昨年4月から製作を開始して、延べ11ヶ月。自分史上最長期間を経て自分史上初の「戦わないフネのジオラマ」が漸く、やっと、遂に完成しました。その故もあって、かなりの長文です(笑)
ではご覧下さい。
時は終戦直後の1945年。
長く続いた戦争などにより当時の日本人の栄養状態はかなり酷く、これを改善することも含めた捕鯨再開が検討されました。
しかし、そのためのフネがない。
戦争中は民間船の多くが軍に徴用され、そして撃沈されたので、捕鯨のためのフネは残っていません。
そこで目を付けられたのが一等輸送艦。艦尾スロープはクジラを引き上げるのに適していると考えられました。その最初のフネが第19号輸送艦です。
戦後、復員輸送艦として運用するため主砲や機銃は勿論、13号対空電探なども含めた武装解除を行うとともに復員兵のための居住スペースが設置されましたが、その業務終了後の1945年12月から捕鯨母船になるための改装が施され、2月に捕鯨船(キャッチャーボート)2隻、本土への輸送船7隻と共に総勢10隻の船団が組まれ小笠原諸島沖へ出港しました。
ジオラマの舞台はこの時の1946年4月中旬頃=操業終盤です。当時の船員の日記からは、海が相当荒れていたようなので、波は少々高めに作ってあります。
19号は、艦橋前の主砲を撤去したため船体前半の乾舷が大きくなった状態で浮かべてあります。
この頃には航海用に残された22号電探は暴風により破壊され、中央機銃台にあった探照灯は操業中に艦橋頂部へ移設されています。
中央機銃台上には復員船時代に設置された木造建屋がありました。その後部左舷側には鯨油を採取するためのプレスボイラーが設置されていました。また後部船艙は乗組員の居住スペースとして活用されていたので、既設ハッチの代わりに出入口を設置しました。

艦中央付近の甲板は木張りとなっていますが、これは機関室からの熱で鯨肉が腐敗しないようにするために施されたものです。
艦尾スロープには引き上げられて解体中のマッコウクジラを再現しました。スロープに設けられた左右のエプロン(板張り部両側の壁)のうち左舷側は破損により撤去された状態です。

乗組員によって皮を切断され血を流している様を表現する時は、少々心が痛みました…。
クジラの前方には解体後のクジラの一部を散在させてあります。

肉の色表現には苦労しましたが、なかなかいい感じに仕上がったと思います♪
捕鯨船(キャッチャーボート)の文丸は、幸いにも残っている図面を基にしながらのフルスクラッチです。文丸の写真はほとんど残っていませんが、同型と思われる船からディテールを推定しました。
独特な形状の船首再現は新鮮な経験でした。甲板には実船写真を参考にウインドラスなどを設置し、船首楼甲板後端には伸ばしランナー製のアンカーを置きました。

前マスト周辺も同型船を参考に、極力それらしくディテールを追加していますが、マスト周辺にあるボラードの配置は軍艦などには見られないもので、マスト直後の捕鯨用ウインチも特殊な形状なので、楽しみながら製作することが出来ました。
ブリッジや煙突付近も図面や写真を参考に極力忠実な再現に努めました。

焼き玉エンジンから吐き出される黒鉛は0.55mm針金の軸に着色した綿を付けて表現していますが、空中線アンテナを潜り抜けさせるのに少し苦労しました。また船尾旗竿にはSCAJAP旗を掲げています。船員たちには屈辱的だったかもしれませんね…。
文丸の周囲には捕獲したクジラを繋留しています。

これらも実際の捕鯨船の写真を参考に再現しました。写真では分かりづらいですが、小さな背びれや皮膚のシワも表現してあります。
19号輸送艦の隣には出航し始めた輸送船・第35播州丸を配置しました。これもフルスクラッチです。
35播州の写真は、当初は横から撮った遠景が1枚のみでしたが、F様と一緒に調べていくうちに何枚かの写真が発見され、かなりディテールが分かるようになりました。図面こそ発見できませんでしたが、その姿はそれなりに再現できたのではないかと思います。
船首から船倉甲板あたりはディテールの分かる写真が見つかったので、それを基に再現しています。
右舷アンカーは引き上げ中を再現しました。実際の作業ではアンカーについた泥を洗い落とすためホースパイプから水を流しますが、今回はそこまでの再現は行っていません。

船体のフレアはもう少し強めに出すべきでしたが、その角度が分かる写真が見つかる前に作ってしまったので、少々甘いです。
ブリッジは比較的鮮明な写真が見つかったので、それを基にしていますが、ブリッジ屋根上に何がどう配置されていたかは不明なので、「船体各部名称図」のイラストを参考にしました。

