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ザクとは違うのブログ一覧

2022年11月06日 イイね!

宿毛泊地の訪問記録

少し前のブログで触れたように、2022年10月の四国旅行で訪れた場所のひとつです。
宿毛市は高知県の最西端に位置する自治体で、宿毛泊地を支える基地施設は宇須々木という小さな集落に建設されました。
当時ここは旧日本海軍艦船の泊地として利用された場所だったので、四国に行く機会があれば是非とも訪れたいと思っていた場所でした。

旧海軍の一大根拠地と言えば、言わずと知れた広島県呉。しかし太平洋から呉に入ろうとすると豊後水道を抜けて瀬戸内海へ入っていく必要があります。このためより外洋に近い宿毛は便利な場所であり、昭和初期から海軍の泊地として使われ始めたそうです。
大正頃から艦船の大型化が進んでいたため、瀬戸内まで入っていくのは大変だったろうことや、呉までの行程で艦船の動きや形状(各種装備の変更状況等を含む)がスパイに察知されることを防ぐ必要性などからも、外海近くに停泊するメリットはあったと思われます。

また宿毛沖は呉で建造・竣工した艦船の公試運転が行われていました。戦艦大和もそのうちの1隻。

実は公試運転を瀬戸内海でなく宿毛で行っていたのは外海ゆえの波の高さもあったそうです。
荒々しく波を蹴立てて疾走する様は艦船の勇壮さを引き立てるのに絶好だったということでしょう。
↑の写真(1941年10月20日)はまさにそういうシーン。

ただ逆に言えば波が荒い=造波抵抗が大きいということだと思われるので、最高速力が少し低めに出ていた可能性はあります。
事実戦艦大和は凪いだ海なら30ノット(公試運転時の記録は27.46ノット)は出せたという証言が複数残っているそうです。
大和に関しては、米最新鋭戦艦アイオワ級との優劣が議論されますが、その際の大和のマイナス要素として速力がアイオワ級(33ノット)より遅いことが挙げられます。46cm主砲でアウトレンジ攻撃出来たとしても優速なアイオワ級の方が有利であるとの意見です。
しかし大和の速力が30ノットだとしたらその差は大きくないので、速力以外の要素で比較検討すべきことになると思います。
閑話休題。
宿毛基地は機密保持がかなり厳格だったようで、当時の建物配置などの資料はなかなか見つかりません。かろうじて見つけたのがこちら。

作図時期もはっきりしませんが、かなり参考になります。
これを見る限り基地のエリアはさほど広くはなかったように見えますが、実際には士官や水兵たちの上陸時対応施設や、艦船への油、水、食料、弾薬など様々な補給のための施設などが必要なはずなので、資料には明示されていない施設が相当数あったのではないかと推察します。

以上で確認した情報を参考にしながら現地について触れていきます。
現地には宇須々木公民館が設置されており、敷地内には説明板が立てられています。

そこに掲示されている当時の写真がこちら。

概ね先程の図のとおりの施設が並んでいます。公民館の場所には があったようですが、現在は取り壊されており、礎石の痕跡なども確認出来ませんでした。

文章も長くなってきたので続きは次回。
Posted at 2022/11/06 16:37:28 | コメント(2) | ダークツーリズム | 旅行/地域
2022年10月14日 イイね!

ここ最近で行った場所

10月初めの三連休を使って4泊5日の行程で四国1周旅行に行ってきました。
実はその前の週にも1泊キャンプに行っているので、ブログに残しておきたいテーマがてんこ盛りです。
これらを先回のようにテーマ別に分けて記録していくのがよいのですが、とてもその時間と手間をかけている余裕がありません。なのでコンテンツとそれに関する若干のコメントだけをこのブログに記し、細かい情報などはフォトアルバムに譲ろうと思います。
※ブログで語らない分、フォトアルバム内で膨大かつ貴重な写真とともにがっつり語りまくっていますので、ぜひご覧くださいませm(_ _)m
では時系列で。

