少し前のブログで触れたように、2022年10月の四国旅行で訪れた場所のひとつです。
宿毛市は高知県の最西端に位置する自治体で、宿毛泊地を支える基地施設は宇須々木という小さな集落に建設されました。
当時ここは旧日本海軍艦船の泊地として利用された場所だったので、四国に行く機会があれば是非とも訪れたいと思っていた場所でした。
旧海軍の一大根拠地と言えば、言わずと知れた広島県呉。しかし太平洋から呉に入ろうとすると豊後水道を抜けて瀬戸内海へ入っていく必要があります。このためより外洋に近い宿毛は便利な場所であり、昭和初期から海軍の泊地として使われ始めたそうです。
大正頃から艦船の大型化が進んでいたため、瀬戸内まで入っていくのは大変だったろうことや、呉までの行程で艦船の動きや形状(各種装備の変更状況等を含む)がスパイに察知されることを防ぐ必要性などからも、外海近くに停泊するメリットはあったと思われます。
また宿毛沖は呉で建造・竣工した艦船の公試運転が行われていました。戦艦大和もそのうちの1隻。

実は公試運転を瀬戸内海でなく宿毛で行っていたのは外海ゆえの波の高さもあったそうです。
荒々しく波を蹴立てて疾走する様は艦船の勇壮さを引き立てるのに絶好だったということでしょう。
↑の写真(1941年10月20日)はまさにそういうシーン。
ただ逆に言えば波が荒い=造波抵抗が大きいということだと思われるので、最高速力が少し低めに出ていた可能性はあります。
事実戦艦大和は凪いだ海なら30ノット(公試運転時の記録は27.46ノット)は出せたという証言が複数残っているそうです。
大和に関しては、米最新鋭戦艦アイオワ級との優劣が議論されますが、その際の大和のマイナス要素として速力がアイオワ級(33ノット)より遅いことが挙げられます。46cm主砲でアウトレンジ攻撃出来たとしても優速なアイオワ級の方が有利であるとの意見です。
しかし大和の速力が30ノットだとしたらその差は大きくないので、速力以外の要素で比較検討すべきことになると思います。
閑話休題。
宿毛基地は機密保持がかなり厳格だったようで、当時の建物配置などの資料はなかなか見つかりません。かろうじて見つけたのがこちら。
作図時期もはっきりしませんが、かなり参考になります。
これを見る限り基地のエリアはさほど広くはなかったように見えますが、実際には士官や水兵たちの上陸時対応施設や、艦船への油、水、食料、弾薬など様々な補給のための施設などが必要なはずなので、資料には明示されていない施設が相当数あったのではないかと推察します。
以上で確認した情報を参考にしながら現地について触れていきます。
現地には宇須々木公民館が設置されており、敷地内には説明板が立てられています。

そこに掲示されている当時の写真がこちら。

概ね先程の図のとおりの施設が並んでいます。公民館の場所には があったようですが、現在は取り壊されており、礎石の痕跡なども確認出来ませんでした。
文章も長くなってきたので続きは次回。
Posted at 2022/11/06 16:37:28 | |
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