• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

ザクとは違うのブログ一覧

2025年04月29日 イイね!

重巡鳥海の製作(船体の修正その3)

船体のアウトラインが出せたので、次に舷側外板の段差表現を行います。
鳥海にはミジップの詳細が分かる写真が残っており、それにはっきり写っています。



しかし艦首及び艦尾付近はそうした確認が出来る写真が残っていないので、シコルスキー氏の「重巡高雄図面集」の側面図に示されたラインを参考にしながら、マスキングを行いました。

直線部は紙製、曲線部はタミヤの曲線用マスキングテープを使っています。

そしてサフを数回塗り重ね、マスキング剥がしの儀…

ん~、ちょっと違う…
このあと舷窓を開口しますが、その位置とうまく合わない気がします。
サフの山を削ってもう一度マスキングし直すか…とかなり悩みましたが、あの面倒な作業をもう一度やらなければならない苦行感に堪えられそうにないのと、そんなことをしていると何時までも完成しないのではないかという怖れを抱くとともに、綺麗に仕上がったとしてもその部分に目が行く人はそう多くないだろうという安易な気持ちから、再施工を取りやめ、サフの山を削っておしまいにしました(笑)

そして舷窓の開口。
まずは位置のチェックから始めます。
鳥海の場合、新造時から沈没までの間、舷窓を閉塞していないので、新造時のままを表現することになります。
幸いにもその位置が「真・総ざらい2高雄型重巡洋艦編」に図面として載っており、これと実艦の写真を見比べながら特定していくこととしました。



チェックの結果、左舷の一部に微妙な違いは認められるものの、総ざらい図面の位置でほぼ大丈夫ということが判明。これを基にまずは鉛筆で開口箇所をプロットします。


舷窓を一直線に並べるため、鉛筆プロットに沿ってスジボリ用ガイドテープを貼り…


鉛筆プロットの点に、まち針の先で小穴を開けます。




これらの修業を乗り越え、ようやく舷窓がすべて開口されました。


そして0.4mmドリルで一つ一つ開口。
これまで私の艦船制作は終戦間際の小艦艇が中心だったので、このように多くの舷窓が整然と並ぶ姿を再現したのは初めてでした。改めて見てみるとちょっと萌えますね♪

冒頭にあげたミジップの写真には舷側に変形六角形の装甲板が付いていることを確認できます。

「?」と表示した箇所はこの写真では六角形板の確認が出来ませんが、シコルスキー図面には示されています。
この板は船体の強度を上げるためのものだと思われますが、鳥海のここだけその板が無いと考えるのは合理的でないと思われるので、「ある」と判断しました。

シコルスキー図面では六角形の下に伸びる縦長の細い板もあると示されていますが、鳥海の写真ではそれが見当たらないので、六角形のみ再現することとします。
そしてプラペーパーを3.6×1.0mmのサイズで12枚切り出しました。


次は舷外電路を設置予定。
まだまだ地味な船体工作は続きます…。
Posted at 2025/04/29 09:16:08 | コメント(2) | 艦船模型 | 趣味
2025年04月26日 イイね!

ろうがんず杯2025初参加

ろうがんず杯2025初参加「ろうがんず」と言えば、俳優・石坂浩二さんが会長をやっておられる模型製作の同好会。ろうがんずでは毎年1回作品コンテストが行われますが、その名が「ろうがんず杯」。
既に9回開催され、今年が節目の10回目。過去には多くの凄腕モデラ―が参加し、上位入賞者にはプロモデラーがずらりと並ぶ一大イベントです。

だいぶ前にこうしたコンテストに数回程度出品したことはありますが、そこで思ったのは「選ばれた選ばれなかったで一喜一憂することに意味はない」ということ。コンテストには入賞作品を選ぶ選者がいて、その人の趣味に合う作品が入賞します。でも入賞したいがために自分の作風をそれに合わせるようなことはしたくない。選者がどのような方であれ、私の作品が入賞するとは思っていませんが、以後はコンテストには出さないと決めて「いました」。