◆キャンプ
愛知県渥美半島の先端にある「旧陸軍第一技術研究所伊良湖試験場跡



いずれも個人所有となっていますが、当時の形をほぼ留めていました。より組織的体系的な保存が望まれます。
・フォトアルバム「旧陸軍第一技術研究所伊良湖試験場跡

愛知県豊橋市の「二川トーチカ

これも個人所有です。民家が立ち並ぶ中に突然現れます。一つだけ作られたはずは無いので、他にもあったはずですが…。
フォトギャラリー「二川トーチカ

吉田城


一時、徳川家康が領有しており、出世城とも言われています。

この城はかつて陸軍の歩兵連隊跡でもあったので、門柱や歩哨などが残っています。



私と同目的で訪れた人がいて、一生懸命撮影していました(笑)
フォトアルバム「吉田城・陸軍連隊跡

愛知県豊川市の「豊川海軍工廠平和公園
当時国内最大だった、機銃やその弾丸を製造する工場群がありましたが、昭和20年8月の大空襲で殆どが消失してしまいました。
ごく一部焼け残った建物などを当時のまま保存しています。



無料のガイドボランティアに説明してもらえますが、まだお若い女性の方からマンツーマンでお話を聞くことが出来ました。
貴重な施設が残されていることに驚くと共に、悲しい歴史があることも知ることが出来ました。オススメ施設です。
フォトアルバム「豊川海軍工廠平和公園

キャンプ場は蒲郡市の「さがらの森」。

水道が雨水利用なので水持参必須ですが、なかなか良いキャンプ場でした。リピートすると思います。
フォトギャラリー「さがらの森

◆四国旅行初日
お昼頃出発し、高速で一路西へ。
途中渋滞もあまりなく、夕飯は淡路島のSAでうどんを食べました。

おまけで「阿波おどり専用」ドリンクがもらえました♪

この日は愛媛県の桜三里PAで車中泊。

◆2日目
湯築城


戦国時代は河野氏が居城としていました。日本百名城のひとつです。
フォトアルバム「湯築城

伊予松山城




こちらも百名城であり、かつ現存12天守のひとつでもあります。
この城は櫓があちこちに多数設置されているため、色んな角度から複数の櫓を一枚の写真に収めることが出来、かなりの壮観でした。
お気に入りの城のひとつになりました。
フォトアルバム「伊予松山城

第343海軍航空隊跡(現・松山空港)

松山空港近くに石碑が立てられています。
終戦間際、硫黄島などから呉軍港へ飛来する米軍機迎撃のため源田実大佐が精鋭戦闘機乗りを集めて作ったのが通称343空。主力戦闘機は紫電改です。
ここにはその掩体壕が完全な形で残されていました。


フォトアルバム「第343海軍航空隊跡(現・松山空港)

大洲城、宇和島城、河後森城



大洲、宇和島はいずれも築城名人とも言われる藤堂高虎が作った城で、百名城のひとつです。宇和島は現存12天守のひとつでもあります。
河後森城は続日本百名城のひとつです。馬蹄形の縄張りになっており、防御力の大変高い城だと感じました。
フォトアルバム「大洲城」「宇和島城」「河後森城

◆3日目
宿毛湾




海軍の泊地だった場所です。
ここは少し語りたい部分なので、別稿を立てるつもりです。
フォトアルバム「宿毛湾

紫電改展示館

松山の343空で活躍した局地戦闘機紫電改の実機が展示されています。日本にある実機はここだけです。
フォトアルバム「紫電改展示館

高知城

百名城であり、かつ現存12天守のひとつでもあります。
フォトアルバム「高知城

◆4日目
この日はみん友のシウジィさんと丸亀城などを回りました。詳細は別途ブログを立てます。
シウさんと別れた後は玉藻城(松山城)を見てから、瀬戸大橋経由で岡山に渡りました。

鶉野飛行場跡


かつて海軍の練習航空隊が設置された場所で、掩体壕などが残されています。
近くの施設には紫電改の模型などが展示されています。現地到着が日没後だったので、出来れば再訪したいものです。
フォトアルバム「鶉野飛行場跡

◆5日目
三木城、花隈城


三木城は「三木の干殺し、鳥取の飢え殺し」とまで言われた秀吉による城攻めのあった場所です。花隈城は神戸のメリケンパーク近くにあり、石垣などが再現されています。
フォトギャラリー「三木城」「花隈城

戦没した船と海員の資料館




民間船版大和ミュージアムとも言うべき素晴らしい施設です。決して広くはない館内に、会員の方々が血のにじむような努力をしながら収集された大変貴重な資料が膨大に蓄積されています。
民間船を模型で作る予定は現時点でありませんが、そのようなチャンスがあれば必ずここで調べ物をしてから作ることになると思います。
会員の方との会話は大変興味深いものばかりで、滞在2時間が非常に短く感じられました。
フォトアルバム「戦没した船と海員の資料館

かなり駆け足ですが、以上となります。
特に四国や岡山などは我が家から相当な距離があるので移動時間や距離もかなりのものでした。そのため日程が詰込み式になったのはやむを得ないところです。
ただ今まで行きたいと思っていたところの多くに行き、現場の迫力を感じることが出来たのは大収穫でした。
ちなみに四国旅行の総走行距離は1600km。

1900kmの佐世保往復、1800kmの種子島・内之浦に次ぐ長距離ドライブでした。
はー、疲れた。
でもまだまだ行きたいところがいっぱい。
これからも走りまくるぞー!
Posted at 2022/10/15 22:41:07 | コメント(4) | ダークツーリズム | 旅行/地域
2022年10月01日 イイね!