煙突以降の甲板上の配置は遠くから撮ったほぼ真横からの写真1枚のみしか資料が無く、塗装も含めてほとんどが推定ですが、民間船舶らしい形になったのではないかと思っています。
煙突から吐き出される煙は文丸のものより低いですが、これはフネがまだ動き出して間もないことを表現したつもりです。
こちらにも船尾旗竿にSCAJAP旗を掲げました。
付近の海面にはホオジロザメの背びれを置きました。実際の現場でもクジラの血の匂いを嗅ぎつけてサメが多く寄ってきたようです。
【製作後の感想】
一等輸送艦はオルモック輸送時の第9号の製作経験が活かせたので基本的な部分は比較的順調に進捗しましたが、鮮明な実艦写真がほとんどないため、捕鯨母船としての艤装の解明はなかなか困難でした。そうした中でもF様から提供される資料は大変参考になり、概ねF様のイメージする姿を再現できたと思います。
1/700マッコウクジラは石粉粘土で作りましたが、まずまずの形で再現できた気がします。艦尾スロープに横たわったクジラは甲板との間に粘土を追加して隙間が生じないようにしたり、文丸に引っ張らせるクジラや19号甲板上の切断された鯨肉は全体を作ったのちに必要な部分を削り取って作りましたが、何と言っても苦労したのは肉の色でした。
プラカラーの調色を苦手としているので既存の色を使いつつ、どうリアルに表現するかは何度も試行錯誤を重ねました。結果的にはよい色になったと感じています。少し前に作ったカスモサウルスのジオラマの時にも思いましたが、無機物ばかり作っていたところで動物を作ると少し新鮮な気分が味わえて楽しいですね。
文丸や第35播州丸は自身初の民間船製作でしたが、それぞれに独特の船体形状だったり艤装だったりするので、その研究過程も含めて楽しかったです。
製作の最後は煙突からの煙でしたが、単に高さを稼ぐためという目的だったものの、実際に作ってみると想像以上によい印象となったため、お気に入りポイントの一つになりました。
最後にどうしても語っておきたいのはF様のご協力。
非常に大量かつ多岐にわたる資料提供をいただくとともに、製作中も随時意見交換・情報交換をさせていただき、非常に有意義なモデリングとなりました。F様の考証や研究は大変深いものがあり、疑問を尋ねると殆どが即答で資料とともに帰ってくるという驚きの連続でした。そんな中でも私の考証がF様の気付きに繋がった部分もあったのは嬉しかったです。
F様は以前に「鯨追う艦」という同人誌を発行されていますが、その後の研究結果を踏まえてまとめ直したものを来冬のコミケで販売する計画だそうです。今回の私の作品は近いうちにF様にお渡しする予定ですが、そのコミケで飾っていただけるとのこと。
こんなに嬉しいことはない!
今回のジオラマ製作は一粒で何度でもおいしい、良い経験となりました♪
【製作記録】
第19号輸送艦(捕鯨母船)の製作(イントロ編)
第19号輸送艦(捕鯨母船)の製作(船体工作の続き)
第19号輸送艦(捕鯨母船)の製作(艦橋・機銃台等の製作その1)
第19号輸送艦(捕鯨母船)の製作(艦橋の製作その2)
第19号輸送艦(捕鯨母船)の製作(煙突などの製作)
第19号輸送艦(捕鯨母船)の製作(船体の塗装など)
第19号輸送艦(捕鯨母船)の製作(フェンダーの設置)
第19号輸送艦(捕鯨母船)の製作(木製装備品の製作)
第19号輸送艦(捕鯨母船)の製作(各種艤装品の製作)
第19号輸送艦(捕鯨母船)の製作(捕鯨船・文丸の製作)
第19号輸送艦(捕鯨母船)の製作(捕鯨船・文丸の製作その2)
第19号輸送艦(捕鯨母船)の製作(艦番号の表記など)
第19号輸送艦(捕鯨母船)の製作(甲板の処理)
第19号輸送艦(捕鯨母船)の製作(ブリッジと船首の製作)
第19号輸送艦(捕鯨母船)の製作(ブリッジなどの製作)
第19号輸送艦(捕鯨母船)の製作(ジオラマベースの製作)
第19号輸送艦(捕鯨母船)の製作(ウェザリング塗装など)
第19号輸送艦(捕鯨母船)の製作(マッコウクジラの製作)
第19号輸送艦(捕鯨母船)の製作(各船の艤装)
第19号輸送艦(捕鯨母船)の製作(仕上げ作業)
Posted at 2025/02/22 15:48:45 | |
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