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2024年02月14日 イイね!

愛知県内戦跡巡り(知多半島編)

愛知県の知多半島に散在する戦跡めぐりもしてきました。
まず訪れたのは半田市。
ここには赤レンガ倉庫があります。



戦時中は中島飛行機の衣糧倉庫だったそうです。
外壁にはこんな破損部が。

これは昭和20年の空襲時に米軍戦闘機P51の機銃掃射を受けたものだそうです。
建物は住宅展示場の一角で物販と飲食の店舗として使われていますが、戦後はカブトビールの工場として利用され、復刻版のビールも売ってました。

戦争の遺物もこうした平和利用をしながら戦争を伝えているんですね。

ここから少し東には旧中島飛行機半田製作所の滑走路がありました。
当時の写真と比較してみます。

それぞれの右上にあります。GoogleMapでは緑色の旗が立っている場所です。
現在、その痕跡は全く残っておらず、広い平地に古い住宅や田畑が広がっていますが、当時はこのあたりに兵舎や工場などが立ち並んでいたのでしょう。


更に南下した先には河和海軍航空隊の跡地があります。
ここは前回ブログで記載したように、水上機の搭乗員や整備兵の養成所でした。
現在でも海へ伸びるスロープが3箇所残っています。
第2と第3は東向きで、第2は幅数百mもあり、国内最大規模なのだそうです。


北向きに設置された第1は下に降りられます。


浸食によりかなり破損していますが、形はまだ十分に残っています。
終戦間際にはここでも特攻兵が養成されたようです。悲しい歴史ですね。

そして最後に行ったのは師崎。知多半島の先端です。ここにはお城もあったのですが、駐車場が満車で入れずorz
少し引き返した所に、特攻専用モーターボート震洋の格納庫が残っています。


金網が設置されていて中には入れないので、腕だけ伸ばして内部を撮影。


震洋は木製で、船首に大量の爆薬を積み込み、そのまま敵艦に突っ込むというもの。突入までに撃沈されることは誰の目にも明らかですが、当時の軍部はそういう常識的な発想が出来ないほど狂っていたのでしょう。
ここには説明板などもなく、薮に覆われているので道路脇ではありながら人目にも付きづらいです。

いつも思うことですが、こうした戦争の遺産はきちんと保存し、後世の私たちが戦争について考える機会を作るというのは大切なことだと思います。
お金や手間ひまがかかるのは分かりますが、なくなってしまう前に保存されるといいのですが…。

さてその後はキャンプ場へ。
今回は半田市内にあるとあるキャンプ場で、いつものようにまったり過ごしました。





場内には梅もちらほら。
そうだ、次回は梅キャンプにでも行こうかな~♪
Posted at 2024/02/14 22:43:15 | コメント(1) | ダークツーリズム | 旅行/地域
2024年02月14日 イイね!

愛知県内戦跡巡り(岡崎の戦艦長門編)

今年のキャンプは例年よりペースが早く、既に6回目を数えます。ペースが上がると高速代やガソリン代もバカになりませんが、愛知県内なら近いし、場所によっては下道でも行けます。
ということで、道中はいつもの城跡めぐりに加え、戦跡めぐりもしてきました。
まずは岡崎市の東公園。
ここにはなんと戦艦長門の副錨が置かれています。




その脇には日清戦争で活躍した「三景艦」の主砲弾も置かれていました。

建てられている説明板では、長門の副錨はビキニ原爆実験時の遺品と書かれていますが、昭和9年の大改装時に撤去した右舷艦首のものという説もあるようです。
ビキニでの長門は最初の爆撃ではビクともしなかったため、どうしても沈めたい米軍によって機雷を装着されました。それでも2度目の爆撃(一回目より爆心地に近かった)後、まだ浮いていたそうですが、4日後に沈みました。
この状況で副錨を持ち帰ろうとすると、ビキニ回航前に外しておくか、沈没後に引き揚げるかのいずれかと思われますが、どちらもあまり現実的とは思われません。
とすると、やはり大改装時の撤去?
このあたりは新たな証拠が出てくるのを待ちましょう。

しかしなぜ海の無い岡崎に長門?
これには岡崎に海軍航空隊が置かれていたからという説もあるそうです。
ちなみに岡崎空は主に航空機整備兵の養成を行っていました。岡崎は設立がミッドウェー敗戦後で、その前身は同じ愛知県内の河和海軍航空隊。河和では水上機を扱い、その整備兵に加え搭乗員も養成していました。
Wikiによれば二式水戦や強風などが配備され、B29を墜としたこともあるとか。
●二式水戦

●強風

ここから先は根拠の無い推測。
河和から分派された岡崎も水上機整備要員を養成していたと思われます。
時は戦争終盤。人材不足の海軍は航空隊の教官をフネに乗せるようになり、岡崎の教官は長門に乗り組むことに。
そして終戦。
その教官が戦後、防衛省に勤めることとなり、思い出の長門の副錨が保管されていると知り、その人の力により地元・岡崎へ譲ることになった…なーんて。
事実は関係者に聞いてみないと分かりませんね。

文章も長くなってきたので、続きは次のブログで。
Posted at 2024/02/14 22:02:22 | コメント(2) | ダークツーリズム | 旅行/地域

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「重巡鳥海の製作(船体の修正その4) http://cvw.jp/b/488285/48472648/
何シテル?   06/07 13:55
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