入社30周年旅行(ダークツーリズムその2)

ダークツーリズムその2は遊就館です。
遊就館は靖国神社内にある戦争博物館のこと。
建物の手前には兵隊とともに戦争に従事した軍馬や軍犬たちの供養碑も置かれています。

そして遊就館はこちら↓

大変立派な建物です。
館内には太平洋戦争関係に限らず、明治維新以降に日本が関わった戦争全てについての展示がされています。

玄関ホールには零戦52型の実機が展示されています。

私が訪れる1週間前には零戦の前にある扉を開放して正面から見ることも出来ました。残念…。
他にも当時のSLや野砲などが展示されており、こちら(無料ゾーン)については撮影可能。しかし有料ゾーンに入ると予科練平和祈念館と同様、撮影禁止です。

大きな建物の1階2階の全フロアを使っての展示なので、情報量はものすごいです。
その全てをきちんと見ようとするととても1日では足りないくらい。なので私のメインターゲットである太平洋戦争以外は基本スルーです(笑)

日露戦争のコーナーでは日本勝利を伝える各国のニュースが掲示されていますが、いずれも日本の戦果を激賞し、米に至ってはいずれ世界一になるだろうとまで言っていたのには驚きました。これを知った日本の指導者たちはきっと有頂天になったことでしょう。

しかしその後展示を見進めるうちに徐々に違和感が沸いてきました。

満州国の成立(五族協和)について触れた展示については、その経緯に日本が関わっていたという事実が表現されておらず、あたかもその地域の人達が自ら建国したかのような表現でした。
また日中戦争における盧溝橋事件では、中国側から銃撃があったとの記載がありましたが、膨大な資料(史料)を徹底的に調べ上げることで有名な半藤一利の調査では最初の発砲がどちらからだったのかはっきりしていません。
日米開戦前にアメリカから示された通称ハル・ノートについては、「米政府はハル4原則をくりかえすだけ、もともと日本の妥協案による日米間の合意達成は難しかった」「ハル・ノートの内容は日米間の全ての案件について過去半年間の交渉を無意味にするような過酷かつ高圧的な内容だった」などとあり、あたかも日本は自己中心的でない適切な外交交渉を行ったかのような表記が見られました。
また太平洋戦争緒戦の展示では、米軍のアジア戦略拠点を「駆逐」と表記したり、ビルマ作戦では「英軍を駆逐掃討」と表記してありました。駆逐というのは「害虫駆除」と似たニュアンスを感じます。
同様に蘭印攻略の展示では「日本人が軍規を遵守しインドネシア人と一体となってインドネシアの発展に尽くした」とありましたが、果たして現場はその通りだったでしょうか。
昭和20年の展示では「本土決戦」などの言葉が踊るばかりで、戦争終結に向けた努力は、東郷外相が17年の年頭訓示での終戦工作研究を命じたこと、吉田茂が近衛文麿をスイスに派遣し和平工作したことなどが書かれ、しかし和平の意思のない米国によりポツダム宣言に至ったという書き方でした。

これらの展示から感じたのは、「日本は正しい、欧米は間違っている」というスタンス。
欧米が日本の言うことを聞いていれば、アジア各国は日本とともに幸せな時代を迎えることが出来たし、民間人を巻き込んで300万人もの人々が亡くなってしまうような大殺戮をされることはなかったのだという考え方が根底に潜んでいるようにしか思えません。
果たしてそうでしょうか。

このテーマを論じようとするとブログが20本くらい書けそうなくらい勉強しました。
しかしここではそこまで書きません。
ただ間違いなく言えるのは「日本は戦うべきでない相手と無思慮な戦争を起こした結果、敵味方を問わず罪のない人々の膨大な犠牲を払った」ということです。
戦争は誤った行為であることなど、子供でも知っています。「正しい戦争」などあり得ません。そんな当たり前のことを遊就館の展示を考えた学芸員などの方々はどう認識しているのか。私にはよく分かりません。

