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すた☆君のブログ一覧

2012年08月22日 イイね!

森蘭丸・可成・長可の生誕地、金山城址、 可成寺・森蘭丸・長可・可成らの墓 (岐阜県可児市)

これは、長い長い11連休の最初の方のお話。

岐阜県可児市へ史跡めぐりに行きました。

ここは、森蘭丸・明智光秀、そして可児才蔵の生誕地といわれています。

森蘭丸は織田信長の側近で、美少年で大変人気がある戦国武将です。



まず、可児市役所にいき、学芸員の方から詳しいお話を聞きました。

謎に包まれた可児才蔵の生誕地の山城と推測される場所を教えてもらったのが一番の大発見だったのですが、それはまた最後の方に。。。

市役所を出たあと、可児市の歴史民俗資料館へ行きました。

森可成の鎧のすねあての部分が展示されていました。

迫力ありました。

受付で、自分が関ヶ原で甲冑武者ボランティアをやっているというと、そこの方々が大変な興味を示し、宣伝して下さいとのこと。

関ヶ原という名前ののインパクトの凄さを実感しました。

お土産にと、森蘭丸のクリアファイルと、森蘭丸についてここの学芸員の方が詳しく書かれた本(1冊500円)を買いました。

するとサービスだと、可児市の歴史昔話の本を2冊いただきました。

おまけに、メールアドレスも教えてくださり、写真を送って欲しいとの事。

まあとりあえず、僕とロードスターのツーショット写真を送る予定。

送ったら、資料館のHPにでも載せるんかな?

これで交流広がったら、おもしろいよね。

(爆)


関ヶ原と可児市、車で2時間ぐらいかな。

でも、これない距離でもない。

お互いがいききして、交流できたら、関ヶ原もりあがるよな。

森蘭丸の甲冑着た人が関ヶ原に来たりして、こっちも遠征したりして。

まあ、面白そうな。

^^




ではさっそく、以下に宣伝させていただきます。

宣伝してと頼まれたので。

しかしながら、私ができるのは、これが精一杯です。













金山城


展望台


ここで、森三兄弟は生まれ育ちました。


金山城址 天守跡



車で10分ぐらい上って駐車場に停めて、歩いて20分ぐらいで山頂に着きます。

アスレチック公園もありました。

とても整備されていて、町の憩いの場 みたいな山城公園でした。


裏斜面


山肌も綺麗に整備されています。

これはなかなか、立派。



城と森一族の説明は、このように。


城 説明



この井戸は、車で結構上った山の中腹にありました。


森蘭丸産湯の井戸



歴史民俗資料館で買った本でもいってたんだけど、蘭丸の本能寺での話は、江戸時代以降に作られた創作が殆どだって。

実際はそんなにかかれてないから、どうだったんか? とjかは、よくわからないんだってさ。






表斜面








続いて、お墓参りに。




森可成の菩提寺




お寺のお堂の横にお墓へ通じる門があって、住職さん曰く 『どうぞご自由に』との事でした。



案内



真ん中が森蘭丸です。


ところで、これは本当に蘭丸のお墓なのでしょうか?

彼は信長の側近で、信長は行方不明、どうして彼だけ骨があるのでしょうか、それとも形だけ?

・・・疑問です。


森三兄弟の墓


森長可・鬼武蔵の墓ですが、以前小牧長久手の史跡めぐりに行った時、ひっそりとしためだたない公園の中に彼のお墓があった記憶があります。

戦死の地にお墓があったような。。。

とすると、jここのお墓は分骨でしょうか、それとも形だけ?

これもまた、疑問に残ります。

住職さんに尋ねておけばよかった。



・・・それにしても、みんな戦場で死んでるんやね。

戦の為に生きた人生、まさに武人って感じがしました。

壮絶やわね。。。







はい、次は明智光秀の史跡に行きます。

乞うご期待あれ♪

^^
Posted at 2012/08/22 21:43:27 | コメント(3) | トラックバック(0) | 森蘭丸・可成・長可 | 旅行/地域
2011年06月03日 イイね!

小牧・長久手③ 長久手古戦場

山を下ると、看板があって土塁の説明が聞けるようなので、そのスイッチを押しました。

聞き始めると、どこからともなく突然じいさんが現れるやいなや、いきなり『織田信長』と『壬申の乱』の説明を始めました。

見事に捕まりました。
(爆)



土塁断面


土塁の断面がとてもよく分かりました。
こういう発想は面白いですね。
^^


この日は日差しもきつく、女性の日傘っていいなあと思いました。

山の周りを歩いていると、小さな建物があって、その中でたくさんの人たちが集まって、史跡の説明会をしておりました。

どうやらここにはガイドさんがたくさんおられるようですね。



武家屋敷の土塁



小牧山も一通り見たので、今度は長久手へと移動する事になりました。

距離で言うと結構近いのですが、道が工事でもないのに物凄い渋滞で、なかなか進みません。

この地域、車多すぎるぞっ!

中国みたいに車の販売量とか規制しろ! って思いました。

きっとこの地域は、名古屋の郊外で住宅やマンションが多すぎるのでしょうね。

それにしても都会のせいか、オシャレなカラフルな車が多いような印象を受けました。



妻をフルートコンサートの会場に下ろして、僕は長久手の古戦場跡へと向かいました。

駐車場に車を止め、前方の小さな林の方へと歩いていくと、なにやらありそうな場所が。

いってみるとそれは、池田恒興(つねおき)の墓でした。



彼のお墓は、前回岐阜県池田町の所を訪れたばかりで、どうやらこちらは、ここで戦死したという意味もあるそうです。

さすが大物というだけあって、なかなか立派なお墓でした。


長久手古戦場石碑




林を抜けると歴史博物館がありました。



入場無料というのがありがたいです。
ここにも、解説と音楽つきのジオラマがありました。

他にもいろいろ展示物があり、クーラーも効いていて涼しいので、『これなら入場料150円はとれるぞ!』 と思いました。
(爆)


再び林の中に入り、南へと進んでいきました。

ここは歴史ブームだというのにあまり観光客来ていないみたいですね。

ネタ的には結構いいと思うのですが。


途中林の中でなにやらあやしい小屋みたいなものが。
浮浪者が住んでいるような気配がありました。
ちょっと怖かったです。



池田しょうくろうの墓


彼は恒興の息子です。
苦戦している父を助けにいこうとしましたが、届かず、ここで戦死してしまいました。
さぞかし無念だったことでしょう。


この公園を出ると、住宅密集地が続きます。
その中を少しばかり西へと進むと、森長可(鬼武蔵)の墓があります。
ここには小さな林があります。
木陰が涼しいので、たくさん車が路駐していました。

鬼武蔵の墓

彼は、本能寺の変で信長と共に死んだ 森蘭丸の兄です。
彼も蘭丸同様、美男子だったらしいです。


後から彼の絵をみましたが、どう見てもブサイクでしたが。
(爆)





長久手古戦場巡り、続く♪
Posted at 2011/06/06 06:19:20 | コメント(3) | トラックバック(0) | 森蘭丸・可成・長可 | 旅行/地域

プロフィール

旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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