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イイね!
2012年05月08日

山崎合戦跡地 2   旗立松と展望台

参道の途中に、三重塔がありました。


三重塔


本堂の隣に閻魔堂という建物がありました。

事前調査では、ここに山崎合戦の死者を祭ったお堂があるということで、この建物がそうなのかなあと思いましたが、そういう説明板とかはありませんでしたので、よく分からずに通り過ぎました。

本堂と閻魔堂の間の道を道なりに進むと、山頂への登山道の続きが始ります。



道しるべ



竹林がとても綺麗な道が続きました。

苦しかったですが、気持ちよかったです。



登山道



竹林に沿って、レールがありました。




竹林にレール



『これはどこからどこまでつながっているんだろう?』




『何が走っているんだろう?』






途中、広場がありましたが、その入り口にレールがあったので、またいで入りました。



広場の入り口




『危なくないのかなあ?』



『またいでいる時に、モノレールが走ってこんのかなあ?』



広場にあった絵



秀吉の中国オウム返しの図


絵のアップ








広場からは多少展望ができましたが、少し見えるだけだったので、チラッと見たら先に進むことにしました。




しばらく上ると、目的地の一つに到着できました。



山崎合戦跡の石碑







石碑アップ







石碑











この松に、秀吉が旗を立てたそうです。





灯篭





旗立松と山崎合戦の石碑のある場所のすぐ隣に、展望デッキがありました。



デッキはとても狭いもので、大人一人か二人でちょうどぐらいの広さでした。


先に男性一人が眺めていたので、しばらく待ってから上ることにしました。



この男性は、どこから来たのでしょうか?


戦国に思いをはせていたのでしょうか?





両隊が布陣した場所を一望できました。





説明板と眼下




織田信長を本能寺で殺した明智光秀は、滋賀へ行き、仲間の武将達は遠征しているので今の内にと、近畿辺りを一気に制圧しようとしました。



しかし、羽柴秀吉が、『中国オウム返し』で、電光石火のごとく猛スピードでここまで帰って来、光秀は大いにあせりました。


奈良の筒井順慶に援軍を頼んで、少し南の小山で待っていましたが、一向にくる気配がありません。


結局、光秀は、15000人の軍勢で、秀吉の30000人と、この地で戦う事になりました。


勝敗を決めるのは、この山、天王山を押さえたほうだと、秀吉、光秀は共に確信し、両隊の天王山乗っ取り競争が始りました。


そこで先に山頂を押さえたのが、秀吉隊。


その時に旗を立てたのが、先ほど紹介した写真の旗立て松だと言われております。







布陣図










展望全体





展望真ん中ぐらい



写真左真ん中で、左下~右上に大きな道路が走っており、だいたいそれを境に、左が明智光秀軍、右が羽柴秀吉軍 となっております。


ちょっと、ゴチャゴチャしていてわかりにくかったですが。


建物だらけで、想像していたのと全然違い、かなり都会でした。





展望秀吉側





山崎の合戦というのは、天王山での旗の取り合いの事をさすのではなく、後日の山崎町での戦いの事だそうです。

大河ドラマの内容の影響で、どちらも同じ日に起こったと皆がそう思い込んでいる・・・だとか。





展望 右端







展望 右アップ





たっぷりと展望を楽しんだ後、山頂への道を再び進む事にしました。

山頂に山城址があるので、そこを目指します。




神社入り口





続く
ブログ一覧 | 山崎合戦地 | 旅行/地域
Posted at 2012/05/09 08:53:56

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この記事へのコメント

2012年5月9日 15:30
ここは未体験ゾ~ンでしたわ。

為になり申す~。(笑)
コメントへの返答
2012年5月10日 7:40
都会の中のオアシスみたいな場所でした。

山の麓で地元の人たちが結構ウォーキングとかしていましたよ。

もちろん登山者もちらほらと。

ちょっときつい山ですが、道もまあまあよかったし竹林もきれいでしたので、お勧めです。
^^
2012年5月9日 22:45
天王山と云う言葉は、後世にも使われる様になったけど、実際に天王山自体では、大した戦いは無かったみたいですね。
ただ天王山を押さえる事で、秀吉軍は更に戦局を優位に進められる様になったのは確かですが。
コメントへの返答
2012年5月10日 7:44
実は、ここに行く!と決めていろいろ調べるまで、山に旗を立てる競争以外は、あまりよく知りませんでした~。
^^;

その土地その土地で、すぐに優位な作戦を立てられるって、凄いなあと思いました。

^^

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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