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すた☆君のブログ一覧

2010年06月29日 イイね!

大好きな石田三成の生誕地へ行ってきました。 ≪前編≫

今回は、私の一番好きな戦国武将、石田三成の生誕地へ行ってきました。

場所は、滋賀県長浜市。

そしてその名も、石田町。

町の名前となっております。


お天気も良く、オープンで行ってきました。

午前中でしたが、かなり日差しが強くて、黒いジーパンをはいていたせいもあり、太ももが焼け付くように熱くなったので、タオルを敷いて涼しくしました。
A(^^;)


石田町は、関ヶ原から西へ直線距離で約17キロ、車で約30分ぐらいの所にあります。
小さな山の麓の静かな田舎町です。^^


平日の午前中ということもあってか、この時の来訪者は、私一人でした。
ましてや、ロードスターでオープンにして乗り込んでくる人など、ちょっといないでしょう。
(^^;)
駐車場


今回ここに来たのは、3回目。しかし、前回までの2回は、あくまで生誕地のみで、今回ココにこれから書き記す『石田神社』へは、行かなかったです。
というか、その存在を知らなかった。
でも、行ってなくてよかったです。
きっと、知識が向上していた今回と、まだあまり知らないうちに行くのとでは、楽しみや面白みが、全然違うだろうから。




少し離れた場所にある駐車場に車を止めて、道路標識を見ながら道なりに北上していきました。
ちょうど道の横にゲートボール場があり、たくさんのお年寄りの方々が、楽しそうにプレイしていました。^^



電信柱を見ると、こんな名前が刻まれていました。



関ヶ原の合戦後、石田三成に最後まで一緒についていった三人衆の一人だそうです。


この神社の裏に、石田神社があります。
小さな町の神社という感じでした。
境内の参道には、ゲートボールをしにきた御老人方の自転車が、たくさん止められていました。
有名観光地には、ちょっとありえない光景です。
参道の横に、ゲートボール場の入り口があったと思われます。
(笑)




八幡神社には入らずに、横のわき道を奥へ進んでいくと、なにやらそれらしい物が見えてきました。


石田神社




三成旗



あったあった、これが今回の目的地のひとつ、『石田一族の五輪の塔』を祭ってある場所かな・・・?

と思いつつ、中へお邪魔させてもらうことにしました。w



入り口


それほど広くは無い敷地ですが、所狭しといろいろな物が設置されており、どれもとても興味深く、ゆっくりと楽しませて頂きました。^^




石橋


この石橋ですが、昔この地方の川にかかっていた唐橋だそうです。
町のお金持ちが寄付して作ったそうで、とても役立っていたそうです。^^



三成の石





これらの石には、石田三成の句が彫られていました。^^



五輪の塔正面


これが、今回の目的地のひとつ、『五輪の塔』です。

これらの五輪塔は、破壊されています。


コレに関しては、悲しいエピソードがあります。



その昔、時は戦国時代末期、1600年。
今からおよそ410年前の事。

天下分け目の関ヶ原合戦に破れた西軍の事実上の総大将、石田三成は、落ち延びましたがその後すぐに徳川家康の手のものに捕らえられ、京都の六条河原にて、打ち首となり41歳という若さで、この世を去りました。。。

その後、天下を統一せんとする徳川家康は、石田三成の居城や三成に関する書物などを、次々と破棄していきました。

三成の居城、佐和山城は、裏切り者の小早川秀秋らにより、攻め滅ぼされ、石田一族の多くのものが、壮絶な最期を迎えました。

徳川の兵たちは、石田一族の墓をも壊したそうです。

その時に壊された墓を、地元の人たちがこれではあまりにも酷いと言うことで、ここ八幡神社の地中に埋めて、隠す事にしました。



・・・それから数百年が経った昭和初期ある日の事、ココで偶然これらのお墓が発見されました。
お墓が発見された当初は、『これらのお墓に触ったら、腹痛になるから触ってはいけない』との噂が流れ、誰もそれらに触ろうともしませんでした。

しかし、それではいけないということで、ある団体の方々が、これらのお墓を掘り起こし、ココを石田神社とし、綺麗に整備して祀ることとして、現在に至る、、、ということです。


触ったら腹痛になるという噂はきっと、三成は腹痛持ちだったので、そこからきていると思われます。





五輪の塔


隣のもみじが綺麗でした。^^






墓出土場所


ここからコレらのお墓が発掘されたそうです。

ちょうど、八幡神社の境内の真後ろになります。








後ろに見える山の山頂には、横山城という山城がありました。

浅井氏を監視するための城で、織田信長が落とした城を、秀吉が管理していたそうです。

行ってみてかったのですが、前日大雨だったので、土砂崩れの危険性もあると思い、行くのはやめました。。



茶室です。

神社の入り口のすぐ右側にありました。





そして、入り口のすぐ左には、日本庭園が。。。




神社を出ると、ゲートボールをしていたご老人方は、もうすっかりいなくなっていました。

道の向こうを見ると、テクテクと一人の老婆がこちらに歩いてきていました。

老婆はわきから八幡神社の参道に入っていき、境内で参拝をしていました。

なにやら、拝んでいるようでした。




地域に密着した神社だなあと思いました。








今回の訪問で、400年もの昔の当時に思いをはせながら、ゆったりとした時間を楽しむことが出来ました。




前回までの2回来た時、ここを発見できなかったのは、今回楽しむためだったのかもしれません。

そういう運命だったのでしょうか。。。


私がこの戦国聖地と呼ばれている場所で、こういう活動をするようのなったのも、運命だったのかもしれませんね。

3年も前だと、想像すらつきませんでしたよ。

人生って、分からないものですよね。

(笑)








次回、石田会館・石田三成家跡地編へ ・・・


つづく♪

駐車場
Posted at 2010/07/01 09:05:16 | コメント(3) | トラックバック(0) | 石田三成 | 旅行/地域
2009年12月01日 イイね!

