• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

半ねりのブログ一覧

2020年09月06日 イイね!

[本の小並感 134]やまゆり園事件 「植松聖」とは誰なのか

[本の小並感 134]やまゆり園事件 「植松聖」とは誰なのかやまゆり園事件 「植松聖」とは誰なのか

1. 祖母の介護の思い出

私は祖母と暮らしていたが、晩年はボケてしまい介護が大変だった。と言っても私は特に何をするでもなく、母が介護していた。

母の毎日は過酷だった。朝、朝食や私の弁当を作り、祖母を迎えにきてくれる介護施設の車に送り、パートに働きに出て、夕飯を作り、祖母に食べさせ、トイレの世話もした。

夜徘徊してしまうので十分に眠ることができず、半分ノイローゼになってしまった母は、時に祖母に厳しい言葉を浴びせ暴力もあった(深刻ではなかった)。家の雰囲気は暗く、刺々しかった。

祖母が亡くなったのは私が高校生の頃だった。「お母ちゃん、大好き」。そう言って母は泣きながら棺を覆った。

介護は無茶苦茶大変である。

2. 植松聖は介護施設で何を見たのか

植松聖が「障害者は必要ない」という思想に至った直接の原因は、介護施設で働いたことだった。「障害者は必要ないという考えは、やまゆり園で働くまで全く考えたことはありませんでした」そう植松は語っている。

働き始めた当初、すれ違いざまに入所者に軽い暴力を振るう職員がいた。植松が同僚らに「暴力はよくない」と伝えると、「最初だからそう思うよね」「2、3年後に同じことが言えるか楽しみだな」などと言われた。

植松聖が津久井やまゆり園で見た景色が、私には何となく想像できる。裁判は責任能力に焦点が当てられ施設の実態は明らかになっていないが、黒岩知事が設置した支援実態を検証する第三者委員会は、身体拘束など「一部の利用者に虐待の疑いが極めて強い行為が長期間行われていた」とした報告書をまとめた。また別の施設で働いていた元アルバイトは、この事件に対して「気持ちはわかるけど、殺しちゃいけないよね」言ったという。

3. 植松聖とは誰なのか

私は、母の祖母の介護を(何もせず横で)見ていた経験から、「おばあちゃんさえいなければ」という想いがあったことを否定できない。祖母が亡くなったとき、ホッとした側面があるのではないか?という問いに、完全にNoとは言い切れない。

私が植松を否定したい、忘れたい、なかったことにしたいという思いは、このような自分の中のドス黒い部分がエグり出されてしまうからだ。だから本書の問い「植松聖とは誰なのか」に対する私の答えは、「私自身の一部」である。

4. 闇落ちしないために

なお、植松は「自分が優れた人物で有意義な人生を送っていれば、楽しくて事件は思いつかなかった」と語っている。この言葉に嘘はないだろう。矮小な自分、何者にもなれない自分を否定したかったのだ。

これはあっけないほど単純な動機だが、自分自身が経済的に自立し、充実した生活を送れるようになることこそが、自らの闇落ちすを防いでくれるだろう。本書の中に弱者を切り捨てるような社会的風潮云々の記載はあるが、実際は富裕層ほど弱者に優しくなれるのだ。
Posted at 2020/09/06 23:25:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2020年09月06日 イイね!

小林よしのり台湾論 「公」の実現は見果てぬ夢か

小林よしのり台湾論 「公」の実現は見果てぬ夢かもうちょっと前だが李登輝が亡くなった。

小林よしのりは、ちょいちょいブログを読むくらいで、久しく漫画は読んでいなかったが、これを機会に台湾論を読んでみた。

何が言いたいの感

彼の漫画は戦争論くらいから熱心に読んでいたが、久々に読むと何の意味があるのかよくわからないシーンが多い。派手な漫画は論旨の理解を邪魔しているように思う。昔はこれを面白いと思っていたのだろうか?

民主化とアイデンティティ

台湾の歴史はよく知らなかったので、それは勉強になった。内省人と外省人という言葉も初めて知った。従来から台湾に住んでいた人を内省人といい、戦後蒋介石と共に中国から渡ってきた人を外省人というらしい。

外省人は人口の16 %ほどだが国民党の独裁体制は続き、1949年から1987年まで38年間も戒厳令下に置かれる。その体制を国民党の内部から破壊し民主化を実現させたのが李登輝だった。

という訳で、台湾は中国とは異なるアイデンティティがある。民主化は一層台湾人としてのアンデンティティを問う、らしい。日本の場合は、甘えが氾濫した訳だが今の台湾はどうだろうか。

強いリーダーと、「公」の実現

彼に一貫しているのは、人的に徳の高い人物が強いリーダーシップを発揮して日本を導いていくような国家像?だ。李登輝とのインタビューでは、彼のようなリーダーが日本にいないことを嘆く。

しかし、どうだろうか。日本は歴史的にボトムアップの意思決定システムだ。これは彼自身が天皇論の中で、天皇というのは権力を分散させ、独裁を防ぐことで平和を維持するシステムなのだと書いている通りである。

そしてうまく言えないが、彼の言う「公」意識の欠如も、このことと無関係ではない気がする。

良くも悪くも彼のいうような「公」意識は、日本には昔から存在しない。小林よしのりは、ナショナリズムによってそれを実現させようとしているが、これは福澤諭吉が「政府ありてネイションなし」と言ったことと符号する。しかし、彼が評価する戦前の日本人も戦争に負けたらあっさりアメリカ万歳でチョコレートをねだったのだ。

日本にはキリスト教のような倫理意識の規範はない。あるのは「世間」という人間関係と、それが作り出す「空気」という怪物のみである。だから、彼の目指す「公」意識の醸成というのは一神教における神を作り出すような見果てぬ夢であるように感じる。

ちょっと大げさだろうか。マシにする、くらいはできると思う。何だろう、明治維新は彼の中のモデルだろうか。
Posted at 2020/09/06 02:47:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「ビート、手放しました。13年ありがとう! http://cvw.jp/b/410066/45136597/
何シテル?   05/23 22:55
「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2020/9 >>

  1 2345
6789101112
13141516 171819
2021222324 2526
27282930   

愛車一覧

ホンダ ビート ホンダ ビート
2008年8月13日に納車しました。私にとってはこれが始めての車の購入でした。当時の私は ...
その他 その他 その他 その他
2月7日に納車のBasso Viper。本体120,000。ペダルと空気入れで総額130 ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation