愛知県の知多半島に散在する戦跡めぐりもしてきました。
まず訪れたのは半田市。
ここには赤レンガ倉庫があります。

戦時中は中島飛行機の衣糧倉庫だったそうです。
外壁にはこんな破損部が。

これは昭和20年の空襲時に米軍戦闘機P51の機銃掃射を受けたものだそうです。
建物は住宅展示場の一角で物販と飲食の店舗として使われていますが、戦後はカブトビールの工場として利用され、復刻版のビールも売ってました。

戦争の遺物もこうした平和利用をしながら戦争を伝えているんですね。
ここから少し東には旧中島飛行機半田製作所の滑走路がありました。
当時の写真と比較してみます。

それぞれの右上にあります。GoogleMapでは緑色の旗が立っている場所です。
現在、その痕跡は全く残っておらず、広い平地に古い住宅や田畑が広がっていますが、当時はこのあたりに兵舎や工場などが立ち並んでいたのでしょう。
更に南下した先には河和海軍航空隊の跡地があります。
ここは前回ブログで記載したように、水上機の搭乗員や整備兵の養成所でした。
現在でも海へ伸びるスロープが3箇所残っています。
第2と第3は東向きで、第2は幅数百mもあり、国内最大規模なのだそうです。

北向きに設置された第1は下に降りられます。

浸食によりかなり破損していますが、形はまだ十分に残っています。
終戦間際にはここでも特攻兵が養成されたようです。悲しい歴史ですね。
そして最後に行ったのは師崎。知多半島の先端です。ここにはお城もあったのですが、駐車場が満車で入れずorz
少し引き返した所に、特攻専用モーターボート震洋の格納庫が残っています。
金網が設置されていて中には入れないので、腕だけ伸ばして内部を撮影。
震洋は木製で、船首に大量の爆薬を積み込み、そのまま敵艦に突っ込むというもの。突入までに撃沈されることは誰の目にも明らかですが、当時の軍部はそういう常識的な発想が出来ないほど狂っていたのでしょう。
ここには説明板などもなく、薮に覆われているので道路脇ではありながら人目にも付きづらいです。
いつも思うことですが、こうした戦争の遺産はきちんと保存し、後世の私たちが戦争について考える機会を作るというのは大切なことだと思います。
お金や手間ひまがかかるのは分かりますが、なくなってしまう前に保存されるといいのですが…。
さてその後はキャンプ場へ。
今回は半田市内にあるとあるキャンプ場で、いつものようにまったり過ごしました。
場内には梅もちらほら。
そうだ、次回は梅キャンプにでも行こうかな~♪
Posted at 2024/02/14 22:43:15 | |
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