• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

すた☆君のブログ一覧

2020年12月03日 イイね!

国友鉄砲の里資料館

前回の「姉川古戦場」史跡巡りの同じ日に、国友へ行きました。

「秋の我慢の三連休」の数日前になります。

資料館前 ロド

ここに来たのは久しぶりです。

看板 横

看板 正面

ここの資料館は写真撮影OKで、とても太っ腹です。

写真OK

最初、大きなスクリーンで国友紹介の映像を見ました。

続いて一階の展示室へ行くと、「麒麟がくる」で使用した鉄砲が展示されていました。

麒麟鉄砲

ここも「麒麟がくる」展ですね。w

麒麟鉄砲 全体

鉄砲の筒の中は、鏡の様にツルツルでした。

麒麟鉄砲 筒の中

これでもかと言うぐらい、たくさんの鉄砲がありました。

鉄砲たくさん

鉄砲の作り方ですが、鉄心に薄く伸ばした鉄を巻き付ける → 鉄心を抜く(=穴の開いた鉄の筒を作る)→ 底に栓をする(銃尾ネジを入れる)という流れになります。



機械もない時代に人力だけで凄いなあと思わされます。



最初は、その銃尾ネジの造り方が分からなかったのですが、国友の青年次郎助が刃先が欠けた刀で大根をくりぬいて、その溝を見る事により、ネジの作り方が閃めき、鉄砲二丁を完成させて、将軍足利義輝に献上したそうです。(天文十三年 1544年)



ネジを造れた事により鉄砲の国産化に成功したので、これにより戦の主流が鉄砲へと変わり、日本史の流れを大きく変えた「歴史の変換点」だとも言えます。



また、ネジはありとあらゆる所で使われているので、日本の技術の進歩を早めさせた、重要な瞬間であったとも言えます。

大筒

二階も見たので、もらったマップを持って、近くを散策する事にしました。

石碑

鉄砲鍛冶の生誕地の石碑が、資料館のすぐ近くにたくさんありました。

石碑 

国友一貫斎兵衛は、反射式天体望遠鏡を発明しました。

国友鉄砲鍛冶の技術の応用ですね。

望遠鏡

国友には多くの鍛冶屋がいましたが、戦国時代が終わり平和な江戸時代になってからは、次第に衰退していきました。



立派な松ですねぇ。

松の下の銅像

これは、可愛いですねぇ。

生誕地

次郎助の住居跡、大根をくりぬいてネジの造り方が閃いた場所ですね。

ロド

静かで趣のある町でした。

コロナが収束したら、また改めて、史跡巡りの活動を再開しようと思います。
Posted at 2020/12/03 13:59:44 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄砲の里・国友 | 旅行/地域
2010年09月03日 イイね!

鉄砲の里・国友と、ちよの里

島左近の出生のルートを探ろう。。。

そう思い、滋賀県米原市に、嶋一族に関する場所があるということを知り、ちょっといってきました。

車一台通るのがやっとの幅の線路を、

『エイヤアッ!!」

と、渡ると、そこには・・・

・・・そこには、そこにはそれらしい場所は無く、どういう訳なのか、ちよの里に着いてしまいました。

(^^:)



ちよは、言わずと知れた、山内一豊の妻です。

土佐藩主、高知城主です。

旦那の為に、大事なお金を使い、立派な馬を買った話が有名です。

NHK大河ドラマ、『巧妙が辻』のヒロインです。

ここは、飯村という所で、ちよは若宮一族の出らしいですよ。

一豊は、東軍として関ヶ原に来ていました。





車に戻ると、猛烈に暑かった。

汗が腕の皮膚の表面に湧き出るようににじみ出てきて、これはマジやばいぞと思いました。




再び恐ろしく細い線路を越えて、もうひとつの目的地、『国友鉄砲の里資料館』へ行きました。




国友は鉄砲鍛冶で有名で、関ヶ原の戦いのとき、家康はここの鍛冶屋たちに鉄砲を作らせました。

しかし、この地は三成の支配下だったので、島左近が作るのをやめるように言いにきたそうですよ。

それでも、鉄砲を作り続けたんだとか。

(笑)




受付のじいちゃんが面白い人で、30分ほど話し込みました。

鉄砲の筒を取り出してくれてて、光に当てて覗き込んでみると、その中はまるで鏡のようにピカピカに輝いていました。

^^

鉄砲の作り方とか教えてくれましたよ。

(笑)




