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イイね!
2013年05月05日

大谷吉継の話を見直して、さらに改良。。。

喋り口調で昨日のガイドしたとおりにざざっと書いて、それに新しい形を加えます。




実はこの関ヶ原では、この大谷よしつぐと側近の湯浅五助との最後の話が非常に人気がありまして、とても感動する物語です。

今からさらに、もう5分間少々かかりますので、興味のある方だけココに残って、はなしのつづきをお聞き下さい。

ではちょっと、準備させていただきますね~
(といいつつ、ここで武将隊の写真集を取り出す。ここで興味の無い人たちが後に去って、また新しい人が加わる。)

はい、お待たせしました。
では、話を始めさせていただきます。

小早川秀秋がうらぎって、あの天満山の裏側へ攻めた時、そこには、大谷よしつぐがおりました。

彼は、福井県敦賀城の城主、5万7000石の大名で、この石田三成の親友でした。

年は二人とも同じぐらいで、41、2歳ぐらいでした.

この大谷よしつぐという人物は、ライ病、ハンセン病とも言います。

顔の皮膚がみにくくただれるという病気を持っておりまして、普段は頭からスッポリと、真っ白なずきんを、このようにすっぽりとかぶっており、目だけをだしておりました。

目は殆ど見えず、体も不自由で歩く事もままならぬ、いつもはみこしのうえにのっかって、それを家来達がかついで移動する という手段をとっていました。


三成が家康に戦いを挑むと、よしつぐに言った時、かれは、『おぬしでは家康には勝てぬ』といいました。

それには大きく二つの理由がありました。

まず一つは、石田三成は、お隣滋賀県のさわやま城城主、19万石の大名。

それにたいして家康は、なんと250万石。

10倍以上も兵力差があったんですねえ。

そして二つ目の理由。

実はこの石田三成という人物は、ちょっと嫌われておりまして、人望がありませんでした。

厳しすぎたんですね。

なので、よしつぐはみつなりに挙兵をやめるように伝えましたが、

よしつぐは、みつなりに大きな恩があり、親友と言う事もあったので、最後はかれの説得に負けて、

共に戦うことを決意しました。

このおおたによしつぐという人物は、大変頭のいいぶしょうでして、人望の無い三成をフォローする為に、大変強い武将達 毛利や宇喜多を味方につけることによって、この大きな西軍というチームをつくりあげました。

ここから、合戦の話に入ります。

あのピンク色にいろづいたあたり、あそこにいた小早川秀秋は、天満山この手前の山のうしろめがけて、右斜め下方向に、一直線に坂を下り、そこにいたおおたによしつぐをこうげきしました。

彼は秀秋がうらぎるのをよそくしていたので、3000人で15000人を3回押し返しましたが、この手前の4隊までもが裏切るのを予測できなかったので、最後彼は死を決意しました。

そのときによしつぐは、残った家来達に持っていたお金を全て分け与え、

『わしをココに残し、この金持って生き延びよ』

といいました。

よしつぐは歩けないので、逃げる事はできません。

しかし家来達は、みな、『そんなことはできません』といい、次々に敵中めがけて突っ込んでいき、みな戦死しました。

(・・・この辺り、正直自分でも疑問。。。だが、このほうが面白い。つっこまれたら、そういう甲冑劇を見たんでと、答える。^^;)

大谷よしつぐには、側近で湯浅五助という人物がいました。

よしつぐは、五助にこう言いました。

『わしの醜い顔を敵にさらしたくない。この首かっきって、地中深くうめよ。』

そういって、よしつぐは腹を切り(切腹の真似をする)、ごすけは彼の首を泣く泣く切り落とし(ここで首を切る演技をする)、穴を掘って、それをうめていました。

ちょうどこの山の裏側です。

するとそこに、敵方のとうどうたかとらのおいっこの、とうどうにえもんという人物がそこに出くわしました。

ゆあさごすけは、にえもんにたいして、こういいました。

『(ゆっくりと強調して喋る) 自分の首を差し出すから、首のありかは誰にも言わないでくれ。』

その熱い忠義心にうたれた彼は、『わかった』と約束し、ゆあさごすけは腹を斬り(切腹の真似をする)、にえもんは五助の首を切り落とし(首を切る演技をする)、その首持って、あそこの正面陣場のの家康のいるところへいきました。


しかし家康は、これを怪しんだ。

なぜならば(強調)、湯浅五助はおおたによしつぐの側近中の側近。

五助のくびだけあって、よしつぐのくびがないのはおかしい。

そこで、にえもんを問い詰めると、彼はあったことすべてを、正直に話しました。

そしてにえもんはこう答えました。

『湯浅五助と約束をしたので、首のありかはいえません!!(強調)』

ここでごすけは、家康に斬られてもおかしくないんですね。

しかし家康は彼を褒め、さら褒美をあたえて、『お前は武士として立派なやつだ』

といい、これ以上首のありかについては、なにも聞きませんでした。

なので、今もこの山の向こうのどこかに、おおたによしつぐの首が眠っていると言われています。

(ここでみんなが山・天満山の方を眺める)

いまげんざいここには、おおたによしつぐの首が埋まっていると思われているあたりに、彼のお墓がありますが、これは、のちのちのじだいに、このとうどうけのごしそんの方々によって、建てられたものです。

もちろん、このお墓の下には、なにもありません。

すぐあとに、ゆあさごすけのお墓も、かれの隣に建てられました。

この二つのお墓は、今現在にいたるまで、このあたりの関ヶ原の人たちの手によって、大切に管理され、今現在にいたるまで、ずっと維持されてきました。

以上で私の話は終了させていただきます。

みなさま長い時間、ご静聴ありがとうございました。






・・・5分30秒かかった。


5分少々って言っておこう。


さ、そろそろ準備しないとやばい。

1時間半もかかった。


^^;


















ブログ一覧 | 大谷吉継 | 日記
Posted at 2013/05/05 07:56:18

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この記事へのコメント

2013年5月5日 13:59
忠義!義はほんと美しい!今、日本に日本人に欠けているのかな…武士道学びたいものです!本日も大変いい天気~お疲れ様です!
コメントへの返答
2013年5月6日 1:20
こんばんは。
ありがとうございます。
^^
義の為、友情の為、恩義の為に、自分の命、仲間の命も背負うということは、今の世の中ではとても考えられない事ですね。

だから、みんな心打たれて、戦国時代に生きた人達の物語に引き込まれるんでしょうね。

サンダース軍曹さんも、お疲れ様でした。
^^

ちなみに、軍曹と聞くと、何故か私はいつも、『ケロロ軍曹』を思い出してしまいます。

好きなんで(逃)。

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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