• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+
イイね!
2014年06月08日

長野旅行記②   ~福島正則の墓所  その2~

本堂の横にある道のすぐ後ろに階段がありました。

福島正則の霊廟へは、比較的行きやすいと思いました。

先日訪れた久能山の徳川家康のお墓への階段は、かなりきつかったので。


本堂の横





では再び、福島正則のエピソードを紹介したいと思います。

≪敵に背を向けない≫

福島正則は、戦場では絶対に敵に背を向けませんでした。

日ごろから家来たちに、敵に絶対に背中を向けるなと、叱咤していました。

戦場から去るときも、馬の上でわざと体をひねり、敵に背中を見せないようにして去ったぐらいに、徹底していました。


そんなある日、帰宅するとうわきがばれて、奥さんが仁王立ちしていました。

正則はあまりのおそろしさに、背中を向けて逃げ去りました。

後日正則は、家来たちにこう話したそうです。

『・・・おなごとは、怖い者よのぅ。』


刃を持った敵よりも、女性の方が怖かったようですね。
^^;



入り口2






関ヶ原合戦でのエピソードもいくつか紹介しましょう。



『島津の敵中突破と福島正則』

西軍が次々に敗退していって、ついには島津隊のみが残ってしまいました。

前方には数万人の東軍。

それに対して、島津隊は数百人。

他の西軍の武将たちは後ろに逃げたのに、島津隊はなんと、家康の本陣めがけて、数万人もの敵の中に突っ込んで行きました。

死ぬためではありません。

生き残るための作戦です。

これは、『島津の敵中突破』 と呼ばれています。

矢じりのような陣形で、物凄い勢いでつっこんでくる島津隊。

その時、すぐ近くにいた福島正則は家来たちに 『手を出すな!!』 と命令したそうです。


その後島津隊は、家康の前を大きく右に曲がって、関ヶ原を北から南に中央突破して、山間の細い谷間の道に逃げ込みました。

その時後ろから、徳川四天王の猛将、井伊直政や、家康の息子の松平忠吉が追撃しましたが、

島津の『捨てがまり戦法』 最後尾の敵が死ぬまで敵を食い止める 

にやられ、井伊直政はその時の銃傷が原因で破傷風となり、2年後に亡くなってしまいました。

また、松平忠吉も傷を負ってしましました。



普段は 『敵に背を見せるな!』 と言っていた正則ですが、窮地に追いやられた人間の恐ろしさを知っていた というエピソードです。

もしも彼らに手を出していたら、正則もただではすまなかったかもしれません。

数多の戦場を駆け抜けてきたからこそ言えた、正しい判断だったのかもしれません。




余談ですが、井伊直政と松平忠吉は、本戦中は、島津隊を攻撃していました。

それには理由がありまして、島津隊は本当は東軍に入りたかったけど、流れでしかたなく西軍に入った。

東軍のみんなはそれを知っていて、その心中を察していたので、島津と戦いたくなかった。

それに、島津は強かった。

だから、家康は身内の井伊直政(親戚)と松平忠吉(息子)に、島津に戦うように命令したそうです。

ちなみに島津は戦う気力は全く無く、来る敵を追い払う程度でした。

西軍の三成の要請にも応じず、東軍、西軍、島津軍 という風に、中立していました。

隣に陣取っていて負けて逃げてきた小西の兵士を鉄砲で撃って追い払ったぐらいらしいです。

驚いた小西の兵は、裏の池に飛び込んで、たくさんおぼれて死んだとか・・・。








入り口3






関ヶ原ネタをもうひとつ。

≪一番槍を奪われた福島正則≫

戦において一番槍というものは、とても名誉あるものです。

それは、戦の前から誰がやるとか、決められています。

関ヶ原合戦では、福島正則が一番槍と決まっていました。

西軍の宇喜多隊につっこもうと、最前線で待機していた福島正則と正則の家来で槍の達人の可児才蔵。





可児才蔵。

通称、笹の才蔵。

あまりにも強すぎて敵を倒しすぎて、首を運べないので、合戦中は背中に笹尾背負っていて、敵を倒したら背中から笹の葉っぱをちぎって、それを敵の口につっこんで、それを目印にして、戦が終わった後にその首を取りに来たという。。。

また、小牧長久手の戦いにおいては、逃げるときに 豊臣秀次が 『お前の馬をよこせ』と命令したが、断って逃げ去ったという。。。

60歳になった時、ちょっとフラリとした事があった。
横にいた家来が『才蔵様もお歳ですねぇ』と言うと、才蔵は槍を一振りして、この家来の首を切り落とし、皆にこう言った。
『人にもよる。』