関ヶ原で史跡のボランティアガイドの勉強会に入っているというと、ガイドの足しにと、いろいろ教えてくれました。

^^




せっかくなので、いろいろと質問をしてみました。

^^







≪国友は、鉄砲で栄える前はどうだったのか?≫

資料が無いので、分からないそうです。

でも、全く技術の無いところで突然鉄砲を作れるはずがないので、鍛冶屋がいたのではと言っていました。

昔ココには京極一族の息のものがいて、刀を作る技術をもっていて、そんな彼らがその技術を生かして鉄砲に応用したとか、そういう説もあるそうです。

(^^)





≪関ヶ原の合戦で、何丁ぐらいの鉄砲が作られたのか?≫
分からないそうです。
でも、全国各地にここで腕を鍛えた鉄砲加治屋たちが活躍しているので、そうとうなものかと思われます。

^^;




≪鉄砲を作る日数は?≫
普通のが2週間、大筒で1ヶ月ぐらいだろうとの事でした。
^^



≪当時最盛期で、鉄砲鍛冶屋は、何人ぐらいいたのか?≫
500人ぐらいいたといっていました。




≪現在の鉄砲の値段は?≫
安いので30万円~50万円ぐらい。
高いのなら、100万円だとか。
もし買うなら、太いのがいいぞと教わりました。
買いませんけど。
(笑)






≪鉄砲を作るコツについて≫
鉄砲は、筒をのせている木の中を真っ直ぐに穴を開ける技術が大変難しいそうです。
木はサンドイッチのように真っ二つに割られているそうで、木の弱いところには金具などの当て具を入れて、逃げを作って、そちらに穴が進まないようにして、真っ直ぐ穴を開けたそうです。

実際に展示されている鉄砲は、殆どが江戸時代に入ってからのものだそうで、戦国時代、関ヶ原の合戦で使われた鉄砲などは無いそうです。
もしかしたら、国立博物館にあるかもだとか。




≪第二次世界大戦時の国友≫
いい鉄砲は、みんなアメリカへ持っていかれたそうです。
アメリカ軍が来た時、金属探知機で、家にあるもの全て持っていかれたそうです。
その時に、地中や田んぼなどに鉄砲を隠して、守られてきた鉄砲たちが今残されているものだそうです。





せっかく来たので、記念に『国友鉄砲の歴史』という本を購入しました。

別れ際、じいちゃんが、『またいつでも遊びに来てね。』と言ってくれたので、嬉しかったです。

^^




資料館を出て、ちょっと回りをプラプラ歩いてみました。

たくさんの鍛冶屋跡地の石碑がありました。






そこでひときわ目に付いたのが、この鍛冶屋さん


趣がありますねー。



一人で歩いていると、近所のおばちゃんが、

『こんにちは。』

と挨拶してくれました。

暖かい人たちばかりで、また行きたいなあと思いました。


^^






Posted at 2010/09/03 11:33:06 | コメント(2) | トラックバック(0) | 鉄砲の里・国友 | 旅行/地域

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/6 >>

1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     

ブログカテゴリー

リンク・クリップ

霧の中の決戦地 
カテゴリ:関ヶ原合戦の史跡
2010/12/24 11:25:35
 
関ヶ原町の史跡 『十九女池・六部地蔵・七つ井戸・与市の墓』 
カテゴリ:岐阜県の史跡(関ヶ原合戦以外)
2010/12/20 12:40:04
 
関ヶ原町 『常盤御前の墓・鶯の滝』 
カテゴリ:岐阜県の史跡(関ヶ原合戦以外)
2010/12/20 12:36:11
 

愛車一覧

トヨタ ノア ハイブリッド トヨタ ノア ハイブリッド
ノアハイブリッド
マツダ ロードスター マツダ ロードスター
2代目の戦国ロードスターです。 出陣時は関ケ原バージョンになります。
日産 ラフェスタ 日産 ラフェスタ
中古で買って、5年間乗りました。 4WDです。 買って半年後に底から大きな「ブーン」と ...
マツダ ロードスター すた号 (マツダ ロードスター)
マイナス2℃で、オーポン走行しました。 冬でも幌をあけるオーポン漢を目指しています。
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation