ハウステンボスを出たあと、会社の後輩の家へ向かいました。
後輩はこの近くに住んでいて、僕らよりも1日遅れて岐阜を出発し、ぴゅんと飛行機でひとっ飛びして、ものの数時間でこちらに着いてしまいました。
広島のホテルの風呂を出たあと、空を見上げると飛行機が飛んでいったので、もしかしたらあれにのっているのかなぁとか、見上げていました。
それにしても、やっぱ、飛行機って凄いですよねー。
当たり前ですが。
(爆)
大村湾
湾岸道路を走っていると、後輩の家に着きました。
ここでちょうど、1000キロ突破。
本当に車で来たんだと笑顔で歩み寄る後輩。
親御さんがおもてなししてくださって、少々時間より長く滞在し(先輩に何を話されるのかとヒヤヒヤの後輩)、後輩連れて再び出発、長崎市へと向かいました。
長崎市内
長崎は坂の町といいますが、想像以上に凄かった。
長崎に来たのは2回目ですが、その時は真っ暗で電車でちらっと立ち寄っただけなので、どんなもんかよく分かりませんでしたが、昼間に改めて走ってみると、よくこれだけ山に建物を立てたなと感心させられました。
土地も起伏が激しいので、坂を上ったり下りたりして、しかも細い道が多く、車の運転は大変でした。
坂に建物というと、大阪を思い出してしまいますが、それ以上に凄かった。
しかもここは、日本の端っこ。
こんな端っこの町なのに、どうしてこれだけ栄えているんだろう? やっぱ外国との貿易の影響かな? だから働き口がたくさんあって、町が栄えているのかな? などと、疑問を感じずにはいられませんでした。
とても魅力のある町です。
長崎市内は、坂本龍馬ゆかりの地を巡りました。
次の目的地は、亀山社中跡です。
竜馬像
亀山社中は、龍馬たちが作った会社ですが、場所で言うと長崎市の中心地から少し外れた山の中腹辺りにありました。
え、こんな(いきにくい・訪れにくい)場所? という印象を受けました。
龍馬伝 では、中華街近くの博物館の建物がよく出ていまして、そこによく龍馬が訪れていましたが、
実際はとても歩いていける距離ではないなぁとおもいました。
山の後の平地のその端ですから。。。
人気スポットということもあり、狭い路地裏にたくさんの人たちが集まっていました。
ブーツ手前から
ここには、坂本龍馬のブーツというのがあり、
まあ、写真で言うとこんな感じで、青銅製のブーツに靴を履いたまま足を入れて舵を握る事ができます。
眼下には、長崎の町が広がっており、ユニークなスポットとなっています。
気分は龍馬?
(笑)
龍馬のブーツ
亀山社中の跡
亀山社中の跡の真上に、亀山社中を再現していました。
建物は最近できたばかりで、とても真新しく、狭い家の中に大勢の人たちが所狭しとうごめきあっていました。
ほんとに小さな家で、この中にこれだけの大人数の男達が生活していたとは驚きだなぁという感じです。
一人辺りが確保できるスペースは、布団を敷くぐらいのスペースしかなく、布団を敷くか布団をたたんでその場所で書物を読むかとかしていたのでしょうか。
名刹
床の一部がガラス張りになっており、そこには発掘された土間がそのまま残っていました。
龍馬伝の先入観からか、当時の建物はとても汚いものだったのではとイメージしてしましますが、この亀山社中は本当にとても綺麗な建物です。
本当にこれが再現した真の姿かなあと疑問に思ってしまいました(どうせ再現するなら汚く再現だろ?とか)。
竜馬の絵
建物の天井に穴が開いていて、隠れ部屋がありましたが、残念ながらそれは撮影禁止でした。
亀山社中を出たあとは、ホテルへ行きました。
ホテルは、グラバー園のすぐ隣でしたが、一方通行が多く、ナビで探してもなかなかホテルを見つけることができず、人気観光スポットの大浦天主堂の前の歩行者専用の広場に何度も飛び込んでしまい(ここでしかバック・Uターンできなくやむをえず)、大変な目にあってしまいました。
ホテルで手続きを済ませて、グラバー園へ向かいました。
グラバー園はいろんな洋風の建物が山の斜面に建っており、一番最初は長い長いエスカレーターで一気に山頂まで上り、そのあとは下りながらいろいろな建物を巡っていく流れになっています。
グラバー園 上から
上からの景色は、とてもよかったです。
日本で初めて、テニスコートを作ったときのローラーがありました。
テニスローラー
上からイロイロ回っていって、最後に有名なグラバー亭がありました。
グラバー亭
グラバーの成功の流れについてみてみると、たしか、日本にやってきて事業を始めてものの2~3年で巨大な富を築いていますね。
彼は、武器を売る事で大量の利益を得ていました。
いつの時代も同じでやはり大量の利益を得るには、政治家と仲良くして、公共事業の仕事を得るというのが一番といういことでしょうか。
だから公共事業の仕事を貰っている建設会社などは、国がどんなにたくさん借金を抱えていても、いっさいかまわずに、変わらぬ安定した生活を望み、自民党に投票し続け。。。
グラバー亭にも、龍馬の隠れた屋根裏がありました。
龍馬隠れ屋根裏
こちらは亀山社中とは違って、屋根が高かったので、上るには一苦労するなあと思いました。
晩御飯を食べに、中華街へと行きました。
日本には中華街は3箇所あり、長崎と神戸と横浜です。
横浜の中華街はまだ一度も行った事がないので、いつか行ってみたいです。
でも、横浜という町は一度行ったことがあり、たしか、ほくーとさんがとめてくれた家が横浜だったような。。。
中華街
いろんなお店がありましたが、無難なところで新しくておおきなレストランに入りました。
中華料理
エビチリでもなんでも全て美味しかったですが、私の中では、豚の角煮を小麦粉をこねた生地に挟む料理が一番美味しかったです。
やっぱ、本場の料理は違うなあと思いました。
ちなみに料金ですが、一人3000円ぐらいでした。
そんなにべらぼうに高いというわけではないと思います。
最後は量が多すぎたので、どうしても鶏肉の唐揚げが食べられず(おいしかったですが)、止む終えず残してしまったほどでした。
晩御飯を食べた後、後輩をチンチン電車乗り場まで送りました。
チンチン電車は以前岐阜でも走っていたんですが、長崎で驚いたのは、それが普通の家の前すれすれに走っているところでした。
家の裏ならまだしも、普通に家の前でしたので、住んでいる人たちは危なくないのかなぁとか、ここに線路引くに当たって、ケンカとか無かったのかなぁとか疑問に思ったほどです。
すれすれチンチン電車
なにはともあれ、所変わればで、知らない町は面白いものですね。
以前誰かが、『知らない町を歩くのはボケ防止にいい。』 と言っていましたが、まさにそうですね。
どんどん歩いていると、アレはナンだ?とか、次は何があるんだろう? とか考えるので。
最後に、出島へ行きました。
出島ワーフ
出島 という地名は残っていますが、歴史の教科書で見たあの扇形の土地は今はもう無く、商業施設がぽつんとあるだけで、その前はヨットハーバーになっていました。
ただ、道路を挟んで少し町に入ると、出島の博物館があり、そちらには出島のような町並みは再現されているようですが、周りを家に囲まれているので、少々違和感を感じました。
どうせなら、ここに再現したらいいのにと思いました。
行きと帰りで往復3~4キロは歩いたでしょうか。
今日はグラバー園からずっと、歩きっぱなしです。
昨日もハウステンボス歩きまくりましたし。
僕のたびはいつも、歩いてばかりです。
でもその途中の寄り道の発見が、新発見盛りだくさんで、なかなか楽しいです。
やっとの思いでホテルに着きました。
部屋の構造はとてもユニークで、風呂の壁を開けるとベッドがありました。
ココは元ラブホか?と思ってしまいました。
風呂筒抜け
部屋に戻ってベッドに倒れるとそのまま服を着たまま寝込んでしまいました。
やはり体は正直で、疲れがピークに達していたようです。
少々高いホテルに泊まったので、明日からは安いホテルに泊まります。
旅はまだまだ続き、明日の朝は、軍艦島です。
ではまた。
(笑)