実は私は可児才蔵も大好きで、福島正則に可児才蔵。

『この上司に、この部下あり』という感じがしてならない。









すると、井伊直政が松平忠吉を連れて、正則と才蔵の横をすり抜けようとしました。

『どこへ行く?』と、制止しようとする二人。

直政 『物見の見物じゃ。』

松平忠吉は家康の息子だから、そんなにキツく制止できない。

しかたなく前に行かせると、そのまま宇喜多につっこみ、一番槍を決められてしまった。

当然、怒る、福島正則。

『わしが一番槍なのにーーー!!!!!』


家康は、やっぱり息子に手柄を立てさせてやりたくなったのかもしれない。。。

もしかしたらこの時からすでに、福島正則を将来切り捨てるつもりで、手柄を与えさせたくなかったのかもしれない。

家康が、正則に一番槍を与えた事に後悔したのは、間違いない。

こんな悲しいエピソードもあった。











入り口4




門の低さに驚いた。

2メートルぐらいだろうか、上の柱は軽く手を伸ばせば届く位置だ。




門の手前


・・・それにしても、なんでこんなに小さな門を造ったのだろう。。。







門をくぐったら、細道の両側に墓地があり、その延長線に彼のお墓があった。





霊廟



朝陽がとても神々しくて、神秘的な雰囲気が漂っていた。





続く♪
ブログ一覧 | 福島正則 | 旅行/地域
Posted at 2014/06/08 01:12:54

イイね!0件



今、あなたにおすすめ

ブログ人気記事

もうお盆休み後半戦・・・ 有意義に ...
ウッドミッツさん

㊗️・みんカラ歴7年!🙌
まんじゅさんさん

一撃
バーバンさん

実家に眠る思い出
ハルアさん

この先導入が検討されている走行距離 ...
のうえさんさん

いざ、乗り込むと!
shinD5さん

この記事へのコメント

2014年6月8日 10:03
お早うございます♪
福島正則は秀吉の子飼いですから、いずれ排除される運命にあったかもしれませんね。
武断派の彼は文治派の三成とソリが合わず東軍についたとも。
島津隊は「窮鼠猫を噛む」といったとこでしょうか。
少数ながら精鋭揃いだったと言われてますね。
コメントへの返答
2014年6月9日 8:12
おはようございます。^^

コメントありがとうございます♪

全くその通りだと思います。w

島津義弘の兵は、本当に義弘を慕って薩摩からやってきた人たちだったので、

殿を守りきる!

という気迫は、そうとうなものだったと思われますね。

『捨てがまり』をした 道 『うとう坂』 は、家の近くでよく通っているんですが、いつも想像しながら通っています。

夜は不気味です。。。
2014年6月21日 8:04
はじめましてです!勉強になります。漫画とかアニメから入門したにわかです。高知県では長宗我部フェスなるイベントがあります!今年も鉄砲隊がバーンでした。秘密ですが備前長船の刀が蔵から見つかりました。銘はスケサダ?です。
コメントへの返答
2014年6月22日 6:41
おはようございます~。
初めまして。
コメント、ありがとうございます。
^^
私、生まれが徳島なんで、レックスパワー弟子1号1974さんが高知と知って、親近感を持ちましたよ。
(笑)

実は(というか、隠さずここのブログでもたびたび取り上げていますが^^;)

私のご先祖様は、阿波の美馬にあった重清城主(今も城址あります)だったんですが、長宗我部元親に落とされ、姫様が子供を連れて脱出して吉野川を下って生き延びたんですが、私はその子孫なんですよ~。
^^;

なので、最近長宗我部元親が人気なのを聞くたびに『おのれ~!!』と思ってしまいます。
(笑)

>刀
情報、ありがとうございます!
また歴史談義しましょうね。
^^

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/8 >>

     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      

ブログカテゴリー

リンク・クリップ

霧の中の決戦地 
カテゴリ:関ヶ原合戦の史跡
2010/12/24 11:25:35
 
関ヶ原町の史跡 『十九女池・六部地蔵・七つ井戸・与市の墓』 
カテゴリ:岐阜県の史跡(関ヶ原合戦以外)
2010/12/20 12:40:04
 
関ヶ原町 『常盤御前の墓・鶯の滝』 
カテゴリ:岐阜県の史跡(関ヶ原合戦以外)
2010/12/20 12:36:11
 

愛車一覧

トヨタ ノア ハイブリッド トヨタ ノア ハイブリッド
ノアハイブリッド
マツダ ロードスター マツダ ロードスター
2代目の戦国ロードスターです。 出陣時は関ケ原バージョンになります。
日産 ラフェスタ 日産 ラフェスタ
中古で買って、5年間乗りました。 4WDです。 買って半年後に底から大きな「ブーン」と ...
マツダ ロードスター すた号 (マツダ ロードスター)
マイナス2℃で、オーポン走行しました。 冬でも幌をあけるオーポン漢を目指しています。
ヘルプ利用規約サイトマップ

あなたの愛車、今いくら?

複数社の査定額を比較して愛車の最高額を調べよう!

あなたの愛車、今いくら?
メーカー
モデル
年式
走行距離(km)
© LY Corporation