数日前から急激に寒くなった日本列島。
それまではとてもこの時期とは思えないほどの温かさで、キャンプに行きたくて仕方ない日々が続いていましたが、ようやく半日だけ休みが取れたので行ってきました。今回のキャンプ地到着前に立ち寄ったのは、愛知県刈谷市にある「依佐美送信所記念館」。

ここは昭和4年(1929年)に稼働を始めた世界最大級の長波送信施設です。
建設前の海外との通信施設は3本の海底ケーブルしかなく、激動の国際情勢情報を逐一入手するには貧弱なものでした。これに危機感を抱いた政府は日米間に新たなケーブルを設置しようとアメリカと調整しましたが、嫌がらせを受けて頓挫。これを受けて自前の長波通信施設建設の動きが出始めましたが、大正12年(1923年)の関東大震災により国家事業として行う余裕がなくなりました。
そこで立ち上がったのが我らが一万円札・渋沢栄一!
渋沢は長波通信施設建設のため大正14年(1925年)に「日本無線電信株式会社」を立ち上げ、その設立委員長を務めていたのです。

渋沢らの尽力により、その4年後に施設が完成し稼働。
当時は広大な用地に高さ250mの鉄塔8基が立ち並んでいたそうです。
壮観。

これからは1万円札を少し違った感覚で眺められる気がします(笑)
当初は民生用として運用されていた送信所ですが、長波はかなり遠方でも海底15mくらいまで届くことが判明したことから海軍に接収され、主に潜水艦との通信用に使われました。このため有名な太平洋戦争開戦の暗号「ニイタカヤマノボレ1208」はこの施設から発信されたとのこと。
ん?待てよ。
似たような話を以前に見たことがあるような…。
そうそう、佐世保にある「針尾送信所」も同じく「ニイタカヤマ…」の発信元と説明されていました。(当時のブログはこちら→
■)

どゆこと?
と一瞬思いましたが、海上の艦船や基地宛てには から発信し、遠方の海中に潜んでいる潜水艦には依佐美送信所から送ったということでしょう。我が家からさほど遠くない場所にこんな貴重な施設があったとは少々驚きました。立派な記念館の中には当時使われていた発電機や操作ユニットなどが所狭しと並んでおり、一見の価値があると感じました。

さてその後はキャンプ地へ移動。今回は小さな公園駐車場での車中泊を敢行します。幸い園内は誰もおらず、周囲に民家も全くないという理想的な環境で、しかもこの日は寒波襲来直前の温かく無風な日だったので、比較的軽装でも気持ちよく過ごせました。夕飯では家庭菜園で採れた小さな大根2本を一人鍋用出汁で煮込んでみました。

大根の葉は細かく刻んで軽く茹でるとエグ味が抜けて美味しく食べられます♪
この日は満月少し前でもあり、少し雲も出ていたので満天の星空こそ見られませんでしたが、煌々と輝く月が雲間から見えるというのもまた風情があっていいなと思いました。
てな感じで、僅か半日のキャンプ旅を満喫して気分よく翌日を迎えることが出来ましたとさ♪
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Posted at
2025/12/05 20:13:41