この内容、車を単なる耐久消費財としてお考えの方にはこの上なく退屈な内容になりますので、あまり閲覧をおすすめしません。
先日、仕事で都心から一時間強くらいの「小江戸」と言われる場所に行きました。
その街は度々テレビで取り上げられたりバスツアーも数多く組まれたりと有名な場所ですが、もともとこの場所にそうした古い街があった事を私は知らなかったので、先入観ゼロで訪れる事となりました。
いざ足を踏み入れると妙に小奇麗な江戸の街並みが現れましたが、その実ここは京都や金沢のように古から人々の生活を脈々と育んできた街ではなく、単なる客寄せの為に江戸風の街並みを再現した時代劇のセットと何ら変わらないものでありました。
歴史好きの妻が行く前に「行ってみると分かるわよ」と含みのある笑いを浮かべた意味が理解出来たと同時に、単なるレトロとアンティークは根本的に違うような気がしてきました。

我が家の片隅にあるこの椅子、ハロッズのテディベアの居場所として以外はあまり用を成さない椅子です。以前叔母から「使ってないなら是非に」とラブコールを受けた椅子ですが、丁重にお断りしたのにはヒストリーが存在するからに他なりません。
うちにある家具はもう何十年もそこに存在するような顔をしたものばかりで、よく年代物を収集されているので?と聞かれますが、一番古株でも15年くらいで全て新品として購入したものばかりです。その中にはリーズナブルなものもあれば、親をそそのかして買わせた高級なものも混在しますが、どれもその時その時の理由があって我が家に来たものです。
つまり私的なアンティークの解釈は、どんなモノでも新品として手に入れて自分と過ごす時間を重ねて育てて行くものだと思っております。よく「150年前の英国で作られたものを新品同様にリニューアルして…」という物を勧められるのですが、それは単なるレトロ趣味であり「育てる」とは異なるものだと思います。
車に関しても車種や色、仕様を決めてオーダーしたものは、自分の意志でこの世に出てきたものであります。既にそこからヒストリーは始まっており、そこから時間を共有して育てる事に喜びを感じるので、私が中古車を買わない理由はそこにあります。なので自分自身の車を購入する時は考えに考えて行動を起こす為、発注まではかなりの時間を要します。決断を即す為に「今在庫車があって決めてくれたら○○万円引きますよ」と言ってくる営業さんも居ますが、その段階で感覚が合わないのでお付き合いをご遠慮した事もしばしばです。
そんなつもりで買ったジャガーですが、10年目の印象は思っていたような劣化は無くてまだまだ楽しめるという感じです。昔のジャガーはカシミアのセーターと同じで、最高の風合いですが旬が短い印象を持ったものですが、今のは仮に壊れても修理すれば車そのものの骨格がしっかりしているので修理代をつぎ込んでも無駄にならなそうです。
大枚出して新車を買って、それがアンティークに昇華するかジャンクに成り果てるかの見極めは難しいところで、もちろんユーザーの乗り方が大きく左右するとは思います。しかし今の新車はかなりの高額車でもあまりにコンピューターに頼り過ぎている為にジャンクになりそうで選ぶのが怖いです。そのひとつの基準は、スピードメーターがアナログではなくフル液晶のものはあまり買いたくありません。
今の杞憂は、今度レクサスRXがやって来ると、優秀なRXばかり借りてしまい自分の車に向き合う時間が減るのでは…という事です。しかしドアを閉めてエンジンを掛けて走り出すという一連の行為に「やはり役者が違う」とほくそ笑む自分に、それがただの杞憂であった事を再確認した連休でありました。
さ、雨が降ってくる前に今度の週末に備えてタイヤとホイールを洗おう。
Posted at 2017/01/08 12:31:25 | |
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