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半ねりのブログ一覧

2020年05月01日 イイね!

[本の小並感 114]仮想通貨革命 倫理に頼らない、利潤動機に基づいたシステム駆動を実現する

[本の小並感 114]仮想通貨革命 倫理に頼らない、利潤動機に基づいたシステム駆動を実現する114. 仮想通貨革命 3点

マウントゴックスの破綻やら最近はコロナやらですっかり下火になってしまった仮想通貨だが、ブロックチェーンの応用はいろいろなところで話を聞く。例えば、大阪ガスは電力取引をブロックチェーンで管理しようとしている。

家庭用燃料電池や太陽光発電で発電した電力を、住戸間で融通を実施する。この際、各住戸間で希望価格を設定し、それに基づく取引量をブロックチェーン技術により記録し、精算に用いる。
ブロックチェーンで電力を個人間で売買、大阪ガスが集合住宅で実証

九州電力の出力抑制のニュースなどを見ると「隣の家で電気が余っているなら、うちで使いたい」と思うのは自然なことだろう。しかし現在の電気料金のシステムでは個人間の取引、つまりP2Pの取引を管理できないのだ(多分)。ブロックチェーンの技術は、それを可能にする(多分)。

北海道のブラックアウトの時も、ソフトバンクが運営する太陽光発電所は発電を続けたが、地域住民には行き届かなかったであろう。「ブラックアウト(大規模停電)時に再エネを活用できたと回答した市町村は34.5%、事業者は23.5%にとどまった。理由は事業者では「系統連系しているため(全量売電しているため)」が多かった。」という。それもできるかもしれない(わからん)。

この点について言えば、ビットコインにおけるマイニングの作業を誰が行うのか?がわからない。大阪ガスがやるのだろうか?しかし、それでは意味がない気がする。ブロックチェーンの、と言うよりも、ビットコインの優れた点は、分散した主体の「利潤動機」がシステムを稼働し続けると言う点だからだ。ブロックチェーン技術を用いた仮想通貨は多いが、ビットコインが優れているのは、このアイデアだ。この本では、次のように言っている。

合理的な経済計算の結果として、人々が全体システムの維持に協力する。つまり性悪説を許容してもなお成立する社会構造を作っている。ユートピア社会主義のように、性善説を前提にした社会ではない。

アダム・スミスが考えた経済像もこれに似たものであった。人々の行動を政府が規定するのではなく、ここの経済主体は「利益最大化」という利己的な動機に従って行動する。それが結果的に望ましい資源配分を実現するのである。


日本のリベラルは、徳の高い政治家と聡明な官僚による政治を求めるようだが、そのような「善意」は人間の「利潤動機」に勝てない。コロナの財源は国債だろう。日銀は国債購入額の上限を撤廃したが、「円」に対する信頼が誰が担うのか。ビットコインは、日本政府と円を信用できない者に「逃げ道」という選択肢を与え、結果的に日本政府に対するプレッシャーとして機能するだろう。
Posted at 2020/05/01 00:47:24 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2020年04月26日 イイね!

[本の小並感 113]失敗の本質 民主的な弱いリーダーが現場の暴走を招く

[本の小並感 113]失敗の本質 民主的な弱いリーダーが現場の暴走を招く113. 失敗の本質 3点

1985年の本だが全く古くないので、現在でも度々言及される。内容は下記の表に集約されているだろう。少しだけ内容を紹介すると、ミッドウェーにおける敗戦では1の目的の明確化が勝敗を分けた一因となった。


サラリーマンに刺さる日米比較

連合艦隊司令長官である山本五十六は、この作戦の「目的」は真珠湾で撃ち漏らしたアメリカ軍の空母を誘い出し、撃沈することに据えており、ミッドウェーの基地の攻撃はこのための「手段」に過ぎなかった。

山本はこの目的を部下である南雲忠一第一航空艦隊司令長官に「十分理解・認識させる努力をしなかった。」と言う。結果、南雲はミッドウェーの基地を落とすことを優先し、アメリカ軍空母の発見が遅れることになる。