そう、「過去形」なのです。

思い直すようになったきっかけは、吉本プラモデル部主催の「模コン」やToyラジ主催の「スケールモデル祭り」。
前者はコンテスト形式、後者は注目作品のピックアップ形式なので、「選ぶ」ことになっていますが、いずれも僅か数百点程度の応募数です。
少ない…。
模型趣味が絶滅危惧種であることは既に言い尽くされており、中でもスケールモデラ―は希少種、さらにその中でも艦船モデラ―は極めて少数です。でもこのまま絶滅していくのは寂しい…。
ならばこうしたイベントが少しでも盛り上がった方がよいのでは?
そのためにはまず「参加する」ことが大切なのではないか、と考えました。

ということで、ろうがんず杯作品募集を知って早速応募。
写真による一次審査があるので、当然そこで落とされると想定していましたが、それでも総応募点数が「1」増えます(笑)
その後3月19日、事務局よりメールが届き、なんと1次審査通過!
そして通過者全員本会場へ作品を持ち込むように、と。
驚きと戸惑いと興奮が入り混じった複雑な気持ちでした(笑)

いよいよ当日。
10時の開場直後に入ると既に多くの人が作品を並べていました。


その片隅に私も設置。
作品は例の捕鯨船団ジオラマです。



すぐ隣には巨大な輸送機ジオラマが。

大スケールで大迫力です。私の小さな作品は霞んでしまいます…(笑)

その他の作品も見て回りました。









どの作品も超絶技巧が尽くされた絶品ばかり。こんな傑作揃いの中で、よく私の作品が選ばれたものだと改めて痛感し、少し恥ずかしい気持ちになりました。
作品を見て回る中では作者との会話も楽しみました。



この作者とは割と長く話し込みました。
まず作品を見て感じたのは、水上機とカモメの取り合わせの絶妙さ。
無機物を中心に据えつつ、動物がそこに加わると一気に和やかな雰囲気になります。
なぜこのような場面設定としたのか尋ねましたが、似たような情景の写真が残っていたので参考にしたとのことでした。カモメは3Dプリンター製品だそうですが、製品輸送中に足や首などが折れてしまったものがあり、10数羽配置するため10羽セット×2を購入したそうです。
他の作品もそうですが、やはり飛行機モデラ―さんたちは塗装技術が素晴らしいです。この作者曰く「飛行機は凹凸が少なく大きな面積があるので、塗装でメリハリを付けないと寂しいものになってしまうから、塗装技術を磨くのではないか」といった趣旨のことを仰っていました。

また、とある戦車をモチーフにした作品では素晴らしく綺麗なウェザリング(笑)が施されていました。作者とお話をする中で「最近は有機溶剤臭が気になって…」と言うとその方も「私も気にしているので、最近はアクリルガッシュを多用しています。ウェザリングもクレオスから水性のものが出ていますよ」と教えてくださいました。

他にもたくさんの方と色々なお話ができ、多くの刺激を受けることが出来ました。
そして石坂さんと松井さんのトークショーを経て、いよいよ表彰式。

まずは佳作から発表されます。大きなスクリーンに作品画像が表示されるたびにモデラ―たちから「おーっ」というため息とも驚きとも取れる声がもれます。佳作は10人でしたが、ほとんどがプロの方。え、まだ佳作ですけど?
そしてハヅキ賞などが発表され、最後に大賞。
大賞を取った作品は先ほどのコレ↓でした。

発表の瞬間、場内からは「おーっ」という感嘆というかどよめきのような声が全体から上がりました。皆さん納得の大賞受賞だったのでしょう。
私が長く話し込んだ人の作品が選ばれたことには、自分のことのように嬉しくなりました。

その後、ろうがんずメンバーイチオシ作品へ、メンバーの秘蔵キットが渡されました。
でもステージにはまだまだたくさんのキットが残っています。
松井さん「それではこれから会場の全員の方を対象に大抽選会を行います!」
再び「おーっ!」という大歓声。
機械抽選でエントリーナンバーが一人ずつ呼ばれ、貴重なキットが渡されます。
その中になななんとオオゴシトモエさんの姿が!
ちゃっかり貴重なキットをゲットされていました(笑)

