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2019年03月17日

大谷吉継の史跡巡り 「愛知県田原市~大谷一族の子孫たちに愛されている史跡たち」

前々回の「ロードスター車中泊」の続きになります。
^^;

この日の目的地、愛知県田原市、渥美半島にやってきました。

今日は、「浦町大谷吉継一族の歴史」について研究をしている、浦町大谷一族の子孫の友人が、大谷吉継ゆかりの史跡を案内してくれます。

「道の駅めっくいんはうす」で無事に合流、さっそく史跡へ移動です。

今回は、田原市の浦町 という地域にある、「浦町大谷吉継続家の史跡巡り」になります。



車で15分ほど走ったところで、最初の目的地に到着。


八幡社 ロド


うーん、この神社の造り、お城っぽいなあ。



神社周り 


まるで山城みたいな。。。


はい、本題へ入ります。


ここ八幡神社には、大谷吉継の名前が刻まれた石碑があります。

なんでこんなところに出てくるのでしょうか?



鳥居


こんなにしめ縄の位置が低い鳥居、珍しいですね。



石碑手前


はい、これがその石碑になります。



石碑 全体


注目すべき文章が、後半に刻まれています。




石碑 ピックアップ


「文禄慶長(朝鮮出兵)の頃 越前敦賀の城主 大谷刑部 関ケ原の合戦 に敗れ自害する。

その時に 家臣の 大谷刑馬 一族郎党を率い 御神体 を奉持して 浦町 に 居住する。」




では、この大谷刑馬(おおたに ぎょうま)とは 何者なのでしょうか。

古文書が残っていないので彼が何者かは分からないそうですが、大谷吉継とゆかりの深い人物には違いないそうです。

刑馬という名前も、刑部に似ています。

きっと何か繋がりがあるのでしょう。

古文書がないゆえに、田原市も大谷一族に関する史跡等を町の歴史としては認めていないそうです。

家系図は幕末にあったそうですが、仲良くなったお侍さんが持ち帰ってそれっきりだそうです。

しかし、浦町の子供たちが昭和の初期頃によく歌っていた歌 「童浦かぞえうた」には

「九つ 古墳のこうじんは 大谷よしたか 祭りたり」 という歌詞があるそうです。



浦町 は、戦国時代のその前から、落人の村 として知られていたようで、昔は 訪れにくい 分かりにくい 地域だったそうです。

関ケ原合戦の20年ぐらいあとに、彼らはこの村にたどり着いたのでは とのことでした。




はい、では次に、ご神体を祀る祠へ移動します。

駐車場がないとの事で、畑の道や山の横の道をしばらく歩きました。

ブロッコリーの畑や、菊のビニールハウスがたくさんあり、初めて見るものばかりでとても新鮮で、気持ちのいい散歩でした。


祠は農家の家々のわき道をどんどん入っていった一番奥の山際にありました。

これは、友人と一緒でなければ入れません。

不審者と間違われます。

(><)



