上部ねずみ色1号、下部朱色4号、その境目に白帯を配した新しいディーゼル機関車塗色に変更になった[注 2]。2両は912形に改造された。

3.2 300番台
 1966年(昭和41年)から翌年にかけて83両製造されたもので、車軸に取り付けてある減速機の曲り歯傘歯車(ハイポイドギア)を破損防止のため従来品からDD51用に変更、組み合わせる斜歯(はすば)歯車も911形のものに変更した。そのため歯数比(減速比)も0番台とは異なるもの[注 3]となった。台車も改良が加えられ、形式がDT113形からDT113E形になった。これらの改良により、従来機とは互換性がなくなったことから既存機と区分するため300番台とされている。

3.3 500番台
 基本番台の 112 - 264 のグループをベースに重連総括制御仕様としたもので、300番台よりも早く1965年から18両が製造された。制御機器が重連総括制御対応に変更されたほか、車端部に制御回路引き通し用ジャンパ栓受、釣合管等の増設が行われた程度で外観的に基本番台(112号機以降)と大きな変化はない。

3.4 600番台
 300番台の重連総括制御対応版である。台車には300番台と同様の変更が加えられて台車形式がDT113形からDT113E形に変更になったため、新たに600番台に区分されたもの。他に変更はない。
 1966年から翌年にかけて51両が製造された。

4 運用
 製造当初はヤードでの入換や小運転に用いられたが、DE10形が登場してからは専ら入換用あるいは貨物支線用となった。ごく一部に旅客列車の牽引を行った事例(水郡線・清水港線・福知山線(尼崎港支線)・和田岬線)や重連で本線貨物列車を牽引した事例(羽越本線)も存在する。なお、水郡線では冬季の暖房用に暖房車も配置されていた。
 国鉄末期、貨物列車の減少と赤字増大による貨物輸送システムの改革により、ヤードや貨物支線が廃止されたことで余剰となったため1979年(昭和54年)以降急速に廃車が進み、JR各社には912形に改造されたものを除き1両も継承されることなく、国鉄最後の日である1987年(昭和62年)3月31日までに全車廃車となった。但し全国各地の私鉄・臨海鉄道では譲渡車や同一設計車が国鉄消滅から30年以上経つ現在も現役で活躍しており、21世紀に入ってからも本形式をベースとした新車が登場している。
 その用途から、地味な存在ではあったが、後にDD51形の開発において、本形式で得られた経験はすべて生かされており、国鉄が液体式ディーゼル機関車で成功を収めることができた事実から、日本の鉄道車両史におけるマイルストーンとして記憶されている。

5 保存機
6 派生形式
・DD14形-本形式の駆動系を踏襲した除雪用機関車(ロータリー車)で1960年 - 1979年に43両が製造された。
・DD15形-本形式の内外仕様を基本に、専用の諸設備を付加した設計の除雪用機関車(ラッセル車)で1962年 - 1966年に50両が製造された。
912形
東海道新幹線における工事用車両の牽引、および開業後の補修車両牽引用にDD13形を標準軌化改造した車両。開業前の4桁形式番号[注 4]では2000形と称した。1963年 - 1977年にかけて、種車の基本番台を改造した基本番台16両と、1975年に600番台を改造した重連総括制御対応の60番台4両がある。60番台4両は山陽新幹線新関門トンネル内での救援用として改造されたもので、自動連結器に加え新幹線電車と同じ密着連結器も装備している。同連結器は車両端部に設けられたU字型のフレームに取り付けられており、使用する際はこのフレームを下げて使用する。工事用車両の牽引時はフレームを上げて、並型連結器を使用する。2011年度に全車廃車され、形式消滅した。

廃車となった後に先頭のボンネット周辺部分のカットモデル(912-64)が交通科学博物館に搬入され、ブルーシートが掛けられて保管されていた。その後、2016年4月29日にオープンした京都鉄道博物館で展示されている。
番号の新旧対照は次の通り。
DD13 42・48・68・69・54・51・76・56・57・73・44・45・47・111・132・183→912-1 - 16
DD13 642・643・630・629→912-61 - 64

7 譲渡車・同系車
 中小規模の地方鉄道・臨海鉄道などにおいては、本形式の汎用性の高さと仕様・性能の適合から、同系の自社発注車両や国鉄からの譲渡車が多数導入された。国鉄では既に淘汰された形式であるが、2020年現在においても多数の車両が構内の入換作業や小運転などの用途に重用されている。
本形式および自社発注による同系車両の使用歴を有する主な事業体を以下に示す。

太平洋石炭販売輸送
雄別鉄道→釧路開発埠頭
三井芦別鉄道
旭川通運
夕張鉄道
三菱石炭鉱業大夕張鉄道線
羽幌炭礦鉄道
苫小牧港開発株式会社線
八戸臨海鉄道
岩手開発鉄道
秋田臨海鉄道
同和鉱業小坂鉄道→小坂製錬
DD130形 - DD131 〜 133
小坂鉄道DD130形(DD133号)
小坂鉄道の自社発注機。花岡線の輸送力増強を目的として1967年 - 1968年(昭和43年)に汽車製造で製造。比較的長距離を運転する必要から、運転台を前後に各1席独立して設けており、妻面に向かって右側の運転台側前面窓が拡大されたことで右側乗務員扉が省略されており、入換での使用を重視した国鉄向けとは異なる。途中駅でのタブレット通過受け渡しがあったことから、運転台側面にはタブレット防護枠が設置されている。塗色は赤に白帯。総括制御が可能なため三重連で貨物列車牽引にあたることもあった。
DD13形 - DD13-556
1978年、同和鉱業片上鉄道から移籍。DD130形とは異なり総括制御装置を装備していないことから通常は予備機の扱いであり、重連で使用する際は協調運転での取扱いとなっていた。塗色は片上鉄道時代のままで変更されなかった。

仙台臨海鉄道
福島臨海鉄道
関東鉄道→鹿島鉄道

DD902
1968年日本車輌製造製。関東鉄道が発注した国鉄DD13形ディーゼル機関車の同型車。関東鉄道が4路線で構成されていた1965年6月1日 - 1979年3月31日における、事実上でも名義上でも唯一の新造車である。DD902となったのは同出力機のDD901が存在し、その続番の形をとったため。DD13形類型機であるが、台車が軸バネ式のNL8Bで、運転台下の燃料タンク・空気溜に相違点が見られる。当初から鉾田線(後の鹿島鉄道)に配属され、塗色は濃い茶色に白帯であったが、2005年11月に朱色に変更され、同年の鉄道の日イベントでは目玉車両となった。側面の社章は関東鉄道時代のままであった。2007年(平成19年)2月、鹿島鉄道線の廃線を待たずに日本製鋼所室蘭製作所に売却された。
その後、1986年と1988年に鹿島鉄道ではDD13形を2両 (171・367) 譲受したが、こちらは塗装をDD902に揃えた他は、形式・車両番号を変更することなく使用していた。

鹿島臨海鉄道
真岡鐵道
京葉臨海鉄道
神奈川臨海鉄道
新潟臨海鉄道
神岡鉄道
名古屋臨海鉄道(ND552形)
江若鉄道
DD1351
DD13形の基本設計に参加した汽車製造は、同形式量産に先立つ1957年(昭和32年)12月に江若鉄道へDD1351と呼称する車両を納入した。これは国鉄DD13形の準同級機で、事実上その試作車と位置づけられる。
国鉄籍の基本番台車とほぼ同様の性能であったが、排気管やボンネット前面のルーバーがなく、車体各部の細部寸法や台車心皿間距離が異なり、前照灯はボンネット前面に突き出した台上に独立した灯具が乗せられ、ボンネット側面にほぼ全長に渡る手すりが設置されるなどの外観上の相違の他、前後のDMF31Sエンジンの出力をそれぞれシンコーDS1.2/1.35液体式変速機によって直下の台車に伝達する、B型機関車2台を背中合わせにしたような単純な駆動システムを備えるという、機構上の大きな相違があった。
これにより、機関1基停止で370ps級B型機関車相当として使用可能とされたが、本線運用時には通常、オハ27形2763 - 2765やオハ1957 - 1960といった自重30 - 35t級の自社所有客車や国鉄オハ35系客車などの借り入れ客車、あるいは国鉄線直通貨車等で構成される長大編成の旅客・混合・貨物列車牽引に充てられており、実際には常時機関2基使用で運用されたという。路線廃止まで、夏の水泳客輸送を中心とする多客時に大きな威力を発揮した。
DD1352
1962年に汽車製造に発注された増備車。こちらは同時期に量産されていた国鉄籍の112 - 264と同一仕様で製造されている。