石田三成が生まれ育った町へ

司馬遼太郎の『関ケ原』を読んでいて、衝動的に出かけてしまいました。

めざせ、三成の生まれ育った町へ。



出発して、しょっぱな、道に迷って、こんな標識を見つけました。


『Hマンがでるぞ』


・・・もっと他の表現は無かったのでしょうか。






迷いながらも、目的地が見えてきました。



手前の小さな山に石田山公園があり、その麓が三成が育った石田町です。

後ろに大きくそびえているのは、伊吹山です。

この辺で一番大きな山です。

まず初めに、三成の屋敷跡に行きました。



これは住宅密集地の交差点にあります。

道も非常に狭いので、車から写真を撮ると、さっさと離れることにしました。

初めてここを訪れたのは、約半年前です。

彦根に行っていて、道に迷って、たまたまこの町を通りました。

その時は、ここが石田町といい、石田三成が生まれ育った町だとは知りませんでしたので、これを見つけたときは、

『え!? こんなところで!?』

と、かなりの衝撃を受けました。

(笑)

今思い返してみれば、ここの前の道を少し南に進むと、石田会館というのがあり、光成の銅像と、会館の中に三成の展示ルームがあるらしのですが、すっかり忘れていました。

というか、道があまりに狭すぎて、進む気にもなれない・・・。

最近、三成ファンの歴女がたくさんやってくるらしいです。

(みなさん、どこからやって来るのでしょう。。。)

でもまあ近いので、また今度行こうと思います。

( ̄▽ ̄)

ここを離れて、山のほうへ向かうと、石田山神社とかいう看板と石の橋を見つけました。

行きたくて、一往復したのですが、どうしても車を止めるところを見つけられなかったので、あきらめることにしました。

きっとそこにも、なにかあったことでしょう。。。




≪三成と秀吉の出会いの場所≫


観音寺といいます。

ここで、三成と羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が出会いました。

当時三成は、このお寺で働いていました。

秀吉は当時、この長浜の城主で、鷹狩りに出かけていました。

のどの渇いた秀吉は、たまらずこの寺に立ち寄り、水を求めました。

その時三成は、大変気の利いたおもてなしで、秀吉にお茶を差し上げたので、感心した秀吉は三成を召抱えることにしました。


『お茶のはなし』
最初三成は、なみなみと入った冷たいお茶を秀吉に差し出しました。

それを一気に飲み干した秀吉。もういっぱい出すように、三成に頼みました。

二杯目は、すこし暖かい、ぬるいお茶を、器の半分ぐらいに入れて出しました。

それを飲んだ秀吉。更にもういっぱい出すように三成に命じました。

きっとこのころから、秀吉は三成の心配りに関心を持っていて、どうでるか試してみようと思ったのでしょう。

三杯目は、やけどするぐらいに熱いお茶を小さな器に少しだけ入れて出しました。

これに感心した秀吉は、三成の才能を見出し、彼を召抱えることにしました。

これが後々の大戦、関ケ原の戦いにつながっていくことになります。



車を別の場所に移動し、お寺に入ることにしました。

門はとても寂れていました。


門の裏の写真です。


門の裏から左へ向かいました。

正面には、さびれた公園がありました。


この写真の先に井戸があります。

ここに来る前は、もっと手入れされたお寺で、建物のすぐわきにでもあるのかと思っていました。

しかしそこは、人影もなく、薄気味悪いところでした。

一人で行くにはちょっと勇気が要り、時間帯によっては危険でしょう。

三成ファンの歴女の皆さん、注意しましょう。


山肌に井戸を見つけました。



井戸の水は思ったよりきれいでした。



井戸の前には池があります。

釣りをしている人もおりました。

何が釣れるのでしょうか。






三成が育ったお寺はどんなものなのか、ちょっと探索してみよう。

そう思って、境内へ行くことにしました。

途中右手に、大きな木がありました。



黄色に色づきとてもきれいでした。

三成の時代にも、この木はあったのでしょうか?

彼もこの木を見て育ったのでしょうか?

さあ、境内が見えてきました。



ここでふと、後ろを振り返って、写真を撮りました。



結構大きなお寺です。

境内の写真です。



もうちょっと横によって、全体の写真を撮りたかったのですが、薄気味悪かったのでやめました。


お寺を出て、すぐ左にある伊吹山を見ました。

とても綺麗で雄大だなぁと思い、しばし見とれました。




石田町を後にし、岐路に向かいました。

最後にちょっと立ち寄り、写真をパシャリ♪



左横にちらりと、笹尾山の石田三成の陣跡が見えるのがわかるでしょうか?

その右下あたりに、島左近が・・・。

今読んでいる司馬遼太郎の『関ケ原』で、やたら目につく、島左近が・・・。

怪物、島左近が・・・。



・・・今度は、島左近の生まれ育った町へ行こうかな?

(笑)






本日は此れにて、斬りなり。



>P.S.りょうさいさん、決めゼリフ、いただきました。
(笑)
Posted at 2009/12/02 10:12:14 | コメント(2) | トラックバック(0) | 石田三成 | 旅行/地域

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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