![[本の小並感 121]カナダ=エスキモー 固定観念を揺さぶる食事事情、トイレ事情 [本の小並感 121]カナダ=エスキモー 固定観念を揺さぶる食事事情、トイレ事情](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/blog/000/044/094/390/44094390/p1m.jpg?ct=1e94e29e6d1c)
121. カナダ=エスキモー 4点
母親が東京に出てきたので神楽坂の中華料理屋で食事をした。その時に、この本の話が突然出てきたのだ。個人的にもこの手の本、つまり文明から隔離され独自の生活スタイルを貫いている部族のルポは昔から読んでいて、例えば松本仁一さんの「アフリカを食べる」とか、国分拓さんの「ヤノマミ」(これはドキュメンタリーだが、本も持っている)とか、少しマニアックなところだと見田宗介さんの「気流の鳴る音」とかだ。
この手の本は、今までの自分の価値観と揺さぶり、それは悪い悪い意味ではなく、「そうしなければならない」というような無意識のうちに囚われている固定観念から私自身を自由にしてくれる。というのが、一応こういう本を読むことに意味だし、この本も十分役割を果たしてくれた。何点かを抜き出してみる。
トイレ事情
うんこした後、尻を拭かない。ウソ...と思うが、肉ばかり食べていると固くてコロコロした犬のようなクソになるのだそうで、想像するほど不潔でもないらしい。まぁフランスだって絹のドレスの下で野糞を放っていた訳だし...日本はトイレ事情は今も昔も最先端なのか。ちなみに著者は空き缶にできず外で用を足したが、放っておくと犬が、さらに消化しようと血眼になるので、凍りつきそうな風が吹く氷の上で小石で犬を追い払いながら用を足した。この点を100%起居を共にできなかったことを悔いている。

空き缶に用をたす子供。すぐ左で寝とるで...
食事事情
決まった時間に食卓を囲む、そんな意味での食事はエスキモーにはない。各人が食べたい時に勝手に食べる。凍った肉の塊を部屋に置いておき、溶け出した物を各人が削って勝手に食べる。肉はセイウチやアザラシ、カリブー などだ。煮ることはあるが、生肉が多い。これは加熱するとビタミンCが破壊されてしまうため、壊血病を防ぐために合理性なのだ。著者はこの本で一貫して、エスキモーの生活が、雪と氷と白夜の世界で生きていく合理性に貫かれており、我々の価値基準で裁くことを戒めている。なお、肉ばかりの食事を続けた結果、著者は便秘に苦しむことになる。

カリブーの頭

セイウチの肉布団(皮付きの肉で内臓を覆う)

カリブーの内臓をうどんのようにすする...無理...
美人問題
容姿の好みが文化に左右されるというのは有名な話だと思うが、著者も実験している。エスキモー3人に、A: エスキモー美人、B: 平均的日本人、C: 黒髪のアメリカのファッションモデル、D: マリリン・モンローの4人の写真を見せて美人順位づけをしてもらった。結果は下記の通りで、マリリン・モンローに至っては「こんなのは順位の列にも加えられない」と散々の酷評ぶりだったらしい。
Xさん:ABCD
Yさん:BACD
Zさん:BCAD
犬を甘やかしてはならぬ
犬に対してエスキモーは厳しい。ソリを引く犬たちの中でサボっている奴がいると、綱を引き寄せてムチの集中攻撃を浴びせる。犬たちがソリの荷物をひっくり返しててんやわんやにしてしまった時、37匹の犬を一匹ずつ押さえつけ金槌で犬たちの腹をぶん殴った。頭を撫でたり、優しい言葉をかけたりはしない。家に入れなどもってのほかで、それなのにいざ食糧欠乏となれば犬が最初の犠牲になる。
著者たちは最初犬達に日本人的な愛情で接するが、すぐに忠実でない犬が増え、吠えつけられるようになり、以後一声でも吠えようものなら殴り蹴りつけるようにしたという。
異臭の家
著者たちはなるべく伝統的な生活様式を維持している集落に住み込む訳だが、ホームステイする半地下の雪洞住居が強烈に臭う。便器にする缶が2、3個床に置いてあるし、片隅には動物の残骸が重なっている、大人は手鼻をかみタンを吐く、子供は咳をする度にもどす、土間はそれらがコネ回されてヌルヌルしている。
未開人の貧しさ
著者はエスキモーを野蛮人などと感じたことはないが、2回だけ、未開人の残像を覗き見るような大きな壁を感じたという。1つは「数の概念の欠如」であり、もう1つは「実用的でないものに価値を認めない」態度だった。数はあるが大きな数を意識できず、計画的な食糧調達を難しくして食糧危機を避けられない。また、記念品として渡した5円玉を、使えない金だとしか認識せず怒り出す。
自殺者の問題
エスキモーは自殺が多い。10万人当たりの自殺者数は次の通りだ。ずっと日本が自殺者数世界一だと思っていたので、当時はそうでなかったのも意外だが、エスキモーは圧倒的に多い。肝心の動機は「近縁の者が死に、その悲しみで」というのが多いが、中には「歳を取りすぎて、もう生きることをやめた方がいいと判断した」というのもある。
デンマーク:21人(1958年)
スイス:21人(1958年)
日本:19人(1961年)
エスキモー:575人
Posted at 2020/06/14 20:44:43 | |
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