近江鉄道
別府鉄道
DD1351
江若鉄道の廃止時に同社の同番号機を譲受したもの。白帯を省略し、水色一色の塗装で全線廃止まで使用された。

片上鉄道
DD13 551 - 553・555・556
片上鉄道の自社発注機である。1960年-1968年に5両が日本車輌製造で製造された。本線使用を目的とした点では同和鉱業小坂鉄道DD130形と同様であるが、ボンネットの形状やラジエターグリルのサイズなど相違点も見られる。機関はDMF31SBI (600ps) を搭載し、台車は軸バネ式のNL8Bを装着する。塗色は国鉄ディーゼル機関車標準色に準拠。
線内の客車列車・貨物列車の牽引に使用され、1両 (556) は1978年に小坂鉄道に移籍、2両 (553・555) は1988年に廃車された。1991年の鉄道廃止まで使用された残存2両が以下のとおり保存されている。
DD13 551 - 柵原ふれあい鉱山公園(岡山県久米郡美咲町)※ 動態保存車
DD13 552 - 旧片上鉄道片上駅跡地(岡山県備前市西片上)

岡山臨港鉄道

105→DD1351
国鉄籍の85 - 110と同一仕様で汽車製造にて製造された。江若鉄道廃止時に同級のDD1352を譲受した際に、DD1351と改番され、同社線廃止まで主力機として本線貨物牽引に重用された。
DD1352
江若鉄道DD1352を譲受したもの。DD1351と共に廃止まで重用された。路線廃止後は機関等の部品取り用として近隣の水島臨海鉄道へ譲渡され、長期間に渡って保管されていた。

8 脚注
8.1 注釈
[注 1]^ 大規模ヤードでのハンプ作業のような低速・長時間運転は変速機の性能・効率が良くない上に変速機油の油温上昇による変質を招きやすかった。さらに従来の入換用蒸気機関車は炭水車の台車を含めて6 - 8軸で制動をかけられたが、本形式は4軸のため、重量のある列車の入換では作業時間が延び、不向きとされた。
[注 2]^ 初期には試験塗色としてオレンジ色に白帯となった8号機が存在した。
[注 3]^ 0番台:3.14→300番台:3.196
8.2 出典
[1]^ 沖田祐作 編『機関車表 国鉄編II 電気機関車・内燃機関車の部』(ネコ・パブリッシング RailMagazine 2008年10月号(No.301)付録CD-ROM)
最終更新 2021年1月15日 (金) 16:11 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。


≪くだめぎ?≫
 740ps版(1~110)が一次型、1000ps版(111~)が二次型と言うと思うが。当地では二次型しか見たことがないが、新幹線912形に一次型の一つライト(白熱灯1灯の前照灯)の存在で初めて知り、740ps版があることに驚いた。つい最近まで異形のDD14形除雪用機関車(ロータリー車)が現役であったことから、1000ps版二次型の登場で長生き出来たりではないか。
 それだけ、特に都市部での貨車操車場入換機関車の無煙化が急務だった訳だ。ただ、『ワム80000』有蓋貨車など"最高運転速度75km/h"の単車貨物車をコンテナ化して、"フォークリフト"作業に転換した方が、鉄道貨物全体の一歩進めたCO2削減に成るのは、後年から見たエゴか・・。一次型がもっと少なく製造できたと言いたいのだが。
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Posted at 2021/02/23 19:03:40

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