「ミッドウェー島を攻略し、ハワイ本土よりする我が本土に対する敵の機動作戦を封止するとともに、攻略時出現することあるべき敵艦隊を撃滅するにあり」

これがミッドウェーにおける作戦であったわけだが、前半はミッドウェー島の攻略を目的としているのに対し、アメリカ艦隊の撃滅を目的とした「二重性」があるのだ。

その他、失敗の原因は数々あり、それは現代でも残念ながら全く古くなっていない。問題は、なぜこんなに同じ失敗、ミッドウェーの例で言えば「目的の共有」と言う新人社員研修みたいな失敗を繰り返しながらそれを克服できないのか?だろう。

それは、ある意味民主的な誰の顔も潰さないような合議による意思決定にあるのではないか。だから目的が不明確で十分共有できず(上の表の1)、戦略策定は現場からの積み上げ方式で決まり(2)、大和や零戦のような現場の趣味がまかり通ってしまう(5)。そして、そのような部分最適な構造を是正しようとする「強いリーダー」が存在しないのだ。

最近でも安倍首相やめろ、独裁!みたいな言説はあるが、上記のような日本軍の失敗は、むしろ部分に対するコントロールが行き渡らず、関東軍のような現場の暴走を止められなかった「弱いリーダーシップ」が原因なのだ。ソフトバンクやユニクロなど独裁色が強い企業の業績がいいのは偶然ではない(最近コロだでダメだが)。もちろんそれだけでいい訳はずもないが、、、
Posted at 2020/04/26 22:25:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2020年04月13日 イイね!

[本の小並感 112]戦争広告代理店 プロ中のプロが凌ぎを削る国際政治の情報戦の裏側

[本の小並感 112]戦争広告代理店 プロ中のプロが凌ぎを削る国際政治の情報戦の裏側112. 戦争広告代理店 4点

田端さんがツイートしていたのでAmazonで買ったが、何か高かった。確か文庫は在庫がなくてハードカバーなのだが980円くらいしたはず。しかし前書きにある主な登場人物の紹介ページを見たときから、もう面白いのがわかった。著者がNHKと知ってさらに確信したし、実際読み途中だった「失敗の本質」をすっ飛ばして、部屋で読み切った。

1992年、ボスニアヘルツェゴビナの首都サラエボがセルビア系に包囲されるいわゆるボスニア紛争にアメリカのPR会社がどのような役割を果たしたかが実に生々しく書かれている。慰安婦問題などに見るように「日本の外交にはメディア戦略が足りない」なんて言われ尽くしたテンプレだが、この本を読むとメディア戦略のプロ中のプロがいかに国際世論を興すのかがよくわかる。中東の石油と異なり、バルカン半島の小国にはアメリカの利害が直接関係しない。そこを老獪な手練手管を駆使して絡みとり、「セルビア悪」の国際イメージを作っていく。

回りだす運命の歯車

中心となるのはボスニアヘルツェゴビナ政府に雇われたアメリカのルーダー・フィン社だが、対立するユーゴスラビア側もセルビア系のアメリカ人を雇って国際的なイメージの挽回を図ろうとする。その結末はユーゴの国連追放決議案という形で決着するが、その過程が、一流のプロ対プロの国際政治における情報戦が、まるで映画を見るようにスリリングなエンタメ性も供えて書かれる。

本の内容もいいし、問題提起も全く古くないし、私の仕事に照らしても思うところが多いが、単純にこんな真剣勝負の世界に生きてみたい。この年になってそんなことを思ってしまった。
Posted at 2020/04/13 00:30:37 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2020年04月11日 イイね!

聲の形 友達ごっこの許容と声をきく意思

聲の形 友達ごっこの許容と声をきく意思聲の形を読んだ。

もうだいぶ前だが、Bookoffをブラついていて手頃な値段で全巻セットだからなんとなく買った。聞いたことあったし。簡単に感想(ネタバレ)。

顔のXは何なのか?
高校で孤立し始めてから石田から見た他人の顔にはXが付く。このXはほぼ全ての人に付くが、人のよっては付かなかったり、同じ人でもついたり付かなかったりする。この顔のXは何を表しているのだろうか?

