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すた☆君のブログ一覧

2016年02月04日 イイね!

竹中半兵衛の墓所   兵庫県三木市

関ケ原町の隣にある垂井町は、竹中半兵衛の故郷です。

石田三成陣地~車で10分と近いので、甲冑ボランティアの時に、県外から来られた興味のある皆様に、合わせてお勧めしています。

すると、とても喜ばれます。

案外知らない人は多いので、『その橋渡し役になれたらいいな。』

と、思っています。

今回ようやく、竹中半兵衛の墓所を訪れる事ができました。


竹中半兵衛は、秀吉の三木城攻めの時に病死したので、秀吉の陣地のすぐ近くに埋葬されています。



秀吉陣跡

この陣地は、三木城から東に数キロ離れた山の中にありました。





城壁のようで立派なお墓を囲む塀




竹中半兵衛は、

1544年 岐阜県大野町の大御堂城で生まれ(生誕地の神社あり)、

1558年 に垂井の岩手氏を追放して父と共に引っ越してきました。

垂井町の竹中半兵衛の墓のある禅どう寺 は、岩手氏の菩提寺でしたが、彼らを滅ぼした後の

1587年 竹中半兵衛が亡くなって以降~、竹中一族とその家臣たちの菩提寺になりました。







竹中半兵衛の墓所1





父亡き後は、斉藤龍興に仕え、

1564年 美濃三人衆の安藤守就のとともに、主君を追放。

稲葉山城のっとりは有名なお話ですが、

美濃出身の快川紹喜(心頭を滅却すれば・・・で有名な)は、半兵衛の行動を『恥知らず、・・・。』と非難している。

この後、城~出て、閑居生活の後、

1567年頃~ 信長の与力となり、秀吉に仕えた。




















1570年 姉川の戦いでは、浅井方の堀氏を調略に成功。

その後、秀吉とともに中国攻めに参戦、小寺(黒田)官兵衛と共に上月城、福原城攻めに先陣として加わった。

 
1578年 信長から殺害命令を受けた官兵衛の息子(後の黒田長政) を匿い、垂井町で育てた。




同年、三木城攻めが始まり、

 
1579年 (天正7年) 6月13日、病のため、36歳の若さで没した。



秀吉は人目もはばからず、泣いた。

 












お墓はとても立派で、愛されているんだなあと思った。
Posted at 2016/02/04 16:25:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | 竹中半兵衛 | 旅行/地域
2014年01月02日 イイね!

竹中半兵衛が垂井に住むようになった理由。

竹中半兵衛の生誕地は岐阜県大野町なのに、故郷が垂井町というのは何故なんだろう?

そんな疑問をもとに、その理由を調査してみました。



垂井町には岩手氏が住んでいました。

しかし、跡を継げなかった半兵衛の祖父が大野町に引っ越し、そこで半兵衛が生まれ、

半兵衛1歳の時、父 重元が垂井の岩手氏の城を落とし、垂井は竹中氏の配下になりました。

だから、生誕地が大野町で、故郷が垂井町という訳です。





ここで、「なぜ竹中は岩手を攻めたのか?」  と疑問に思い、再び調べました。




この時の美濃の時代背景について綴ります。

京都の油売り少年、斉藤道三が美濃にやってきて、乗っ取った話は、「国盗り物語」でもよく知られています。

斉藤道三は、美濃守護 土岐盛頼の弟、土岐頼芸(よりよし)に近づいて気に入られ操って、兄盛頼と戦わせ、兄を追放させました。

その後道三を不振に思った弟も道三に追放させられ、斉藤道三は美濃の国主になりました。



この後、戦いあった土岐兄弟は手を取り合い、政権を取り戻そうと、道三に襲い掛かりました。

兄の土岐盛頼は、織田信秀を頼り、弟の頼芸は、朝倉義景と岩手氏を頼りました。

弟は岩手氏に「近江の浅井、六角と仲良くして、美濃に侵入させるな!」と信頼を寄せていた程の仲でした。

また弟の姉は、六角義賢の妻でした。

岩手氏が守っていた領地(関ヶ原)は、美濃の西の端で、交通の要所でした。


織田・朝倉は斉藤道三の稲葉山城を攻めましたが、落とせませんでした(後に半兵衛が落とした)。

斉藤道三は、土岐の弟と、六角氏と岩手氏が手を組むことを恐れました。



そこで斉藤道三は、「自分に味方するものに関ヶ原を任せたい」 と考え、

1545年 竹中半兵衛の父 重元に、岩手城を落とさせ、1546年菩提山城を築城しました。

この後、岩手氏は2000石の小土豪になり(なんと竹中の城のすぐ近くの屋敷で生かされていた)ましたが、1556年斉藤道三が息子の義龍と戦ったときに道三に従い、戦死してしまいました。




今、垂井町には、土岐氏に関するとされるお墓が北の山際にポツンとあります。

Posted at 2014/01/02 09:37:58 | コメント(1) | トラックバック(0) | 竹中半兵衛 | 旅行/地域
2013年07月04日 イイね!

竹中半兵衛の看板

竹中半兵衛の看板これは、国道21号線、垂井町の西の方にあります。

東の方にも、同じのがもう一個あります。


アップ


以前、これを見た友人に、


『こんなん、たいしたことないんだろ?』


と、尋ねられました。

いえいえ、これがなかなか、たいしたことあるヤツなんですよ。

(爆)
Posted at 2013/07/05 16:02:24 | コメント(3) | トラックバック(0) | 竹中半兵衛 | 旅行/地域
2013年02月07日 イイね!

大分城 九州2500㌔車旅

大分城 九州2500㌔車旅竹中半兵衛の家来 竹中重利 が 関ヶ原合戦 (1600年)後  に 3万5000石を与えられ、

ここ大分市へやってきて、改築した城(別名・府内城)です。

元の城は、1597年に建てられました。

重利は主君を 竹中半兵衛⇒豊臣秀吉⇒秀頼⇒徳川家康⇒秀忠と替えました。


ホテルに行く途中、通りすがりの撮影に成功しました。

(笑)
Posted at 2013/02/09 08:15:09 | コメント(0) | トラックバック(0) | 竹中半兵衛 | 旅行/地域
2011年01月22日 イイね!

怒涛の戦国史跡めぐり 二日目 『竹中半兵衛資料館』

垂井町の公民館のすぐ隣に、竹中半兵衛の資料館があります。
無料というのがありがたい。
珍しい建物で、中に入ると畳35畳の大広間があり、所狭しと資料が展示されており、竹中一族の甲冑なども数点あります。


夕方会社の帰りに立ち寄りました。
行ってみると閉まっており、見学希望者は公民館に申し出てくださいと書かれていたので、せっかく行ったのだからと申し出て、開けてもらって、中に入った。

扉は開いていたが、電気などはついておらず、自分でパチパチと全ての電気をつけて中に入った。
自分ひとりだけなのにちょっと贅沢だなあと思った。


展示物をみていてしばらくすると、公民館のおじさんが入ってきた。

きっと詳しいに違いないと思い、さっそく質問をぶつけてみた。



Q1・五明神社は、匿っていた当初も神社だったのか?
『初めから神社であるはずがない』 ・・・だそうです。
ようは、わからんということですね。
(^^;)

おじさんは結構詳しく、いろいろ教えてくれました。
その時に得た情報。


①竹中半兵衛が稲葉山城をのっとった後隠居していたが、その場所は不明。
伊吹山かもしれないし、松尾山城かもしれないとのこと。

②三顧の礼(秀吉が勧誘)について
本当という根拠はないそうです。

③竹中一族の寺の住職さんは、戦争の時に『戦争をしてはいけない』と語ったそうです。

④竹中半兵衛のお墓は兵庫県にもあるが、そちらは二つあるそうです。


あと、この資料館の近くに小西行長の首塚があるといわれているお寺があり、そこの話しもしました。
下の地図で言うと、赤丸のお寺がそうです。


小西行長の首塚の場所


こちらもいつか行ってみたいです。
^^


資料館を出た後、綺麗な建物の写真を撮りたかったのですが、みぞれが降っていてとても寒かったので、さっさと撮って帰りました。

また来たいです。

^^
Posted at 2011/01/23 19:14:20 | コメント(2) | トラックバック(0) | 竹中半兵衛 | 旅行/地域

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旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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