こうして楽しい楽しいろうがんず杯2025は終了。
来年は通算11回目ですが、その間、コロナで1回中止となっているので、来年が真の10回目になるのだそうです。そしてそれを記念して特別なろうがんず杯が開催されるのだとか。同席したスポンサーのHazuki Company株式会社の社長さんも全力で応援しますと宣言されていました。

改めて振り返ると、会場に持ち込まれた作品はどれもスーパー超絶技術がふんだんに盛り込まれたものばかりで、約150作品をじっくり見るには数日程度の時間が必要ではないかと感じました。
そんな中に私の作品を置かせていただくことが出来たのは大変光栄なことであり、非常に良い思い出となりました。
現地での時間はあまりにも短く感じましたが、それ以上に濃密で有意義な時間でもありました。
また良い作品を作ることが出来たら、ダメ元で来年も出してみようかな。
いや、見に行くだけでも十分価値がありますね♪

当日に撮影した写真は以下のフォトアルバムに収めました。
ろうがんず杯2025(その1)
ろうがんず杯2025(その2)
Posted at 2025/04/26 20:49:32 | コメント(4) | もろもろ | 趣味
2025年04月26日 イイね!

ろうがんず杯前の城攻め(小田原城&温泉編)

無事、石垣山城を攻略したので、次はいよいよ小田原城です。
お城と言うと多くの方は立派な天守閣とその周囲の本丸や水堀を思い浮かべるのではないかと思います。小田原城もそのような場所が公園となっていて自由に出入りできるようになっています。
しかしこの城の最大の特徴は「総構え」です。
総構えとは、城の施設の周囲を取り囲む町並みや農地など全体を堀や塀などで取り囲んでしまうという作り方。こうすることで、長期の篭城戦に耐えられるようになります。

まずはその外郭部分の堀を攻めてみます。
本丸から北西方向へ1kmちょっと行ったところにある観光用駐車場に停めて、見学開始。
すぐ近くに小峯御鐘の台大堀切があります。


これはすごい…。
現在の高さは7~8mくらいですが、これは400年以上の歳月の風雨で堀底が埋まってしまった結果で、当時は10m以上の高低差があったそうです。
しかも関東ローム層は粘土質なので、45°以上の急斜面は滑りやすく登りづらい。更には堀底にワッフル状の構造物・いわゆる障子堀が作られていたので、兵の移動範囲も限られます。

階段が作られている場所を登っていくと堀の内側に至ります。そこはこんなに広大。

これだけ広ければ、かなりの大軍を配置することか出来ます。
堀だけでも恐ろしいのに、更に大軍から鉄砲や矢、石などを打ち掛けられるのだと考えると、この城の攻略には100万の大軍をもってしても不可能ではないかと感じました。

ここ以外にもいくつもこうした堀跡が残っており、総延長9kmに及んでいたそうです。
総構え、恐るべし…






総構えの内側には小田原古城もありました。
現在の小田原城からJR線を挟んだ反対側のあたりにあったそうで、現在は城山公園とされる小高い丘の上です。このあたりは市民の使うテニスコートやグランドなどや小田原高校が立ち並んでおり、週末も高校生の声が聞こえるという環境。
そんな場所の一角に古城の跡がひっそりと残っていました。


途中、高校のグランド脇を歩いていると、高校生から「こんにちは!」と明るく声をかけられて少し怯んだのは秘密です(*^^*)
でも気持ちのいいものですね。


さて次はいよいよ城の中心部へ入っていきます。
ちなみに現在の天守閣や門などの配置や構造物は江戸時代のものであり、戦国期の小田原征伐時のものとは異なります。小田原征伐時には本丸などに石垣は使われていなかったようで、江戸時代に大久保氏が城主になって以降、関東で初めて総石垣作りとされたのだそうです。
推奨ルートは東側から。周囲には広い水堀が広がっており、頑丈な橋がかかっていますが、当時はすぐ落とせるように木製でした。その奥には大きな馬出門があります。