展示の最後の方はやはり特攻に関するものでした。
予科練平和祈念館同様、兵士たちの遺書遺品やその家族の手紙などが数多く展示されています。そのうちの一つのエピソード。

特攻隊員に命ぜられた夫に対して、妻は「私達がいては後顧の憂いになり、思う存分の活躍が出来ないでしょう」と手紙を書き、幼い子どもと2人で入水自殺した

誤った判断が行われたからこそ、このようなことが起きてしまったのではないでしょうか。
そうしたことへの反省のために遊就館のような施設があるのではないでしょうか。
単に「戦争で亡くなった人たちを顕彰し慰撫する」だけではないのではないでしょうか。
そんなことを思いました。

重たい話が続いてしまいましたが、実は遊就館に行った大きな目的の一つに、展示されている「8cm単装高角砲」の撮影がありました。
館内でもそれらが置かれたスペースは撮影可能とされているので、思う存分シャッターを切りまくりました。(モデラー目線でスミマセン)






ここで得た情報は今後の模型製作の参考にさせていただきます!
と言いながら、最近全然製作活動が捗っていませんが…orz

当日撮影した様々な兵器や遺品などの写真はフォトアルバムに収めました。
興味のある方は御覧ください。
遊就館
Posted at 2022/10/01 22:04:57 | コメント(1) | ダークツーリズム | 旅行/地域
2022年10月01日 イイね!

入社30周年旅行(ダークツーリズムその1)

昨年度で入社30周年となったので、会社から旅行で使えるポイントがもらえました。せっかくなので行きたいと思っていた場所を、9月の三連休1つ目にいくつか巡ってみようと考えました。
テーマは4つ。ダークツーリズム、宇宙、城跡、そしてキャンプです。

本ブログはダークツーリズムに触れます。
ダークツーリズムとは、被災地や戦跡など、人の死や暴力などのあった現場を訪問するものです。最初に訪れたのは茨城県の霞ヶ浦近くに建つ「予科練平和記念館」。

予科練とは海軍の飛行機乗りになるための学校です。ここは昭和の初め頃に建設され、多くの若者が入隊しました。入試倍率は驚きの70倍以上!
志望理由は、当初は「安定した生活のため」でしたが、次第に「お国のため」になったのだそうです。
入隊時はご近所総出で盛大な壮行会が開かれました。桜に錨の金の7つボタンは皆の憧れで、後の大量採用に繋がっていきます。
勉強は英語理科漢文などに加え陸戦、砲術、短艇、銃剣術も。月曜日の1時間目の精神講話から始まり、数学理科は今の大学並みの内容だったそうです。
飛行適性判断は人相手相でも行われていたというのは驚きでした。なんでも山本五十六の方針だとか。いかにも非科学的な日本らしいですね(苦笑)
勉学が終わった後の就寝はハンモック。実物が展示されていたので触ってみましたが、かなりゴワゴワ。決して寝心地は良くなかったでしょう。
昭和18年後半から入隊が飛躍的に増えましたが、物資不足で訓練もできず飛行機もないため、多くの人は訓練中に終戦を迎えました。

展示室はいくつもの部屋に別れており、最初の方は予科練と戦争の歴史的経過を示しています。
小さな部屋でのビデオ上映では、正面の壁だけでなく天井にもモニターがあり、空襲の様を映し出す際は天井モニターに米軍機が映り、それらから爆弾が落とされ正面のモニターで次々と爆発する様子が映されます。立体的なディスプレイは本当に空襲の現場に居るような印象を受けました。
後半は特攻中心に切り替わり、訓練生の悲壮な決意や家族の思いが綴られた手紙などが展示されます。その中の1つ。

「十二郎は子として親を思う点で人に負けぬと考えるが、しかしそれ以上に国を思っている」

親の思い、子の思いを考えると胸が張り裂けそうです。
予科練卒業生には最初の特攻隊編成者・大西瀧治郎も含まれます。先輩が後輩に死ねと命じる。まさに狂気の沙汰…。
展示を見終わったロビーの片隅に戦艦大和の模型が展示されていましたが、特攻の悲惨さの後では巨大な主砲を持つ戦艦は「勇ましい」「かっこいい」などのイメージを持つので、あまり適切では無い気がします。