植野のX
例えば、小学校時代友達だった植野と再会する時はXはないが、植野が石田と西宮との関係を茶化した時点でXが付く。植野のこのXは石田が退院して再会するまで取れない。植野は石田との関係を修復しようと、西宮とも胸襟を開いて話をしようとするように「聲」に耳を傾けようとする姿勢がある(が、西宮は拒否する)。

西宮に拒否され植野は怒る

川井のX
対照的に常に優等生として振る舞い都合の悪いことには傍観者を決め込む川井のXはすぐ取れるのだ。西宮が髪型を変えた理由を知りたい石田は、似たようなタイミングで髪型を変えた川井にその理由を聞く。その時川井の顔からはXが取れる。

西宮の愛想笑いが示すもの
私にしてみれば植野の姿勢の方が川井の態度よりもよほどこの漫画の趣旨に沿っているように思えた。都合の悪いことは見ないふりをし、お互いが傷つかない適度な距離感の友達ごっこ。それは、自らの意思を示さず曖昧にその場をやり過ごす西宮の愛想笑いであり、一緒にいじめていた仲間が一転自分をいじめてくるような石田が決別したい簡単にプラスとマイナスが入れ替わる関係。それは、伝えたい「聲」・聞きたい「聲」を一層曖昧にするだろう。

西宮の愛想笑いは植野が指摘する「友達ごっこ」だ



友達ごっこの許容と、声をきく意思
つまらない結論だが、これは石田自身の意思の問題だ。その人の声を聞こうとする意思が石田にあれば、その人の顔からXが剥がれる。だから、石田がその意思で学校に登校するとき、全ての人からXが取れる。

これは上記のような友達ごっこの曖昧な関係を全てなくすことはできない(西宮の愛想笑いは消えないし、その必要もない)、だがそれでもそのような「状態」に安穏と胡座を描くのではなく、常に声を聞こうとする意思を持ち続ける「姿勢」を示している。


総じて良かった。このブログも時間がかかった。でも何かしらまとめてまとめておかねばと思わされた。

補足1 植野の姿勢は石田とその周辺に限られる。一方、最後の石田は適用範囲を限定しない。全員の声を聞こうとする。
補足2 西宮の夢に現れる石田が「もうすぐ火曜が終わる」と言って去っていこうとするが、これは石田が西宮を尋ねて手話教室を訪れる日だ。友達になりたいと言うが、元々は死ぬつもりだった。
Posted at 2020/04/12 02:03:41 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2020年04月06日 イイね!

ドラえもん 藤子F不二雄は(宮崎駿とは異なり)人間の未来を信じようとした

ドラえもん 藤子F不二雄は(宮崎駿とは異なり)人間の未来を信じようとしたドラえもんを読み直した。短編と大長編を全部。正確にいうと子供の頃には断片的にしか読んだことがなかったので、ちゃんと読んだのはこれが最初だ。これを読むと藤子F不二雄が、(宮崎駿とは異なり)人間とテクノロジーの未来を信じていた、信じようとしたことがよく伝わってくる。

宮崎駿は人間不信

宮崎駿の作品は、いずれも人間と科学技術の進歩を信じることができず、進歩を諦めるような作品が目立つ。ナウシカでは腐海に対する現実的な解は示されず、腐海が大地を浄化するまでの数百年間?風の谷は貧しく苦しい生活を続けるだろう。

ラピュタでは科学技術の粋を集めたラピュタを破壊するというラストを与え、種と共に冬を超え鳥ととも春を歌うような、足るを知り、その場に留まり、進歩を放棄した暮らしをシータとパズーに与える。

甘く儚いドラえもんの夢

一方、ドラえもんは良くも悪くも非常に教育的だ。特に大長編は1992年に映画が公開された雲の王国くらいから初期作品の冒険色は薄れ、エコロジー思想が前面に強く出てくる。ファイナル・ファンタジー7は1997年なのでややラグはあるが、当時はバブルが終わり、経済成長によって失われた「生態系全体へのバランス感覚」のようなものが重視されていたのかも知れない。

藤子F不二雄は環境破壊を憂慮し、当時の大人たちに失望していたことだろう。しかし、宮崎とは異なり、人間の欲望(のび太)と科学技術の進歩(ドラえもん)を肯定しつつも、環境との両立を子供たちに託そうとしたのだ。それは、甘く儚い夢だろうか?

天上人相手に演説するしずかちゃん、なんかすいません...

(思い出バイアスかも知れないが、個人的には日本誕生とドラビアンナイトが傑作だと思う。)
Posted at 2020/04/06 01:31:37 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

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「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」
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