明治航空基地を後にして向かったのは愛知県安城市にある本證寺(ほんしょうじ)。
ここは今放送中の大河ドラマ「どうする家康」の初めの頃に出てきたお寺で、三河一向一揆の拠点のひとつです。
境内に入るとすぐのところにこんなテントが。

期間限定で「あんじょう家康ガイド」というもので、ガイドボランティアの方が無料で解説をしてくださいます。
早速お願いして案内してもらいました。

こちらは経蔵。
1600年代頃に作られたものとのこと。

この鐘楼は屋根を支える柱が4本でなく12本あります。これは格式の高いお寺の証左なのだとか。
こちらも江戸時代に入ってから建てられたものなのだそうです。

左に見える太鼓櫓は、2階に太鼓があって時を知らせ、1階は茶室になっていて来客をもてなしたのだそうです。これも格式の高いお寺ならではの施設。
本堂の中にも入れてもらいました。
中央に鎮座する仏様は近江国(滋賀県)水田の加藤氏が寄進したものだとか。ちなみに加藤氏の一族に賤ヶ岳七本槍の1人・加藤嘉明がいます。
その後ろには本證寺を開基した僧の木像がありました。細かい説明は忘れましたが、年代測定等の結果から同僧の生まれ年は1200年代だろうとのことでした。大変歴史のあるお寺なんですね。
境内の周囲は内堀と外堀に囲まれています。

当時は深さ6mくらいあり、かなり大規模だったようです。しかも外堀と内堀の間が寺内町となっており、その広さは2万坪!東京ドームより遥かに広い面積です。

これはお城で言うところの「総構え」で、長期の籠城に耐えられる作りです。
大河ドラマではこの寺での戦いが描写されましたが、実際は無かったそうです。ドラマでは本證寺の僧兵が撃った鉄砲玉が家康に当たっていますが、実際は別のお寺なのだそうです(宮城谷昌光氏の小説が根拠とのこと)。
ただ数年前に外堀すぐ外側で当時の鉄砲玉が見つかったそうです。
ガイドボランティアの方の説明は大変分かりやすく、勉強になりました。やはり見るだけよりも遥かに深まりますね。
そしてブログタイトル。
ドラマの家康は戦なき世を作りたいと考えています(石田三成には「お前こそが戦を求むる者だ」と言われてしまいますが)。
史実では、その功罪は別として家康が開いた江戸幕府がその後400年の長きに渡る太平の世を作り出しました。
これが実現出来たのは島国であることと鎖国政策を行ったことが大きな要因と思えます。
そして現代。
ロシアVSウクライナ、ハマスVSイスラエルなど、世界に戦争が尽きることはありません。
中国は周辺国の領海にある島々を自国のものと主張しています。
そして旧ドイツの開発したV2ロケットを端緒とする大陸間弾道弾は国同士の距離を大幅に縮めました。今や島国とか鎖国では国の安寧を確保できません。
ではどうするのか。
政治的に争いを解決するのが筋ですが、それでもなお…という時には結局戦うしかないのではないでしょうか。
イヤだけど。
時々報道されますが、他国に比べて日本人は自国のために戦うという人が非常に少ないです。
しかし本当に戦わないと、好き放題蹂躙され、民族は散り散りとなり、国は滅びます。
明治航空基地で訓練し戦場に行った人たちも、戦いたいとは思っていないはず。それでもなお軍で訓練を受け戦地に赴いたのは何故か。
やはり愛する人たちを守りたかったからではないかと。
私は既に戦場で先頭に立って戦う年齢ではないと思いますが、他国に逃げる=自国を見捨てるという選択はしないような気がします。
その時にならないと分かりませんが…。
さてそんな難しいことを考えながらキャンプ場到着。
この日は爆風だったので、テントの前室を閉めその中で過ごしました。

晩酌は日本酒の緑茶割り。
初めてやってみましたが、なかなかイケます!
21時頃に空を見上げるとすばる、オリオン、ふたご座、そして冬の大三角などの冬の星座たちが確認できました♪
やっぱりキャンプは楽しいなぁ。
こうして適度に自分をリセットするのって大切ですね(^ ^)
★フォトアルバム:
本證寺(愛知県安城市)
Posted at 2023/12/05 21:33:58 | |
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