「荒神神社(大谷神社)」





これは、浦に落ち延びてきた大谷一族が、吉継を祀るために江戸時代に建立したそです。



祠手前

見た目には何を祀っているのか分かりませんが、祠の左右の石碑には、大谷さんの名前がたくさん刻まれていました。

おそらく 数百年にわたり、名前を隠して守ってきたのでしょうね。

毎年2回お祭りをしているそうです。




ここを離れて、またしばらく歩きました。

次の目的地には、大谷吉継が朝鮮出兵から持ち帰ったシジの実が大木になって今でもあるとの事。

この木を見ることは念願で、今回の旅行で私が特に楽しみにしていた事の一つです。



事前にグーグルマップで調べていたので、全く同じ景色が見えてきました。

今の時代って、凄いですよね。



墓地の全体


墓所へと通じる道です。







これをしばらく登ると、道の中腹の右側に、真ん中から斬られた木があり、それがそうです。

お墓参りに邪魔なほどに大きくなったから、斬られたとか。


シジの木


大谷吉継は朝鮮出兵で飢えをしのぐために、「シジの実」を食べていて、それを日本に持ち帰り、「一族の命を救った宝」として大切に育てていたそうです。

関ケ原合戦の時は、大谷吉継は自害する直前に、そこへ シジの実を土の中に押し込んだそうです。

シジの木は日本ではとても珍しい木なので、関ケ原にシジの木が生えているところがあれば、そこが大谷吉継が自害した場所 という事になります。

今後、注意して探してみようと思います。

ただ、僕も正直この木を直接見ても、どこを特徴として探していいのか分かりません。

もしかしたら、日本一の植物学者の牧野富太郎が作った植物大図鑑には載っているかもしれないので、今後そちらを調べてみようと思います。

因みに「シジの木」は「椎(シイ)の木」ではありません。

「シジの木」をネット検索してみましたが、全く出てきませんでした。

日本ではとても珍しい木です。



余談ですが、以前、この町から関ケ原に来た人がいて、私がいつもの調子で大谷吉継の涙の最後のお話をしてみんな去っていたあと、ふらりと僕の真横に来て、

「渥美半島に大谷吉継が生き延びたって知っている?」と言ってきました。

物語を根本的にぶち壊そうとしていました。

すた 「本人じゃないでしょ? 子孫でしょ? 家老か身内の大谷刑馬でしょ?」

その人は、ちょっと教育してやろうという感じで話してきましたが、私はすでに友人から教えてもらって勉強していて知っていたので、「なんで知っているの?」と驚いて、目が点になっていました。

その人が「シジの木」をしきりと「椎(シイ)の木」と連呼していたので、その間違いにも気づけました。

「椎の木違いますよ、シジの木ですよ。」と、思わず言い返してやろうかと思いました。

最後「知っているの!? 本当に!?」と驚いて去っていきました。

撃退できたのは、友人のおかげです。

はい、では話を戻します。



道を抜けたところにお墓がたくさんあり、その一番奥に 「大谷吉隆のお墓」があります。

大谷吉継は関ケ原合戦で、不幸な死に方をした同じ名前の人物 三好吉継と同じ名前という事を嫌って、吉隆と名前を変えました。

だから、吉継(よしつぐ)⇒吉隆(よしたか)となっています。


大谷吉隆 供養のお墓


このお墓は大正時代に、浦町の人々が、気軽に大谷吉隆を祀れるようにと建てられたものだそうです。

墓石に刻まれている戒名ですが、「院殿」というのは、仏閣の建立者、大名、または戦国武将クラスの人物でないと授けられないそうです。

 吉 峰明 隆 に、吉隆の文字が刻まれているのがわかります。


違い矢

これは大谷吉継の「違い鷹の羽」の家紋と少し違います。

正体がばれないように少し変えたものと考えられるそうです。

大谷一族も明治に入るまで「大屋」と名前を変えていたそうで、明治政府による苗字御免の際に再び「大谷」に戻したそうです。


お墓詣りを終え、再び山道を通っていると、シジの実を見つけました。

友人も、シジの 実 を見つけたのは初めてだそうです。


シジの実

親指サイズのとても小さいものでした。


友人が「食べようか」と迷っていたので、「救急車を呼ぶかもしれないのでやめとこう」と止めました。

伝承によると食べれるはずなんですが、やっぱり、ね。

(笑)


実はそのままにして、墓所を後にしました。





ガードレール下に花

田原市は花の町で、沿道に花畑をたくさん見ました。

こういうのって、いいですよね。

心癒されます。


次は、最後の史跡になります。

大谷家のもっとも古い記録が残されていたお寺です。

1639年だそうです。

関ケ原合戦の直後に移住じゃなくて、大坂の陣のあとに、伊勢から船で移住じゃないのか? が、友人の考えです。


最初に出てきたお寺  西光寺



一通り見たので、車へ戻ることにしました。

この電柱、完全に埋められていますね。

これも凄いですね。



電柱埋もれた



最期に大谷吉継の子供たちですが、次男頼継は関ケ原合戦に参戦後、敦賀で病死という話が一般的だけど、実は田原に移住してて、その子孫が現在に至る というお話や、

木下頼継の子孫が大谷刑馬で、その子孫が現在に至る というお話とか、いろんなお話があり、

まだまだ魅力の尽きない地域であることは違いありません。


田原市の史跡巡りですが、このあと、田原城へ行きました。

それはまた、次回へと。


戦国史跡巡りですが、以前ほど多くありませんが、ボチボチ続けていますんで、また紹介したいと思います。

では。

^^


*上記の内容の紹介については、友人からブログに載せていいとの許可を得ています。
ブログ一覧 | 大谷吉継 | 旅行/地域
Posted at 2019/03/17 11:26:07

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旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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