徳大寺有恒は極端に好き嫌いが分かれるだろうが、私は好きだった。というより、唯一信頼する自動車評論家で、大学の頃「間違いだらけ…」を知ってから過去の著作も色々読んできた。先日、本屋でダンディトークなる本が復刻?されていたので、ダンディになるために買ってみた。
貴族に憧れ、貴族以上に貴族足らんとしたジャガーのダンディズム、性能すら美のための手段でしかないフェラーリの奏でる死の官能、合理主義の塊であるはずのメルセデスが見せる情念的なエゴイズム。みなそれぞれに国を民族を歴史を背骨とした物語を持っている。
では、日本はどうか。セルシオをあのメルセデスさえ狼狽させると評価する一方、「セルシオには全てがある、しかしドラマだけがない」と断じる。「現在のところ日本車は日本文化の伝統と何一つ結びついていない。」からだ。30年近く経った現在でも日本とは何か、日本の美とは何かが問われ続けている。
しかし、この人の自動車の評価軸というのは、車だけではないファッション・音楽・文学などを含めた、人間としての奥の深さに裏打ちされているのだとよく分かる。本当に死んでしまったのか。最後に所有した車も気になる。
写真は近くの団地。蝉の声に369°囲まれている感じ。
Although Aritsune Tokudaiji is a man not for everyone, I like it. Or rather He is the only auto critic I trust and I read some of his books since I found the "With a lot of mistakes" when I was a university student. I bought his book titled "Dandy talk" the other day to be dandy.
Jaguar's dandyism with the aspiration for Aristocracy, trying to be a aristocracy more than a aristocracy. Sensuous of death played by Ferrari using performance as a sacrifice to the beauty. Passionate egoism Mercedes show appears mass of rationalism. Every Europe car has a story based on its country, ethic and history as a backbone.
How about Japan? On the other hand Aritsune evaluate Celsior unnerve the Mercedes, he concluded Celsior has everything but drama blaming it there's no continuity of Japanese car and historical tradition. What is Japan, what is the Japanese beauty? The same question has been asked for the last 30 years.
I'm sure his evaluation axis for a car is based on his broad mind including not only car itself but fashion, music and literature. Did he really died? I wanted to know his last car.
・好き嫌いが分かれるは、loved by someone and hated by othersなど出てくるが、上記で通じるか?
・自動車評論家は、carとauto、criticとpunditで悩んだ。
・知っては、knowがやはり自然だろうか。
・sinceとwhenと二つ接続しはアリだろうか?
・先日も、出てこない。
・官能は、sensuous exhaustが出てくるが。
・情念は、emotionやpassionは少し違う気がした。しかし、pathosは形容詞が不明だった。哀しいという意味もある。
・狼狽させるあたりから、もう調べるのがしんどくなってきた。
・評価軸も、すぐ出てきたgoogleの訳。
・懐が深いは、broad mindが出てきたが心が広いと言いたいわけではない。
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2016/07/31 02:21:33