建物の外には人間魚雷回天も展示されています。

予科練は飛行機乗りでは?と思いましたが、戦争後半の飛行機不足の頃は飛行機以外の特攻兵器の訓練も行ったのだそうです。

予科練は全国各地に作られました。
三沢、土浦、霞ヶ浦、横須賀、小松、清水、三重、奈良、高野山、滋賀、宝塚、西宮、倉敷、美保、浦戸、松山、宇和島、岩国、福岡、小富士、鹿児島
(整備予科練・洲崎、藤沢、岡崎、人吉、串良、垂水、鹿屋)
皆さんのお住まいの近くにもあったでしょうか。そこには悲惨な歴史が残されているでしょうね。


館内の展示は大変貴重なものばかりで、数も相当な規模でした。
説明も分かりやすく、展示方針も明確で、ディスプレイも工夫が凝らしてあり、学芸員の方々の努力が垣間見える気がしました。
ただ唯一残念だったのは、館内展示物の撮影が一切不可とされていたこと。
不可であるのは、個人情報の保護という観点と、フラッシュの光による展示物の劣化対策の二つではないかと思われます。
太平洋戦争や大東亜戦争と呼ばれるものが終わってから既に80年近くが経過し、当時を知る人々はどんどん少なくなって、いずれ居なくなってしまうでしょう。本来なら実際の現場を体験した人たちから話を聞く方が心への響き方が違いますが、それが出来ないならば、予科練平和記念館などのような施設を通して伝えていくしかありません。
ただ残念ながらここまで来られる人は限られています。
ならばSNSなどを通じての発信を行うことでボーダーレスに伝えていくことが出来るのではないかと。予科練生の遺品や手紙などの実物を見ることが出来なくても、その画像を見るだけでも伝わるものがあるはずです。
個人情報の漏洩や展示物の劣化は避けるべきなので、そうしたことへの配慮を行う前提で展示物の撮影及びSNSでの発信を認めてもらうことが出来れば、より多くの人たちに戦争の悲惨さや戦争指導者たちの愚かさなどが伝わり、より多くの人たちに同じ過ちを繰り返さないという意識を持ってもらえるのではないでしょうか。
むしろそうすることが亡くなっていった方々に私たちができることではないでしょうか。

ロシアのウクライナ侵攻を含め、世界では争いごとが絶えません。それらの現場では報道されない悲惨な事実が多く起こっていることでしょう。そういう今だからこそ、こうした施設はより重要になってきているのではないかと思います。
Posted at 2022/10/01 21:31:25 | コメント(2) | ダークツーリズム | 旅行/地域
2019年08月06日 イイね!

往復1900kmドライブ(佐世保まちある記編)

少し前からチャレンジしている「海軍さんの港まちスタンプラリー」。
4箇所のうち、舞鶴横須賀を制覇し、残るは佐世保。
しかし遠い…。
今年のGWに呉へ行くと決めた際、ついでに立ち寄ろうかと真剣に悩みましたが、渋滞と体力が不安で諦めていました。またコンプリート賞品も数が少なく、今さらコンプしても貰えないかもという不安も。
でもなんとなく諦めがつかないので、ラリー事務局に賞品はまだあるか聞いてみました。すると「あります」とのこと。
よし、行こう。

行ってきました、佐世保。
走ってきました、全行程1900km。
頑張りました、2泊3日。

初日は広島城を見学し、佐賀県鳥栖市泊。
2日目に佐世保軍港を見てまわり、引き返して山口県防府市泊。
3日目は岡山県姫路市にある御着城を見学し、帰宅。

ブログは長文になるので、まずはメインディッシュの佐世保編です。
最初に訪れたのは「針尾送信所」。
佐世保市外から少し離れた場所に高さ136mの鉄筋コンクリート造無線塔が3本立っています。


でかい。
めちゃくちゃでかいです。

3号塔は内部に入れました。


近くには電信室も。

内部には入れません。
それにしてもすごいラピュタ感…。

これらの無線塔、約100年前の建設以来海風に日々さらされながら、破損等が全く見られません。すごい技術です。

次に訪れたのは無窮洞。

一言で言えば大型防空壕です。



驚いたのは、これを作ったのは600人の中学生。
当時の校長先生の指示の下、↓の小さなピッケルを使って少しずつ掘り続け、ここまで巨大な施設が作られたのだとか。

このあたりの土は火山灰が固まってできたものなので、小さなピッケルでも割と簡単に削れはしますが、それにしても図面もなしに口頭指示だけでこれほどの施設が作られるとは…。

軍の建設技術、そして当時の子どもたちの努力に心から驚きながら、次に訪れたのは「東山海軍墓地」。

こちらには旧海軍の船ごとにお墓が作られています。




それぞれにお祈りしてきました。

さらに移動。
次のスタンプポイントは「旧海軍佐世保鎮守府凱旋記念館」。

こちらは現在、市民文化ホールとして活用されています。
耐震のための改修工事がなされてはいるものの、当時の様子をほぼ正確に伝えています。内部見学も自由に行えます。

そして最後のスタンプポイントは、佐世保駅構内にある観光情報センター。
こちらでスタンプを押し、佐世保コンプ賞品のクリアファイルをもらいました。
これで4都市コンプ達成!

今回訪れた5箇所では同時に護守印めぐりも開催中だったので、一緒にコンプし、賞品の絵葉書(非売品)をもらいました!


さてこれで主目的は達成。
でもまだあと半日時間があるので、ここから先は個人の趣味としてのまちある記に移ります。
佐世保といえば港まち。
佐世保駅の裏手すぐには港が広がっています。これを見ないわけには行きません。
とその前に、熱中症防止のため、ドリンク購入。

港を攻めるのは、やはりゴッグですよね(笑)

いやぁ、潮風が気持ちいい~
この日は海自によるイベントが行われており、自衛艦の体験乗船ができました。乗ったのはこちら↓

ミサイル艇「おおたか」です。
小さな船ですが、対艦ミサイルを積むなど、意外と重装備。

次に行ったのはまちなかにある「とんねる横丁」。

こちらは戦時中にずらりと並んでいくつも掘り進められた防空壕の跡を使って、商店街にしてしまったというもの。佐世保市民のたくましさを感じます。

↑の画像だと少し分かりづらいですが、お年寄りの向こう側、ずっと奥に向かってお店のスペースがつながっています。これが全て防空壕というもの。
こんな光景は初めて見ました。感動。

そして軍港につきもの(?)のレンガ倉庫群。


しかし残念なことにいずれもフェンスに遮られ、近寄ることができないようになっていました。他都市は全て公共施設や商店などに活用されているのですが、保安上の事情などがあるのでしょうか…。

その近くに見えたのがこちら↓

250tクレーンで、ハンマーヘッドクレーンとも呼ばれるもので、世界に10台しか現存しないそうです。
この起重機は1913年から稼働しており、既に100年以上動いていることになります。国登録有形文化財にも指定されていて、まさに遺産ですね。

そして造船ドックを始めとする港湾施設を堪能…





サビサビサイコー!!!

写真を取りまくっていると、なんとガンダムトレーラーがっ!

密かにV作戦が進行しているのだと確信しました(笑)

そして佐世保まちある記最後を飾るのは弓張岳。
こちらには高射砲陣地跡があります。


↑の1枚目が高射砲設置跡、2枚目が電探(レーダー)設置跡です。
ちなみにここに設置されていた電探は41号。当時の最新鋭機で、国内で初めてここに設置されたものだそうです。
以前、舞鶴で見た陣地跡は日露戦争でのロシア艦船に向けたものでしたが、ここ佐世保は太平洋戦争末期のB29に向けたもの。
また舞鶴の陣地はあまり観光地化されない状態を維持していますが、佐世保の陣地は公園内に誰でも見て触れる状態とされていました。
公園内には展望台も設置されており、そこからは佐世保港の立神係留地(250tクレーンのあるところ)や九十九島などが一望できます。


こうして佐世保まちある記は終了。
午前はスタンプポイントを巡り、午後からは自由にまちを楽しむ。
灼熱の真夏の日差しの下、心地よい疲労感と充実感に包まれながら宿へと車を走らせました(*^^*)

4都市まちある記してみての総括は、別途ブログを立てようと思っています。
期待せずにお待ち下さいね。


※↑に載せたモノ以外の写真は以下を御覧ください。
佐世保市(針尾送信所、無窮洞、東山海軍墓地)
佐世保市(旧鎮守府凱旋記念館、まちなみ、弓張岳砲台跡)
Posted at 2019/08/07 21:56:42 | コメント(3) | ダークツーリズム | 旅行/地域

プロフィール

「重巡鳥海の製作(煙突の工作その1) http://cvw.jp/b/488285/48625038/
何シテル?   08/29 07:11
模型工作とキャンプが大好きなヘタレをやぢです。 私がフォローする方には2種類あります。 一つは「以前からのみん友さん」 もう一つは「ちょっと興味を持っ...
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