まちある記シリーズ、今回は三重県です。
まず訪れたのが松阪市飯高町。
この近くは伊勢国と紀伊の国を結ぶ和歌山街道が走っており、お伊勢参りをする紀州の人と海産物を運ぶ伊勢の人が行き来する重要なルートです。
現在の街道はこんな感じ↓
その途中には珍布峠(めずらしとうげ)があります。

こちらは天照大神と天児屋根命がここでバッタリ会われ「おお、めずらしや」と言われたことから「めずらし峠」と呼ばれるようになったと言われているとのこと。
何が珍しいかと言えば、昼間でも暗いこと。
この日は晴天でしたが、確かにこのあたりは薄暗くなっていました。
峠を抜けるとこんな景色が↓

心洗われます…。
さらに進むと礫石(つぶていし)が見られます。

櫛田川の中央にある石がそれ。
昔、天照大神(あまてらすおおみかみ)と天児屋根命(あまのこやねのみこと)が両国の国境を決める時、天照大神が巨石を川に投げ入れて、国境を決めたという伝説に基づいているそうです。
さらに進むと櫛田川のほとりに「姿見の池」があります。

ここは倭姫命(やまとひめのみこと)が伊勢巡幸の際に、自分の姿を映して化粧をしたといわれる池なのだとか。
そう言われてみると、池の形が手鏡にも見えます。
道中にはいくつかの民家もありましたが、その多くの玄関には締め飾りがありました。このあたり出身の友だちに聞いたところでは、年中飾っており、年に一回取り替えるのだそうです。さすが伊勢神宮の地元、生活に一部に神がおわすようです。
さてウォーキング午前の部の最後は戦国時代から。
伊勢を代表する戦国大名と言えば北畠氏。
南北朝時代の南朝の中心的存在で、その系譜は戦国時代まで続きました。
戦国時代の大名は第8代当主・北畠具教。塚原卜伝、上泉信綱、柳生宗厳などと親交を持つ剣豪としても知られており、具教の時代に北畠氏最大の版図を築いた有能な君主です。
しかし信長の伊勢侵攻に伴って暗殺されます。
R166から15分程度山登りしたところにその首塚があります。

一般的には↑が首塚とされていますが、実はその後ろに…

小さな石積みですが、しっかりと苔むした姿は当時のものではないかという妄想を掻き立てるに十分な風情です。
このあと訪れたのは泰運寺。
こちらは八角梵鐘で有名です。
さらに黒瀧神社。
こちらには神木として「夫婦杉」があります。

根本に手を当てて、我が夫婦の永劫の幸せを祈ってきました。
そして蓮(はちす)ダム。

ちょうど放流中で豪快な姿を見ることが出来ました♪
さらに午後は波瀬のまちある記。
和歌山街道は参勤交代のルートでもあり、ここ波瀬が宿場町として栄えたそうです。現在は本陣跡などが残っています。
まちなみも立派ですが、昔懐かしい丸ポストにも萌えます。
↓は宅地と宅地の間を走る小径。

こんなところに「地元」とか「地域」を感じますね。
こうして楽しいまちあるきは終了し、浦谷オートキャンプ場へ向かいます。
今回の夕飯のイチオシはジブリ飯「カリオストロスパゲッティ」です。

肉団子をトマトソースで炒め、早ゆでのサラスパと混ぜ合わせて完成!
調理時間ものの数分ですが、激ウマでした♪
そして夜中には私の上下左右360度を蛍の光が取り囲みます。
デジイチと三脚を持っていって、準備万端だったのですが、うまく撮れませんでしたorz
でも心のメモにはしっかりとメモっておきました。
ということで盛りだくさんの一日目終了。
2日目に続きます。
※一日目撮影分はこちらのフォトアルバムを↓
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飯高町まちある記
Posted at 2019/06/18 23:57:19 | |
まちあるき | 旅行/地域