ここは馬屋曲輪となっていますが、まっすぐ行った正面には壁がなく、水堀がある向こう側に二の丸の壁があります。これは二の丸側から壁越しに鉄砲や矢を打ちかけられるようにするための作りです。
そこを左に折れるとまた門があり、そこを抜けると広大なエリアが広がります。



ここの角には隅櫓があったようですが、再現はされていません。
馬屋曲輪の周囲は高さ2mくらいの土塁が築かれていますが、その上にあがるための斜めの石段が作られていました。

現在はきれいに積みあがっていますが、当時はもう少し荒っぽい作りだったそうです。斜めの石段は他の城では見たことがなく、珍しいものです。

その隣には御茶壺曲輪が広がります。


さて、馬屋曲輪に戻って立派な銅門(あかがねもん)をくぐると、その先にはこれまた広大な二の丸が広がっています。




敷地内には小さな資料館(歴史見聞館)も建てられています。中には入りませんでしたが、きっと貴重な資料が数多く所蔵されているのではないかと思います。
二の丸から本丸を挟んだ反対の西側には、二の丸から一段下がって児童遊園が作られています。
小さな汽車などに乗ることが出来るので、子供達には人気でしょう。少し前に行った小牧山城にも同様の施設が作られていた時期があります。お城が市民の憩いの場として認識されていたことの証左でしょうね。遺構が破壊されてしまうという問題はあるものの、小さな子供時代からお城という世界に親しむという点では意味のあることかもしれません。

そしていよいよ本丸へ。
本丸の周囲は大きな堀が築かれており、中に入るには木橋を渡っていく必要があります。


立派な木橋ですが、大正13年の関東大震災で崩れてしまったそうで、現在あるものは当時より2mほど低い位置に架けられているとのことでした。
その先には桝形が作られ、そして巨大な鉄の門・常盤木門(ときわぎもん)があります。



たいそう立派な門で、よく見ると鬼瓦には三つ葉葵があしらわれていました。

徳川の時代に作られたということがよく分かりますね。
その先にはこれまた広大な本丸があります。


これほど広い本丸の敷地になっているということは、天守閣手前のエリアに賓客対応用の御殿が作ってあったのでしょうね。当時を思い起こさせるような風景です。
そして天守閣。




舐めまわすように見てしまいました(笑)
巨石を積み上げた豪壮な石垣、その上に立つ3重4層の建物。地面からの高さは国内で2番目なのだとか。石垣だけで相当高さを稼いでいるとは思いますが(汗)
普通の人ならこの勢いで天守閣内部を見学し、最上階から小田原市街を眺めるという流れになりますが、私はここで退散。
私の場合、天守閣や櫓などの建物よりも、総構えのような大規模土木工事に興味を引かれる性質でもあるし、防衛拠点であるお城が攻められたという状況の中で、本丸や天守閣にどんな防御施設を備えていようが、そこまで攻め込まれている時点で敗北確定なので、そこに興味がわかないのです…。へそ曲がりでスミマセン<(_ _)>

その後、少し東へ移動して総構えの土塁へ。
新玉小学校脇に当時の土塁が残っているのですが、実はその一か所に太平洋戦争末期の米軍空襲による弾着跡が残っています。



差し渡し10m以上はあろうかという広範囲にわたって大きく土塁がえぐられており、その威力の大きさをまざまざと実感させます。そしてこの空襲により数名の方がお亡くなりになっています。やはり戦争は恐ろしい。

さて、2か所の城攻めをがっつりと行って一汗かいた後はやはりお風呂!
弾着跡からほど近い場所に地元で愛される銭湯があるので、そこへ立ち寄りました。


入湯開始時刻すぐに行ったのですが、既に満員で入れず、少し待ったあとにようやく脱衣場へ。
番台は昔ながらの男女脱衣場の真ん中にあるタイプ。昭和感バリバリの世界にちょっとほっこりします♪
決して広くない浴室内には蛇口が8か所程度あり、ケロリン桶で流します。
浴槽も4~5人入ればいっぱいになるような小さなもので、その壁には富士山や松の木が描かれていました。昭和~♪
こうしたお風呂には地域のお年寄りばかりが集まっているのが一般的ですが、ここはそうした人たちに加え、30~40代の若い人たちが多く利用しており、その人たちが体の不自由なお年寄りが立ち上がる際に手助けするという姿さえ見かけました。なんと暖かい人たちなんだろう…。小田原、いいところですね(^^)

この日は少し東に走ったとある公園駐車場で車中泊。
翌日はいよいよ「ろうがんず杯2025」本選です!


★小田原城の画像の数々はこちらに保存しました。
小田原城(神奈川県小田原市)
Posted at 2025/04/26 11:40:27 | コメント(1) | 城めぐり | 旅行/地域
2025年04月22日 イイね!

ろうがんず杯前の城攻め(石垣山城編)

4月に入って年度も切り替わりかなり多忙な日々。一日の仕事を終えて帰宅後に夕飯を食べ終わるともうぐったりで、以前のように模型工作に勤しむ気力すら残っていないほど。
私も歳取ったなぁ…と感じます。
そんな中ですが、単なる参加のみというつもりだったはずの「ろうがんず杯」の1次予選を通過し本戦出場が決まって会場への召集令状が届きました。
どうやら今回の応募数は過去最大だったらしく、その中でヘタレモデラーである私の作品が
選ばれるなど有り得ないはずですが、それでも本戦出場の栄光を頂けたなら参戦しないわけにはいきません(^^)

本線は4月20日(日)に神奈川県横浜市のたまプラーザで行われます。
よし、せっかくの機会だから、小田原城を攻めるか!
全国的に有名なお城はだいぶクリアしていますが、実は大阪城と小田原城は未攻略なのです。
ということで、前日の土曜日に行くことにしました。

豊臣秀吉による小田原征伐では、小田原城近くの山間にある日突然巨大な城があらわれたことで、守備側の北条氏の戦意が大きく下がって無血開城に至っています。
その巨大な城が石垣山の一夜城。まずはそこを攻めます。
小田原城から少し西の山に城跡があり、大きな駐車場がいくつも整備されているので、車でのアクセスは抜群です。
駐車場の目の前に早速野面積みの石垣がでーんと!

いきなり圧倒されます。

そこから石段を登っていくと上下2段に分かれた東曲輪があります。
途中で見かけた石垣と桜。

それぞれがかなりの広さ。20万の大軍を率いての攻城戦であったことを想起させるに十分です。

その上段には二の丸がありますが、これがまた広い!

二の丸の東端からは小田原城が望めます。


秀吉はこの石垣山城に淀殿などを呼んで日々大宴会を催したそうです。
広大な二の丸から小田原城を見下ろしながらの宴はさぞ楽しかったのではないでしょうか。

二の丸東側の少し下りた場所には井戸曲輪があります。相模湾とのコントラストが絶景!


井戸曲輪はその最低部に湧き水があり、そこに至る通路が螺旋状に石垣が組まれていることから「サザエ曲輪」とも呼ばれます。
降りてみました。




すごい迫力です。
これを見るためだけにでもココに来る価値があると思えるほどです。
石垣でよくあるのは、一辺が数メートルもあるような巨石(鏡石)があったり、天守閣を配置する場所の周囲に急角度できっちり組まれていたりすると大迫力を感じますが、ここの井戸曲輪はそのいずれとも異なる迫力。
遥か低い場所まで丹念に石が組まれ、しかもそれが曲輪と呼べるほどの大きなスペースであり、底部に立つとその囲まれ感は特別なものだと感じます。

年寄りの冷や水的に言えば、別にそんなところに石垣をきっちり組む必要はありませんが、そういう場所ですら手を抜かずに施工したことに設計者の執念のようなものを感じます。

石垣山城の設計者は諸説あり、主には黒田長政や加藤清正とされていますが、いずれも小田原征伐に参陣していないため、参陣した黒田官兵衛ではないかという説があるそうです。
官兵衛と言えば、本能寺で信長が亡くなったと聞いてうろたえる秀吉に「ご武運が開けましたな」と耳打ちして秀吉を天下人に導いた逸話が残っています。つまり官兵衛は秀吉をいかに持ち上げるかという視点を持っている人。
石垣山城が小田原城を守る北条氏に対する示威行為だとすると、小田原城から見えない井戸曲輪に必要以上の施工をする必要がありません。よって井戸曲輪の石垣は対北条氏ではなく、対秀吉であったと言えます。
井戸曲輪の底で汲んだ水は秀吉と淀殿が飲む茶に使われたでしょう。そんな大切な水汲み場はしっかりと作る必要があります。こうしたことに配慮が行き届くのは誰か?
やはり真っ先に浮かぶのは、秀吉のことを考える官兵衛ではないでしょうか。

閑話休題。
二の丸北?の急斜面にも巨石がゴロゴロ転がっています。その下には帯曲輪も広がっていました。



そしていよいよ本丸へ。

なかなかの広さです。
さすが秀吉。いや、官兵衛。
しかし天守台はかなり狭いです。およそ100㎡前後といったところでしょうか。

この広さだと大きな天守閣はなく、少人数の寝泊まりや食事が出来る程度の小さな建物があったのだろうと思われます。
山の斜面には多くの樹木が立っているので、天守台から小田原城は見えませんでしたが、当時は木を切り倒していたはずなので、きっと小田原城を見下ろしていたことでしょうね。

さて、これで小田原城攻略の前仕事は終わりました。次はいよいよ小田原城です!

★石垣山城の画像の数々はこちらに保存しました。
石垣山城(神奈川県小田原市)
Posted at 2025/04/22 21:17:48 | コメント(1) | 城めぐり | 趣味
2025年04月13日 イイね!

重巡鳥海の製作(船体の修正その2)

キットの艦尾は図面の数値と比べると横幅がわずかに狭いようです。数値にして1mmほど。
また全長が6mm不足する点については、5番主砲バーベット後端で船体を切断して延長してやるのが最も良いように思われます。


切断しました。
そして延長しました。


併せて4番主砲基部と5番主砲バーベットもいったん切除。
バーベットは3番主砲でも使うので、キットの形状をエポパテで複製しました。


そして延長した艦尾をそれ以前の船体と接続。
この時、接続部が滑らかなラインでつながるように、接続部の前方に0.3mmプラバンを貼って整えました。


更にその上から0.5mmプラバンを貼り重ね、不足する横幅を図面のサイズに揃えました。


ここまで来てようやくシェルター甲板両舷の形状修正に移ります。
シェルター甲板の張り出しから下は喫水線に向かってすぼまるようになっているので、そのラインが出るようにエポパテを盛りつけます。


そして耐水ペーパーでひたすら磨く…磨く…磨く…
細かい凹凸が残るので、ラッカーパテで修正しました。


ようやくここまで来ましたが、地味な船体の工作はまだまだ続きます…。
Posted at 2025/04/13 20:01:33 | コメント(2) | 艦船模型 | 趣味

プロフィール

「重巡鳥海の製作(船体の修正その4) http://cvw.jp/b/488285/48472648/
何シテル?   06/07 13:55
模型工作とキャンプが大好きなヘタレをやぢです。 私がフォローする方には2種類あります。 一つは「以前からのみん友さん」 もう一つは「ちょっと興味を持っ...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/4 >>

  12345
6 789101112
13141516171819
2021 22232425 26
2728 2930   

リンク・クリップ

エアコンパイプの断熱 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2019/09/22 18:04:47
耐熱ホースカバー取付(冷却効果UP) 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2019/09/22 18:02:04

愛車一覧

ホンダ シャトルハイブリッド イフリート (ホンダ シャトルハイブリッド)
イフリート初号機です。 前車・プレマシーに比べ排気量が△500CCなので、若干の非力さは ...
その他 キャンプ その他 キャンプ
我が家の行ったキャンプ場をまとめておく場所です。
その他 その他作業記録 その他 その他作業記録
1/700を中心とした艦船模型についてのまとめです。
その他 その他作業記録 その他 その他作業記録
ガンプラ製作の記録です。
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation